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Sunday, September 17, 2006

映画『14歳』

【9月17日特記】 で、『14歳』である(何が「で、」か解らんという人は2つ前の記事から遡って読んでください)。

僕は『ある朝スウプは』を観ている(その時の映画評はここ)ので、この次作にはそれほどのショックはなかった。基本的に前作と同テイストの映画だ。メンバーも同じ。

ただし、制作費3万円で作った(と言ってもこれは仲間内のボランティアに支えられた作品なので直接費のみの計上である)『ある朝スウプは』に比べて使えるお金が増えたようで、キャスト・スタッフとも人数は大幅に増えて、香川照之という大物まで担ぎ出している(期待通りのすごい演技でした)。

14歳の時にウサギ小屋に放火して教師を彫刻刀で刺したことがある稜(並木愛枝)。彼女は今中学校の教師になり、14歳の少年少女たちの担任をしている。彼女がある日家庭訪問して出てきたところに、向かいの家から当時の同級生である浩一(廣末哲万)が出てきた。稜が彫刻刀で女教師を指す瞬間を見ていた少年だ。

浩一はサラリーマンをしながら、知人に頼まれて稜の学校の生徒である14歳の少年にピアノを教えている。浩一自身も14歳まではピアノを弾いていた。

稜はいまだに時々精神科に通っている。精神科の女医は言う──「苦しかったら逃げていいのよ」「世の中は100か0かだけじゃないのよ」。彼女が、敢えて中学教師になった稜の心境を分析してみせるシーンも非常に説得力があったが、それを知らずに見たほうが良いのでここには書かない。

稜の学校では次々に生徒が問題を起こす。浩一もそれに巻き込まれる。そして、次第に弱って行く稜。

最初、稜と同僚の教師である香川照之の対照がある。やがてそれが稜と浩一の対照へと視点が移って行く。

『ある朝スウプは』で見せたカメラワークや生活音のような、我々を脅かす要素は今回少ない。ただ、やはりこのチームは台詞に凄みがある。

意味するところは必ずしも明確ではなく両義的な(時としてむしろ意味不明な)台詞なのだが、そこには両義的にしか表現できない必然性がある。そこに凄みが出るのである。

終盤、香川照之が野球部の少年を教室に呼びつけるシーン、浩一の(2軒目の)クリーニング屋でのシーン、そして、浩一とピアノを教わってる少年との対決──いずれもすごいシーンだった。

映画を見終って、帰りのエレベータの中で20歳くらいの男たち何人かが笑いながら語り合ってた。

「結局なんも解決しないままで終わったね」
「監督が自分で(主演して)おいしいとこ全部持って行ったね」
「あの、最後のシーンは何を意味してたんやろ?」
「結局監督の言いたかったことは何や?」

こういう風にいつまでも考え続けさせるのがこの映画の力である。

ただし、お兄ちゃんたちねえ、君らがひと言でまとめられるようなことが「監督の言いたかったこと」だとしたら、監督はその1行の言葉を口で言うか紙に書くかするだろうよ。映画にするってことはもう少し複雑な構造なのよ。

一旦解体して自分の中で再構築することによって、複雑なものを複雑なままで全体像を捉えることが大事なんだな。映画も、世の中のいろんなことも。

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