CX『ザ・ヒットパレード・渡辺晋物語』1
【6月14日特記】 ちょっと仕事上の必要もあって録画しておいたCX『ザ・ヒットパレード 芸能界を変えた男・渡辺晋物語』をようやく観た。5/26(金)27(土)の放送だから随分長い間ほったらかしにしておいたものだ。
業界人の中には見て貶している人もいたが、僕は却々良かったと思う。そして、いやあ、フジテレビにやってもらって良かったなあと思う(これ読んでてこの意味するところを読み取れる人が何人いるか疑問だが・・・。でも、これ以上書けない)。
単なる渡辺晋・美佐夫妻の成功物語なら見なかった(いや、「仕事上の必要」のため見るには見ただろうが、こんなにも楽しめなかった)だろう。
まず感じたのは才能(の持ち主)のある(いる)ところに才能(の持ち主)が集まるということである。この番組の中には僕が尊敬する、あるいは敬愛する、少なくとも一目置いている先哲たちがたくさん登場している(以下【 】内はこのドラマの中での配役)。
渡辺晋【柳葉敏郎】が元ベーシストであることは知っていた。美佐【常盤貴子】が彼のバンドのマネージャであったことも知っていた。しかし、そのバンド・シックスジョーズの初代ピアニストが中村八大【ふかわりょう】だったとは知らなかった。中村八大は『上を向いて歩こう』をはじめとする坂本九の一連のヒット曲や『黒い花びら』(水原弘)、『遠くへ行きたい』(ジェリー藤尾)などの作曲者である(もちろん、そのことは知っていた)。
そして、中村八大が抜けた後のピアニストが宮川泰【近藤芳正・・・見事なハマリ役だった】であったことも知らなかった。もちろん宮川泰がザ・ピーナッツ【安倍なつみ・麻美】の育ての親であったことは知っていたが、もともとバンドのメンバーであったこと、そして後々までもずっと渡辺家に入りびたりだったとは知らなかった。
ご存知ない方のために一応書いておくと、宮川泰は「和製ポップス」の先駆的な作曲家である。ザ・ピーナッツのデビュー以来の多くのヒット曲を手がけたほかに、西田佐知子の『涙のかわくまで』や沢田研二の『君をのせて』など日本歌謡史に残る名曲を数多く残している。『宇宙戦艦ヤマト』も彼の作品である。
クレージーキャッツが渡辺プロの第1号タレントであったことは知っていたが、既存のバンドであったのではなく、渡辺晋の旧知のミュージシャンであったハナ肇【阿南健治・・・この役者結構良かったです】を中心に植木等【陣内孝則】ら1本吊りで集めたメンバーをも含むバンドだったとは知らなかった。
ザ・タイガースのヒット曲のほとんどや『学生街の喫茶店』を含むガロの一連のヒット曲の作曲者であり、近年では『ドラゴンクエスト』のゲーム・ミュージックの作曲者として有名なすぎやまこういち(椙山浩一)【原田泰造】が元々ラジオ局の社員であったことは知っていたが、開局時にCXに移り、『ザ・ヒットパレード』の初代ディレクターを務めていたとは知らなかった。
その椙山の同級生で、『ザ・ヒットパレード』のスタート時に椙山が引っ張り込んだのが青島幸男【石黒賢】であったことも今回初めて知った。若い人のために書いておくと、この人は日本初の「放送作家」であり、『意地悪ばあさん』で人気を博した役者でもあり、後の参議院議員/東京都知事である(同姓同名ではない)。
クレージーキャッツのヒット曲のほとんどに詞を提供していたのが青島幸男であるのに対して、ほとんどに曲を提供していたのが荻原哲晶である。今回この人物が登場しなかったことだけが残念である。
このようにして、様々な才能がみんな渡辺晋・美佐夫妻という才能を中心に繋がっていたのである。もちろん時代が違うということもあるだろう。一部の人間だけがこじんまりと業界を動かしていたとも言える。もしも今、新番組の企画立ち上げの際に「昔から他人を笑わせるのが好きだった」というだけの理由でプータローの元同級生を構成作家に起用したりしようものなら「公私混同も甚だしい」と一言の下に却下されるだろう。
しかし、当時はそんな繋がりでしか人を探せなかっただろうし、何よりも凄いのは、そういう人たちのほとんどが大成していることである。
そういう理由で僕にとっては前編のほうが見応えがあった。
このような、まだ新しい歴史をドラマ化する場合非常に困難がつきまとうものである。ドラマ化する上では誰かが悪く描かれる恐れがあるのであり、その人が存命の場合強いクレームが寄せられる恐れがあるからだ(亡くなっていたとしても遺族の反感を買う恐れがある)。下手すると芸能界の勢力争いに巻き込まれてしまうというつまらないことにもなりかねない。この辺を巧く捌けるとなると、やはりフジテレビなんだろうなあ。
一時渡辺晋と対立するスポンサーの社長は大空石油の森山社長【時任三郎】という架空の人物になっていた。この人物とは最後に和解するので、仮にモデルとなる人物が実在したとしてもそういう意味では救いがあったのだが、一方、ロカビリー・スターの山下敬二郎はただのバカで我がままな若造に描かれていた。これで果たして大丈夫なんだろうか、とちょっと心配になったりもした。
今回強く感じたのは、カメラマンはもう完全に16:9の横長画面を前提に画を作っているなあということ。
もちろんドラマの場合、我々はもう何年も前から16:9のハイビジョン・カメラで撮影している。ただ、それが地上波アナログで放送される時には両端が切り取られて4:3の画面になる(いわゆるエッジ・クロップまたはサイド・カット)を前提として撮っていたはずだ(13:9という「奇手」もあったが)。
ところがこのドラマでは、例えば2ショットの構図などを見ると、もちろん地上波アナログでは両端が切られることも多少意識はしているだろうが、地上波デジタルの横長画面を完全に優先していることがはっきりと見て取れた。
それとも、この番組は地上波アナログでもレターボックス形式(16:9の横長画面の上下に黒い帯が出る)で放送したんだろうか? そうかもしれない。ただ、僕自身はデジタルで見たので定かではない。
ベテラン矢島正雄の脚本も非常に良かった。配役も的を射ていた。特に常盤貴子──僕はこの人、ややオーバー気味の女優で、決して飛びぬけて巧いとは思わないが、飛びぬけて魅力的な女優であることは確かだと思う。明るい表情がとても良いのである。
実在の人物のドラマ化であり、しかも、いまだに芸能界に強い影響力を持つ人たちの物語だけに、業界の中ではいろいろと取り沙汰された。まあ、それは仕方がない。でも、もう一度書くが、僕は純粋に面白かったと思う。
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