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Tuesday, June 06, 2006

泣いた映画(as of Jun.2006)

【6月6日特記】 先日「泣いた映画」というタイトルの一文をHPのほうに再掲したのだが、その後少し増えて生涯で7本になった。

  1. 『ソルジャー・ブルー』(ラルフ・ネルソン監督、1970年)
  2. 『あゝ野麦峠』(山本薩夫監督、1979年)
  3. 『クール・ランニング』(ジョン・タートルトーブ監督、1993年)
  4. 『フォレスト・ガンプ 一期一会』(ロバート・ゼメキス監督、1994年)
  5. 『トニー滝谷』(市川準監督、2005年)
  6. 『タッチ』(犬童一心監督、2005年)
  7. 『嫌われ松子の一生』(中島哲也監督、2006年)

上記の年号は製作年/公開年ではなく僕の鑑賞年である。TVやDVDで観たものは含めていない(もっとも、TVやDVDで泣いたことはないが)。

また、ここで「泣いた」と言うのは「涙が溢れて頬を伝って流れた」という意味に定義している。目がウルウルしても、睫毛が多少湿っても、表面張力が破れて涙が零れなければ「泣いた映画」には含めていない。

こうやって並べてみて改めて気づくのは、80年代は1回も泣いていないということだ。我ながら強い青年期であったようだ。それでも人生トータルでは映画館で観た映画の1%以上で涙を流している。

HPのほうの記事にも書いたことだが、「泣いた映画=良い映画」ではない。世の中にはそういう基準で映画の出来を測っている人もいるが、僕の場合は全く当てはまらない。

他人が泣きそうもない映画や泣きそうもないシーンで泣きそうになったり泣いたりしたことも少なくない。

きっかけがあれば人は泣けるのである。

それは映画の中の1シーンかもしれない。たった一言の台詞かもしれない。あるいは終盤のストーリーの行方かもしれない。だが、それはあくまできっかけに過ぎない。本当に人を泣かせる要素は映画の中にだけあるのではなく、むしろ自分の中にある場合が多いのではないだろうか? 僕はそんな風に思う。

そして、その要素が自分の内部のものであればあるほど、泣くことによって自分が浄化されるような気がする。とても不思議だ。

世の中には、本であれ映画であれ、ともかく泣けるものばかりを好む人がいるが、僕には全く当てはまらない。

他人が泣くはずのない映画や泣くはずのないシーンで不意に流れ出した涙の温かさで僕は何かに気づくのである。その何かが何なのかは明確には言えないのだが、もしかしたらそれは他ならぬ「自分」に気づくということなのかもしれない。

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