映画『ハチミツとクローバー』2
【7月27日特記】 確か昨日の朝日の夕刊(だったと思うのだが)にハチクロの映画評が載っていた。
正確に引用しようと思ったのだが、家中探しても昨日の夕刊だけが見つからないので不確かな記憶で書くしかない。
記事は前半で適当に褒めた後、映画『NANA』と比較して、NANAは性的な関係を描いているけどハチクロはそれを描いていない、その点でNANAより劣る──というような論旨だった。
うーん、こういう批判、ありがちなんだけど、違うと思うんですよ。
ホントにそういう批判は大昔からあちこちで為されていて、例えばムーンライダーズが出したどのアルバムだったかが某音楽評論家に「セックスを描いていないので気持ちが悪い」とか何とかボロカスに書かれて、怒った鈴木慶一が次のアルバムでは歌詞にセックスを満載したことがあった。
NANAとハチクロを比べると、確かに僕もNANAのほうが映画としては数段上だと思う(『NANA』の映画評はここにあります)。でも、それはセックスを念頭に置いているかどうか、セックスを描いているかどうかとは関わりのない話だと思う。
全ての男女が出会ってすぐにセックスするわけではない(最近そういう男女が増えているのは確かだろうけど)。映画ハチクロで展開されるカッコ悪い恋愛はどれもまだ肉体関係どうこうの段階まで至っていない。その入り口を入ったばかりの過程を描いている映画なのだから、セックスが出てこなくても仕方がない。
「セックスするに至らなくても性的衝動はあるだろうが(特に男の場合)」という批判もあるかもしれない。確かにこの映画では性的衝動さえ描かれていない。セックスを連想させるものが出てこない。
しかし、まあ、2時間で全ての要素を描けるわけではないので、まあ仕方ないでしょ、と言うか、まあいいじゃないですか──というのが僕の感じ方である。
単一の基準を設けて、「○○があればOK、なければダメ」みたいな方法で物事を判別するのはとても楽チンである。でも、そういう判断は決して本質に触れることはない。
問題となるのは○○を描いているかどうかではなく、○○を巧く描けているかどうかなのである。
描いているかどうかが問題となるのは、本来あるはずのものを、必然的に出てくるものを、意識的/無意識に描いていない場合のみである。それは例えば『日本沈没』でセックスしなかった草彅剛と柴咲コウのような場合である。
ハチクロでは、セックスはまだ影も形もないと言えないだろうか? 肉体の関係に到達するには程遠い不器用な恋って、誰しも経験ありませんか?
僕はあったなあ。そして、この映画を観て、少しそれが甦った。朝日新聞に書いていた映画評論家氏にはそういう思い出ってなかったんだろうか?
ま、ただ、重ねて書くけど、映画としてNANAのほうが遥かに良かったことだけは認めるが・・・。
Comments
はじめまして。
映画大好き、ハチクロ大好きなので寄らせていただきました。
私は「ナナ」より「ハチクロ」派です。(笑)
テレビの「ハチクロ」は何ですが、、、
あの MAYA MAXX の絵だけでも
価値があると思いました。
Posted by: ポンポンダリア | Thursday, May 09, 2013 23:01
> ポンポンダリアさん
こりゃまた7年も前の記事にコメントありがとうございました。
しかし、さすがに今読み返すまで、何書いてたか自分でも全く憶えていませんでしたよw
Posted by: yama_eigh | Thursday, May 09, 2013 23:45