映画『ブロークン・フラワーズ』
【4月29日特記】 映画『ブロークン・フラワーズ』を観てきた。三宮・シネリーブル神戸。
ジム・ジャームッシュ監督作品を映画館で見るのは『ミステリー・トレイン』以来16年振りである。
主人公はビル・マーレイが扮するドン・ジョンストン。ドン・ファンになぞらえられるくらいのプレイボーイで生涯独身を貫いている中年男。が、映画の冒頭で、同居していたシェリー(ジュリー・デルピー)が愛想をつかせて出て行く。
主人公ドンはなんとも覇気のない男で、家ではいつもジャージを着ている。なんでこんな男がかつてドン・ファンと言われるくらいのもてもてぶりだったのだろうと、見ていて不思議になる。
そこへ舞い込んできた一通の手紙。ピンクの封筒にピンクの便箋、赤い文字、差出人なし。「あなたと別れてから妊娠に気づいた。あなたの息子はもうすぐ19歳。多分あなたを探す旅に出ました」とある。
それを聞いたエチオピア系の隣人ウィンストン(ジェフリー・ライト)は相当お節介焼きの人間で、ドンに20年前の恋人のリストを作れと言う。ドンが5人の女性の名前と当時の住所などを書いた紙を渡すと、翌朝には4人の現住所と1人の墓場の住所リストができていた。ドンはウィンストンの指図に従って、不承不承ながら彼女たちを訪ね、誰の産んだ子供なのかをつきとめる旅に出た。
──ま、あらすじはこのくらいにしておこう。と言うか、筋なんか書いても仕方がない映画なのである。
ドンがかつての女たち(シャロン・ストーン、フランセス・コンロイ、ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン)を一人ひとり訪ねて行く。彼女たちのその後の人生はホントに千差万別である。ドンの鈍い反応を見ていると、監督の狙いがどの辺りにあるのかよく判らない──好きだなあ、こういう映画。
ハリウッド・メジャー流の起承転結に慣れてしまっている観客がこれを観ると多分訳が解んないんじゃないかな、ざまあ見ろ。で、「あ、ひょっとして、ここでバサッと終わってしまうのか!?」と思った瞬間に映画は終わった。後は観た人が自分で考えるしかないのである。こういうのこそが本物の“刺激”と呼べる代物なのである。
ウィンストンがダビングしてくれたCDから流れるエチオピアの音楽がなんとも不思議。他にも多くの曲が流れるがいずれも微妙な雰囲気。
それで、このストーリー、この演技、この幕切れ。うーむ、余韻甚だ深し。あっぱれ、ジム・ジャームッシュである。
パンフレットにいろんな人がいろんなことを書いているが、ちょっと解釈のしすぎ。なんか読んでいて頭の悪い奴が頭の悪いインタビューをしているなあという感じ。丸ごと雰囲気を受け止めて、暫しうーんと唸っていて良いのではないかな?
性急に答えを求めることではなく、考えること自体に意味があるのだと思う。
★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。
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Comments
コメントいただきまして、ありがとうございます。
>こういうのこそが本物の“刺激”と呼べる代物なのである
この言葉に感銘を受けました。
本当にその通りだと思います。
Posted by: mambotaxi | Monday, May 08, 2006 23:20