映画『間宮兄弟』1
【5月13日特記】 映画『間宮兄弟』を観てきた。すてきな映画を観た後は書きたいことが頭の中にぎっしりとすし詰めになって頭蓋骨が破裂しそうな感じになる。今まさにそういう感じ。
僕は人生で、あまりにすごい出来の映画を観て、感動を通り越して「なんでこんな映画が撮れるんだろう」と嫉妬のあまり絶望に沈み込んだ監督が2人いる。そのうちの1人が森田芳光である。
──その時に観たのが彼の劇場用35ミリ・デビュー作『の・ようなもの』。1981年10月24日、今はなき梅田コマ・シルバーでのことだった。宣伝文句は確か「ニュアンス映画」だった。
以来僕は彼の作品をたくさん観ているが、あの『の・ようなもの』ショックを経験した者にとっては、「文芸大作なんか撮られたってなあ」という気分がある。何度か書いたように、僕はあの映画の中に出てきた「メジャーなんて、目じゃぁないっすよ」という台詞が大好きなのだ。だから最近の作品はあまり観ていない。
翌年のデビュー第2作、シブがき隊主演のアイドル映画『ボーイズ&ガールズ』も当然観て、ますます森田芳光のファンになった。それに続く2作『噂のストリッパー』(本当は頭に丸囲みの「本」がついて「ホンマル・うわさのストリッパー」と読ませるのだが、フォントがないしどうせ文字化けするだろうからここでは省略した)と『ピンクカット 太く愛して深く愛して』は知らない間に公開が終わっていたのだが、アイドルものに続いてにっかつロマンポルノを撮る監督の自由さに感心した。
そして、その次の作品が彼を一躍有名にした『家族ゲーム』である。それに続いて沢田研二主演で『ときめきに死す』──あの、走ってる車の周りをぐるっと1周するカメラワークには度肝を抜かれた。
そして、その次が薬師丸ひろ子の『メインテーマ』。何を隠そう僕は薬師丸ひろ子のデビュー以来のファンだが、彼女の出演映画の中ではいまだにこれがベストだと思っている。実は映画館に3回も(最初の2回は遅刻して冒頭の何十秒かを見落としてしまったことを口実に)観に行っている。
そして、その次が『それから』。そう、この当時はまだ文芸大作の映画化であってもちゃんと見に行っていたのである。ただし、これは「はあ、夏目漱石が森田の手に掛かるとこんな風になるのか」という溜息ものの作品だった。
それに続く『そろばんずく』と『悲しい色やねん』は見逃してしまったが、同じ時期に彼がプロデュースした『バカヤロー』シリーズは何本か観た。そして、その次が石田純一主演の『愛と平成の色男』である──これが僕にとって2度目の大ショックだった。これまた『の・ようなもの』に負けず劣らぬ雰囲気ものの傑作だった。
さて、森田のフィルモグラフィーを逐一追っていてはスペースばかり食ってしまうので、そろそろ本題に入ろう。
ストーリーはあまり書いてもしょうがない、と言うか、あまり書かないほうが良い、つまり観客にとってはあまり事前に読まないで観たほうが面白いと思う。原作は江國香織。僕も1冊か2冊は読んだことのある作家だが、まあどちらかと言えば女性向きの作家かな。で、この原作は残念ながら読んでいない。どこまでが原作どおりでどこからが森田のアレンジなのかとても興味深いのだが・・・。
30歳過ぎて独身で2人一緒に暮している変な兄弟の話である。兄の間宮明信が佐々木蔵之介、弟の徹信がドランクドラゴンの塚地武雅。ドランクドラゴンの相方・鈴木拓もちょい役で出演している。
2人ともちょっとオタクで女にもてない、と言うか縁がない。でも2人とも何故だか非常に好感の持てる人物。兄がビール会社の商品開発研究員で弟が小学校の校務員。その兄弟が勇気を振り絞って、弟の小学校の女性教師(常盤貴子)と2人の行きつけのビデオレンタルショップの店員(沢尻エリカ)を自宅でのカレーパーティに誘う。等々、2人の日常を描いた映画。
冒頭が大井の操車場付近の橋の上に停めた自転車の、ほとんど真上からに近いクレーン・ショット。そしてカメラがゆっくり遠方に振ると橋の欄干に向こう向きの塚地がいる──この1シーンだけ見ても画にものすごく力がある。そこら辺のぽっと出の監督とは大違いである。その後の土手でのパン、鉄橋と空など、映画全編を通してこの構図の凄さ、美しさ、説得力は一瞬たりとも途切れない。
