『私自身の見えない徴』エイミー・ベンダー(書評)
【8月9日特記】 なんともしんどい本だった。読むのに1ヶ月以上もかかってしまった。前作の短編集『燃えるスカートの少女』よりもずっとずっとしんどかった。
しんどいと言ってもエリクソンやデリーロみたいに難しかったり複雑だったりするのではない。ああいう過剰感を伴うしんどさではなく、どこか何か欠けているような、読んでいて全貌が掴みきれずにイライラするようなしんどさである。まるで夢の中の出来事のようにどこか漠としてすっきりしないのである。
全てが寓話のようであまりに感覚的。そして物語の中で登場人物が展開するのは隠喩と印象論。よく言えば詩的なのだが、悪く言えば作者の独りよがりのような気がする。きっとハマる人は最初の段落からハマってしまう小説なのだろうと思う。だが、残念ながら僕はその対極にあるようだ。
主人公は数学が好きな少女、モナ・グレイ。
数学がらみの小説と言えば『博士の愛した数式』が挙げられるが、あれほど数学の美しさに寄った話ではないので、そこから小説に対する取っ掛かりを掴むこともできなかった。
僕が不意に思い出したのは小川洋子ではなくよしもとばななだった。ベンダーとよしもとが表面的にどれほど似ているかと言われれば甚だ心許ない。だが、なんか直感的によしもとばななにハマる人はきっとエイミー・ベンダーにハマるような気がしたのである。
この辺は何も根拠があって言っていることではないので、もしこの両者を読んだ人がいたらその両方の感想を聞いてみたいものだと思う。
モナは10歳の誕生日にピアノをやめて以来、次々といろんなことをやめ続けている。デザートを食べるのをやめ、飛び抜けて速いランナーであったのに陸上競技をやめ、近所のダイナーで働くのをやめ、卵入りサラダをやめ・・・。やめなかったのは木製のものをコンコンとノックする癖と数学くらいのものだ。
そして父が病気になる、小学校の先生になる、20歳の誕生日に斧を買う、首から数字をぶら下げた男が登場する・・・。物語はあまり脈絡なく、思いつきで書かれたみたいに続いて行く。──この辺りが読んでいてとてもしんどい。
ところが終盤、最後の50ページくらいのところから、物語は一気に小説世界としてのまとまりを見せてくる。半分眠りに落ちながら読み進んできた僕は突然目が覚めてしまった。今まで関係のなかったものが一挙に繋がりを見せてくる。俄かに面白くなってくる。
そしてここまでずっと明瞭なテーマを持って進んできたのだということに気づく。人の死というものに対する心の揺れが、今まで騙しみたいに隠されていたのに最後になってくっきりと浮かび上がってくるのである。
もちろん、いきなり最後の50ページだけ読んでもこういう感動は得られない。それが読書の醍醐味である。最後まで読むと最初と繋がる。本当に最後まで読んでよかったと思わせてくれる小説であった。
思いついたことを並べているように見えて、実は意外にしっかりした構想を持つ巧い作家だったのである。
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