『イノセント』ハーラン・コーベン(書評)
【10月6日特記】 (上下巻通じての書評です)日本で発売されているコーベンの本は全て読んできたが、実は僕なんかにはミステリを語る資格がないのだろうと思う。犯人探しやトリックの解明に興味がないのである。ミステリを手に取っているときも、もっぱら別のことに魅かれて読んでいる。
もちろん、ミステリがミステリである所以と言える「事件」や「推理」も楽しんで読んでいるのであるが、その部分での良し悪しはよく解らない。この程度に面白ければそれで良い。他の小説と並べてどちらがミステリとして上かと訊かれてもよく分からない。読んでいる途中で犯人は誰だろうとか真実は何だろうかとか考えたりもしない。
ここまで筋が入り組んでくると、謎解き・種明かしに入った部分を読んでいて頭が混乱してくるので、むしろもう少し単純な筋のほうが良いのにと思ったりもする。この複雑な設定がミステリとしてどうかと問われてもやっぱり答えられない。よくもまあこんなややこしい話を考えたものだと感心するのみである。
僕は単にコーベンの文章の巧さ、人物に対する抜きん出た表現力に魅かれて読んでいる。それは例えば訳者あとがきで指摘されているような、子供の台詞のリアルさなどに現われている。
訳者あとがきには「善良な人間に悪夢が襲いかかるというパターンを、コーベンは好んでいるように思われる」という米誌の評が紹介されているが、僕は全く逆のことを感じる。
コーベンは善と悪という単純な二律背反の構図でものごとを描かない。彼は「ハイ、この男は悪人でした」みたいな形で筆を置くことはしないのである。いかなる悪人も生まれながらにして悪人なのではなく、いかなる犯罪者にも苦悩がある。もちろんそこまで深く描かれない人物もいるが、多くの人の苦悩が描かれることによって、読者は「彼らにしてもいろんな問題を抱えていたのだろう」という想像力が働くのである。
この小説は、大学時代に誤って人を殺めたことのあるマットという男が主人公である(既にこの設定に善と悪が同居している)。
彼は4年間の服役を終えて、心の傷は癒えないままではあるが、今やちゃんとした職にも就き、美しい妻をも得て、漸く幸せに近づきつつある。そんな時、彼の携帯に、妻の携帯から彼女の浮気の証拠のように思われる写真と映像が送られて来るところから始まる。
ところがそれはほんの序の口であって、そこからストーリーは息つく暇もなく展開に次ぐ展開を重ね、マットの命が狙われ、何人もの人が殺され…。そして、終盤になると全部のことが繋がってきて、この動きの激しさにはめまいがするほどである。
さすがにこれを全部書いてしまうわけには行かないし、どこか途中まで書いてもその面白さは決して伝わらないだろう。
さて、いずれにしても僕が褒めるべきはこのストーリー展開についてではなく、コーベンの人間に対する洞察力と、それを紙の上に再現する表現力である。
次作はいよいよあのマイロン・ボライターのシリーズを再開するらしい。このシリーズは僕の大好きなアメリカっぽい軽口が満載である。さすがにこの『イノセント』にはそういう要素は全くない。僕はそれが淋しくて仕方がないのだが、ひょっとしたら正統派ミステリ・ファンはこういう作品のほうを好むのかもしれない。
僕はミステリ・ファンでさえないのかもしれないが、いずれにしてもコーベンの大ファンである。
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