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Tuesday, April 25, 2006

映画『映画監督になる方法』

【4月25日特記】 映画『映画監督になる方法』を観てきた。渋谷シネ・ラ・セットのレイトショー。この映画館は2回目だがなんとも不思議な空間だ。何せ客席の前半分はソファなんだから。いや、ソファが並んでるだけなら驚かない。ちゃんとテーブルがセットされているところに驚くのである。

「映画監督になりたい」・・・そんな夢を持つ若者たちの可笑しくも切ない物語──と、パンフの冒頭には書いてあるのだけれど、この文章から受ける印象と実際に映画を見て受ける印象は天と地ほど違うぞ(笑)

松梨智子という監督はインディーズ界では超有名な「バカ映画」の第一人者らしいのだが、ホントに絵に描いたようなおバカな出来で、ばかばかしくって見ちゃいられません。

全てがチープ。ま、制作費300万円じゃしょうがないけど、それにしても演技までチープ。おまけにパンフがこれまたチープ。1枚のB4の紙を半分に折っただけ(もっともそれなりに堅い立派な紙に両面カラー立体印刷してあったけど)のもので、僕が生涯買ったパンフの中で一番薄い。

で、その演技のチープさは恐らく意図された演出なのだろう。そうすることによって、予算がないことまで監督の意図的な演出に思えてしまい、観ているほうはチープさを誤魔化されてしまうのである。

しかし、このチープなオーバー・アクションでは観客の笑いは取れない。確かに客席の前のほうでクックックッと引き笑いをしている人が何人がいたが、これではオタクには受けても一般の観客には受けないだろう。

町田マリー扮するイチゴちゃんが悪党にキックを入れるとき、子供向け実写ヒーローものによくあるように一旦飛び上がって空中で一回転してから蹴るのだが、その空転のシーンを放り投げた人形を映して終わりにする手抜き具合とか、まんたのりおが扮する天才映像作家キタガワの幼少時代を描くのに子役を使わず、今年40歳になるまんた本人がスモックと帽子を着用して幼稚園児を演じていたりする発想は天才的に面白いのだが、出演者、特にまんたのりお&松梨智子の過剰演技と全体的なチープさが気になってしまう。

とある新人映画コンテストでグランプリを獲り損ねて映画デビューできなかったイチゴちゃんと天才キタガワ。キタガワは理想ばかり高く1本も映画を撮れないまま収入もなく女にも捨てられ、フラフラしている時に再会した知人の勧めでAVに転ずる。一方イチゴちゃんのほうは自らのコスプレ出演でそこそこの映画的成功を果たすが、いつまでもコスプレでは売れないことに気づいて、話題づくりのためにキタガワのAVに出ることにする。

「映画のためならセックスだってする」という空回りの仕方が、自らヌード出演している松梨智子監督の態度と相俟って、「映画バカ」に対する見事なアイロニーになっている。

今まで彼女が撮ってきた「バカ映画」がどんなものか知らないのだが、この映画に関しては決して単なる「バカ映画」に終始することなく、「映画バカ」の性癖をなかなか巧く捉えていると思う。キタガワの極端なまでの自信過剰ぶりも戯画化としては大成功である。

このバカ・テーストは偶然や結果的なものではなく、紛れもなく松梨監督の趣味なのだろう。それを嫌う人もいれば好きな人もいるだろう。このばかばかしさを除いてしまうと松梨監督の良さが半減してしまうと思うファンもいるのだろう。

しかし、こういうバカは歳を取ってからもできるものではないし、たとえ松梨本人が(歳を取ってから)できたとしても客のほうが見たくないだろう。そして、自らヌードになっているとは言っても、それは単なる「ヌード」なのであって、例えばカメラに向かって股おっぴろげてモザイク処理してあるというところまで行かないとバカさ加減は却って中途半端なものになってしまう。

彼女はこういう自主映画風の作り方は今回で止めて、次回はしっかりしたプロデューサを立てて映画作りに臨みたいと言っている。それを聞くと、できるもんなら僕がプロデュースしたいと思うくらいだ。映画作家としての着想は抜群に素晴らしく、観ているこっちのほうが制作意欲を掻き立てられるくらいの逸材である。

歌あり、踊りあり、ヌードあり──というのがこの映画の謳い文句だが、他にもコスプレあり特殊メイクあり、寒い演技あり、と良いのやら悪いのやら判らんてんこ盛りである。ひと言で「ひどい映画!」と総括してしまうのも、あながち間違いではないような気もする。

でも、せめて3000万円くらいかけさせてあげて、彼女の偽悪・露悪趣味をほどよく制御できるプロデューサがついていさえすれば、次回作はとんでもない傑作になるかもしれない、という気もする。

え、さっきから褒めてるんだか貶してるんだかよく判らない?
褒めて貶したいんですよ。これはそういう映画でした。

映画が終わって照明がついたら、スクリーンの袖に松梨監督が立っていて、短く謙虚な挨拶をした。なかなか魅力的なお姉ちゃんだった。僕に金さえあれば寄って行って「オイ、映画1本撮らせてやるから一発やらせろ」と言いたくなったかもしれない。

★この記事は以下のブログからTBさせていただきました。

アロハ坊主の日がな一日

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