『夜の公園』川上弘美(書評)
【5月25日特記】 読み始めてすぐに「随分ねっとりとした小説だなあ」と思った。それが読み進むうちにいつの間にかしっとりとしてくるから不思議だ。
恋愛の話である。夫婦の話であり、浮気の話であり、不倫の話である。三角関係っぽい話でもあり、ひとりで二股・三股という話でもあり、やがて別離の話でもある。そして、ことは必然的にセックスの話にも及ぶ。ねっとりとしたセックス、しっとりとしたセックス。
この小説は解る人と解らない人の2通りに別れるだろうな、と思う。解る人は淫乱な人で解らない人は清く正しい人だと言う気もなければ、解る人は粋な人で解らない人は無粋な人だと言う気もない。ただ、解る人と解らない人に別れるんだろうな、と思う。
僕は随分解る気がした。リリの気持ちも幸夫(ゆきお)の気持ちも、春名の気持ちも悟の気持ちも暁の気持ちも、そして遠藤の気持ちも。みんな別々の方向を向いて別々のことに思いを馳せているにもかかわらず、登場人物全員の気持ちが手に取るように解る気がした。
こんなことって前代未聞だ。そもそも登場人物全員の気持ちに神経が及ぶことが前代未聞だ。大抵は主人公1人か、プラス重要な登場人物1人くらいにしか思い及ばなくて、その1人か2人に感情移入できるかどうかで読後感が定まってくるものだ。
では、この小説の主人公って? やっぱり上に挙げた6人のうち遠藤を除く5人が均質に主人公なのだ。リリと幸夫の夫妻、リリの親友・春名、そして悟と暁(この2人の関係については書かない)──この5人5様の淋しさと哀しみが、しかし均質に染みてくるのである。
作家と登場人物を混同し同一視するのは全く馬鹿げたことだと頭では理解しているのに、ついつい「川上弘美はこんな風に哀しい恋を重ねたり、何人かの男の温もりに体を預けたりして豊かな経験を積んできたんだろうな」などと埒もない想像に耽ってしまう。
「持ち重り」「おもたせ」「飛びすさぶ」「よるべない」「言いおく」「いとけない」・・・川上弘美の小説を読んでいると、目にしたことはあっても自分では一度も使ったことのない表現、辞書を引かないと意味に自信が持てない表現(特に最初に挙げた2つは初めて目にした表現だった)がたくさん出てくる(しかも、全てやまと言葉だ)。
その豊富な語彙によって僕らは彼女の世界に引き寄せられてしまう。こんなにも哀しい小説なのに、読み終わると僕らは不意に人恋しく、肌恋しく、恋が恋しくなってしまう。
「ほろほろと秋が去る」ような気がして。
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