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Friday, October 27, 2006

鼓腹撃壌を知らず

【10月27日特記】 歳を取ると食が細くなるのはごく一般的なことなのだろう。ただ、僕が感じるのは、よく言われているような「若い頃にはこのくらいペロリと平らげたものなのに、喰えなくなったなあ」という意外感ではない。

僕が感じるのは満腹感に対する不快感なのである。満腹にしたくない──そればかり思う。明らかな食べ過ぎに至るまでもなく、100%きっちりのものであってもとにかく満腹感が気持ち悪いのである。

思えば、僕の人生に於いては食事はずっと単に生命維持のための課業でしかなかったのかもしれない。信じてもらえないかもしれないが、僕は中学に入るまで空腹感というものがなかったのである。

小学生の頃、僕はお腹が減ってくるといきなり胃痛に見舞われた。何の予感もなく胃痛が始まるのである。

だから、母の帰りが遅くなったりして夕飯の時間が遅れると、僕は胃を押えながら、泣くようにして母に早くご飯を作ってくれるように嘆願していた。

そして、中学に入って生まれて初めて空腹感を経験した日のことをはっきり憶えている。

あれ? これがひょっとして、他人が「お腹減ったなあ」と何の緊迫感もなく言っているときの感覚なのか? これが世に言う空腹感なのか?

僕は、この半ば心地良い感覚を自分が持ちえたことを自ら祝福した。とても嬉しかったのをよく憶えている。

そんな僕だから、なのだろうか? 最近はともかく満腹にしたくないという気持ちがとても強い。

でも、公の場で食事をしていると、自分だけ断固として残すということがやりにくいケースがある。成り行きで全部食べてしまうことだってある。

このところ3日間連続してそういう夕食が続いて、今とても気分が悪い。

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