『ティンブクトゥ』ポール・オースター(書評)
【10月17日特記】 オースターの小説はほとんど全部読んでいるが、これはいつものオースターとちょっと違う感じ。なんだか平べったい印象がある。練りこんだ跡が目に見えない。いつものように読み終わって暫し「うーむ」と唸るようなこともなかった(だが読後感は少し爽快である)。
短い小説だし、単純な設定だから仕方がないのかもしれない。話者は犬である。名前はミスター・ボーンズ。そして、最初の主人の名がウィリー。
ウィリーは放浪の詩人、と言えば聞こえが良いが、悪く言えば定職にも就かず金にもならない詩を書いてばかりのイカレた中年男である。一応帰るべき家はあってそこに母親が住んでいるが、1年のほとんどをミスター・ボーンズとホームレスさながらの旅をしている。
ミスター・ボーンズは犬であるからもちろん人間の言葉は話せないが、聞くほうでは人間の言葉をほぼ完璧に理解する。ウィリーはそのボーンズの能力を知ってか知らずか頻りにボーンズに話しかける。犬に人生を説いたりする。
もっともミスター・ボーンズは人間ほどいろいろな知識があるわけではないので、時として意味の分からない単語に遭遇したり早合点したりもする。
オースターの読者であればもちろんそんなことはありえないと思うが、そうでない人は、帯に「犬と飼い主の感動的な物語」と書いてあるからと言ってテリー・ケイの『白い犬とワルツを』みたいな話だと思ってはいけない。かと言ってディーン・R・クーンツの『ウォッチャーズ』のような本でもない。
いつものオースターとはかなり趣が違うとは言え、これはやっぱりオースター以外の何ものでもないのである。そして、柴田元幸の「訳者あとがき」を読んで、「ふーん、なるほど。こういう風に読み解くのか」と驚くのである。今回はオースターにではなく柴田元幸に唸ってしまった。
確かに、柴田の指摘するように、この物語は定型的な展開を避けている。そして、そのことによって読者は自分自身に向き合うこととなるのである。
そして、この流儀に基づいて柴田は、一般的には「犬好きの方には特にお薦め」などと書きたいところを、とても控え目に「もしあなたが犬好きだったら、この本を好きになる確率は、犬好きでない人に較べてほんの少し高いかもしれない」と書いている。これには僕も同意。別にこれは犬の小説ではない。
そして、ここでも定型的に陥ることを避けたエンディングを、僕は良いと思った。こんなことを書くと怒られるだろうが、もしあなたがこのエンディングを読んで良いと思わなかったのなら、それは端からこの小説を読むべきではなかったということではないかな、などと思う。
できればオースターを何冊か読んでいる人に読んでもらいたい小説だ。
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