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Tuesday, October 24, 2006

試される

【10月24日更新】 大雑把に言って、HPを始めて5年半、ブログを始めて1年半が経って、最近つくづく「Web上に文章を発表することは試されることだなあ」と感じます。

ブログなどはCGM(Consumer Generated Media)と呼ばれて、とかく「個人が発信する場ができた」などと言われますが、発信する側からばかり見ないで少し視点を変えてみれば、それまで見ず知らずの人に試されることなどなかった個人が、他人の目に晒され、試されるようになったということです。

例えば映画を観て、小説を読んで記事を書くとします。映画を撮ったり小説を書いたりしている人たちは当然そのクリエイティヴィティが試されるわけですが、それを観たり読んだりして文章を書いている私もまた、その読解力が、感性が、そして言うまでもなく表現力が試されているのです。

「試される」というのは別に「意地の悪い目で見られる」という意味ではありません。

人間が他人と関係を結ぶとき、我々は自然と相手がどんな人間なのか、どんな反応をするのかを確かめながらコミュニケーションを進めて行きます。そういう意味で一挙手一投足が試されているのです。

だから私は仕事の時でも友だちづきあいの場面でも、自分がそれを言いたいかどうかではなく、その発言が相手にどういう効果を及ぼすかを念頭に置いて行動するようにしています。

「そんな窮屈な生き方はまっぴらだ。いつでもどこでも自分の言いたいことは素直に言えばいいじゃないか!」と言う人もいるでしょう。それはそれで良いのです。

そして、その人は周りの人によって「ああ、この人はいつどんな環境でも周囲に惑わされず自分の思ったことを虚心坦懐に語るなあ。ある意味偉いよなあ」とか「いつもはあまり何も考えずにベラベラ喋っているのに、こういう時はちょっと尻込みしたりするんだなあ。なんか可愛いなあ」などと評価される──それも試されていることの一例です。

あるいは、人によっては「あいつは周りの状況も考えずにただ思ったことを言ってるだけのバカだ!」と言う人もいるでしょう。それもそれで良いのです。彼がそういう評価を下したことが今度は他人に試されることになるわけですから。

私が「試される」という表現にマイナスのイメージを持っていないのは、私自身が試されることを非常に面白くスリリングなことだと感じているからです。

未知の読者の前に晒されること──それは胸躍る力試しの瞬間なのです。
表現するってそういうことではないでしょうか?

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