2人が暮すマンションの壁一面の本棚に並ぶ本やゲーム盤や紙飛行機や、その他諸々の雑多なもの、そして2人の着ているパジャマやシャツ──それら一式のカラフルさ、これはまさにあの『の・ようなもの』の色彩感覚である。
パンフレットを読むと今回森田がはっきりと『の・ようなもの』を意識して作った映画だということが判る。本人が「『の・ようなもの』を超えられるかもしれない」と語ったのだそうである。
台詞廻しも本当に森田特有のニュアンスたっぷりの仕上がりである。良い台詞がたっぷりある。笑って聞きながら、その含蓄に共感を覚えるのである。
そして、これまたパンフレットを読んで狂喜乱舞したのだが、森田自身がこう言っているのである──「僕は、セリフを物語の進行上の意味合いとして俳優がしゃべっているのは嫌いなんですよね」──これは僕がHPやブログで繰り返し書いてきたことではないか! これを読んでものすごく嬉しく思ってしまった。
そのニュアンスたっぷりの台詞や仕草や効果音に、観客の中から何度も笑いが起きるのだが、爆笑するところが観客によって微妙にずれているのである。僕が爆笑しているところで隣の女性はクスッと笑っていて、僕がちょっと笑ったところで遠くのオッサンが馬鹿笑いしているのである──こういうのって、なんか、とても良いなあと思う。そう、この映画自体が、こういうひとりひとりの個性の違いを大切にした作品なのだから。
ラスト近くの2人が自転車で夜の街を走るシーンは、『の・ようなもの』のラスト近くで新米落語家の志ん魚(「しんとと」と読む、扮していたのは伊藤克伸)が夜が明けるまで東京の街を歩いた長いシーンを髣髴させた。
そう、この映画のテーマも「人間は面白い」ということに尽きる。そして、「人間は捨てたもんじゃない」ということにも繋がる。森田はよく変な奴を描くが、変な奴に対する優しさというのは許容能力の大きさの証である。そして、多様性を許容する社会こそが成熟した社会なのであり、楽しく正しく暮して行ける環境なのである。
楽しく笑っただけで帰る観客もいるだろう。でも、僕は笑いながら胸がじんわりと熱くなってしまった。
沢尻エリカ(この娘は1作ごとに良くなるねえ!)や高嶋政宏(この役者にこういう役柄を充てたのは見事!)、中島みゆき(なんと兄弟のお母さん役!)など共演陣もニュアンスと魅力たっぷり。いやあ、これは『の・ようなもの』、『愛と平成の色男』に続く3度目の“森田ショック”だなあ。
スタッフ・ロールの後、短いシーンが残ってるので慌てて席を立たないようにね。
★翌日書き足した「映画『間宮兄弟』2」も合せてお読みいただければ幸いです。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
「朱雀門」という方法・第2章
Swing des Spoutniks
日っ歩~美しいもの、映画、子育て...の日々~
アロハ坊主の日がな一日
Comments
こんばんは
私は爆笑とまでは行かなかったものの楽しく鑑賞できました。中盤を過ぎたあたりから不覚にも膀胱がキリキリしてしまったせいで、笑う余裕がなかったかも知れない(汗)。
とはいえ、本作のようなゆるいムードの邦画は好きです。
恥ずかしながら、森田作品は『バカヤロー』シリーズを何度かテレビで見たくらいしか記憶にありません。でも『愛と平成の色男』というタイトルで主演が石田純一・・・そのまんま、というか笑ってしまいますね。今度ツタヤで探してみます。
Posted by: 朱雀門 | Wednesday, May 24, 2006 00:20
> 朱雀門さま
コメントありがとうございます。
ただ、あのう、『の・ようなもの』は観た人の多くが腰抜かすほど驚いて、その評判が口コミで広がった映画ですが、『愛と平成の色男』については僕が勝手に気に入っているだけで、他に褒めてた人は1人しか知りません。
だから、そんなキワ物からご覧になるのではなく、デビュー作の『の・ようなもの』か、あるいは(『の・ようなもの』も結構マニアックな作品なので)、賞もたくさん獲って森田の名前が一躍一般に知られるようになった『家族ゲーム』あたりからご覧になるのが無難かと思うのですが・・・。
Posted by: yama_eigh | Wednesday, May 24, 2006 12:14