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Wednesday, October 25, 2006

『脳はなにかと言い訳する』池谷裕二(書評)

【10月25日特記】 4年前に読んだ『海馬 脳は疲れない』(糸井重里と池谷裕二の共著)が面白かったのと、母が最近になって認知症の初期と診断されたことの2つが直接の動機となって、またこの著者の本を手に取った。そして、期待に違わず、読みやすく面白くためになる、三拍子揃った読み物だった。

「読みやすく」「面白く」はともかくとして、「ためになる」というのは単に医学的な知識が身につくという意味ではない。

確かに医学的な知識も多少はつくだろうけれど、たかが本1冊で身につくものは知れているし、一般人が脳に関する医学知識を身につけてどうする?という面もある。

そんなことよりもためになる(そして面白い)のは、筆者が時折“気の持ちよう”みたいな側面に触れてくるところだ。僕は何だか筆者が医学知識を隠れ蓑にしてこっそり人生訓を説いているような気がして、そこになんだか好感を覚えてしまったのである。

「おわりに」で筆者は、この本のタイトルになぞらえて、なにかと言い訳をしている。

例えば、この本は筆者が論文を書くときのような慎重で綿密な態度では書かれていない。実に気軽に書かれていて、そのおかげで充分検証の済んでいない最新の論文まで紹介されている。しかも、素人にもよく解るような書き方で。

にも拘らず、巻末には学術論文並みの参考文献一覧が掲載されているのだが、これは著者によると「一種の“責任逃れ”」なのだそうで、実は著者のこういう態度がこの本を面白く読みやすいものにしているのである。

それに加えて著者は「科学的な事実は時代とともに逆転することもあります。真が偽になり、偽が真になりえるのです」と書いている。つまり、自分がここで確信を持って書いたことであっても、将来それは間違っていたということにもなりかねない、と言うのである。

そういうことは学者は却々書かないものだ。そして、「この著者は他の学者が却々書かないことを書いている」という表現は正確ではなくて、実は「却々書けないことを書いている」のである。その柔軟さを以てしても、池谷裕二という人が如何に優秀な学者であるかが窺い知れる。

中身については詳しく触れなかったが、合計26の各章と「おわりに」の全てが、いずれもとても読みやすく、面白く、ためになる──とても良い本であった。

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