テレビマンユニオンニュース No.587
【7月31日特記】 テレビマンユニオンニュースという会報がある。制作プロダクションであるテレビマンユニオンが2ヶ月に1回発行しているA4版16ページの冊子(ったって綴じていないので、まあ新聞みたいな作りである)。
テレビマンユニオンと仕事上のお付き合いができるといつの間にか送ってもらえるようになる。これ、しかし、ユニオンのメンバー以外に何人の読者がいるのだろう? かなりの数になると思うのだが、無料なのである。多分投資であると割り切っているのだろう。だから、これはテレビマンユニオンから我々へのメッセージであると心得て心して読むようにしている。
中味は毎回ものすごく充実している(もちろん一般視聴者向けの内容ではないが)。時々理屈に走りすぎているかなと感じることもあるが、一様に面白い。特に重延会長が書かれた記事はしばしば大きな感銘を受ける。まさに眼から鱗が落ちるとはこのことだと思うような大きな「気づき」を与えてくれることもある。
だが、全般に難しい。だから、気力が充実して頭脳が冴え渡っている時しか読めない。それで今ごろ「May.31 2006 No.587」を読んでいる訳だ。もう少し体調が良い時に読もうと先送りにしているとついついこんなタイミングになってしまうのである。
その「May.31 2006 No.587」の1面の見出しは「映画を作りながら考える ──『花よりもなほ』と『ゆれる』を巡って──」である。
そう、一般の方はご存じないかもしれないが『花よりもなほ』の是枝裕和監督も『ゆれる』の西川美和監督もテレビマンユニオンの“メンバー”なのである。もちろん、2人の監督だけではなく多くのスタッフもまたユニオンの“メンバー”である。
ともに製作委員会方式の映画であるが、当然のことながらテレビマンユニオンはその委員会のメンバー、つまり出資者の1社である。
で、今回は是枝監督が4ページ、そして『ゆれる』のPである熊谷喜一氏が2ページに亘る記事を書いていて、これらを読むとものすごくいろんなことが解る。
『花よりもなほ』のおんぼろ長屋は何故坂道に建てられたのか?──それは道の真ん中に人物を立たせてそれを正面から撮ったときに奥の背景が空白にならないためだと言う。
横に広いヨーロッパビスタサイズのカメラを選んだために、左右に今までより広がったスペースを利用して、1)手前のボケ、2)中景、3)バックと、画自体を三層構造にして情報量を増やし、貧乏長屋の住人の猥雑感を表現したと言う。
代書屋のシーンでは、止まって会話する人間のロングとアップを繰り返す(そうすると照明と撮影の作業は楽になる)のではなく、人物を動かしてアングルを変え、セットの4方向全てからの画を収めたと言う。
なんとなく画の新鮮さは感じていたものの、ここまで意図的に作られたものだと知って我々は恐れ入るのである。
そして、これらの解説に入る前に、記事の冒頭から展開されている「ナレーションとは何だろうか」という分析が、これまためちゃくちゃ面白い。
観客は制作者の意図を決して完全には読み取れないのである。にもかかわらず制作者は一生懸命いろんなことを考えて作品を作り上げている。だから僕は、制作者が意図したことではないことまで含めて、いろんなことを画面から読み取ろうとする。決してぼーっと画面を眺めてストーリーを追うだけだったり、女優の顔に見惚れるだけだったりする訳には行かない──それが僕の映画の見方である。
今回この記事を読んでそんなことを思った。
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