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Monday, May 08, 2006

恥じらいは塩

【5月8日特記】 昨日の記事の続きなんですが、このブログのアクセス解析を見ていてここのところ目立つのは「松梨智子 ヌード」という検索フレーズ。前に「真木ようこ オナニー」という検索フレーズが多かったことは書きましたが、どうも僕にはその心境がよく解りません。

そして、それよりもそういう単語を検索してこのブログにたどり着いてしまった(多分男性の)人に対して、ご期待に添えなかったのではないかという気持ちで一杯です。

で、思い出したのですが、その松梨智子監督の『映画監督になる方法』についての記事での僕の書きっぷりを見たアロハ坊主さんに「最後の締め言葉はらしくないので、ちょっとびっくりしました」と書かれてしまいました(このブログ上ではなくアロハさんのブログで)。

これはね、(自分で解説すると嫌らしくなるけど)ひとつにはあの映画の中に埋め込まれていた「映画制作のためなら身体も売る」というテーマに引っ掛けたということもあるし、実物の松梨監督が結構色っぽい人だったという褒め言葉でもあり、一方で映画の中での松梨智子の裸はちっとも色っぽくなくてむしろ1つの手段にしか見えないという意味も込めた、自分としては非常に深い表現のつもりだったんですよ(笑)

服を着ている松梨監督に色気を感じるのに、何故映画の中で脱いでいる松梨智子には色気を感じないか?──それは羞恥心が感じられないからなんです。

だからいくら脱いでも絡んでもそれはエロティックなシーンにならないんです。で、エロティシズムを捨てるのであれば、バカバカしい路線で行くしかなくて、そうなると単に脱いだだけでは面白くもおかしくもないので、「カメラに向かって股おっぴろげるところまで行かないと・・・」という表現をしてみたのです。

これは映画『寝ずの番』でも同じで、木村佳乃がパンティ脱いで今わの際の長門裕之の顔の上にまたがろうとも仰天するような春歌を歌おうとも全く色気が感じられない──というのが僕の感想です。なんか木村佳乃が“素”なんですよね。日常的なんです。

色気とかエロティシズムって一番卑近な“非日常”でしょ? 同じ『寝ずの番』に出てた女優でも高岡早紀には色気がありました。卑近な非日常がありました。そして、卑近な非日常って羞恥心なんですよね。

恥じらいは塩です。足りないと味気ないし、多すぎるとこれまた食えたもんじゃないんですけど・・・。

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