『東京タワー』リリー・フランキー(書評)
【9月7日特記】 この本は貶しにくい。貶すとまるで死んだオカンの悪口を言っているみたいな気分になる。「あんな良か人を」と白い眼で見られそうな気がする。死人に鞭打つ極悪非道の書評人のレッテルを貼られそうな気がする。
何度も手に取りながら長らく買わなかった本だ。その理由はこの読後感の予感があったからなのかもしれない。
それでも読んでみる気になったのは2006年の本屋大賞を受賞したからだ。2004年の第1回大賞が『博士の愛した数式』で昨年の第2回大賞が『夜のピクニック』。いずれの受賞についても異存がない。信頼できる賞だと思った。
それで手に取ってみて驚いた。文章が下手なのである。
第1回の小川洋子、第2回の恩田陸という「すこぶる」付きの文章の達人と比べるのは気の毒かもしれないが、かなり文章は拙い。これを「独特の文体」などと称する人もきっといるんだろうなあ。
でも、少なくとも僕個人の感想としては21世紀になってから読んだ本の中で一番下手な文章だった。活字に親しまないまま大人になってしまった人の文だと思う。
ところが、文章の巧い下手とは関わりなく、ストーリーの、と言うより人物の面白さで読者をぐいぐい引っ張って行く。実は読んでいてとても面白い。感動もする。「事実は小説より奇なり」という言葉があるが、別に事実だから面白いわけではなく、著者のしっかりとした観察眼と人生観、自分らしいものの感じ方・捉え方によって支えられているから、これだけ読み応えのある書物になっているのである。
今の時代にはあまりはやらない母親像である。こんな風に描くとマザコンだと見られるのが嫌で、こんな風に書くことも、いやこんな風に感じることさえ我々は避けて生きている。
そういう風潮に「自分の母親を愛してどこが悪いかっ!」と真っ向から逆らって書いているようにも見えないではないが、実はそうではないと思う。著者の視線はもっと単純で素直である。ただ自分の好きだった母親のことを書いた本なのである。
そうだ、今こそ著者のように自分も堂々と母に対する愛を表明しよう、とまで僕は思わない。もちろん逆に著者の思いを踏みにじろうとも思わない。ただ、面白い、良い書物であったと思う。それだけでとりあえず良いのではないかと思う。
今回のこの書評はきっと評判悪いだろうなあ。
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