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Tuesday, February 14, 2006

St. Valentine's Day

【2月14日更新】 今日の昼どき定食屋に入ったら、入り口でおばさんに「良かったらどうぞ」と銀紙で包んだ小さなものがいっぱい入った籠を差し出された。一瞬よりも少し長い時間、僕は何のことだか解らずにぼーっとその籠を眺めてしまった。

もちろんTVでは朝からそんな話をしていたし、今日が何の日であるかは解っていたはずだった。それなのに、それが何なのか俄かに判らなかったのである。

そういう時代になったのかもしれないし、僕がそういう年代になったのかもしれない。どっちにせよそれは別に悪いことではない。

経済がバブルだったのと示し合わせたように、この日の行事がやたらと拡大していた時代があった。義理であげたりもらったりするのが当たり前だった時代だ。

会社の先輩でやたらと数を自慢する人がいた。その数に大きく貢献していたのは飲み屋のお姐さんたちであり、そうなると僕がいくら張り合ったとしても(もっとも、張り合う気もなかったけど)、酒を飲まない僕に勝ち目はなかった。

僕らが少年少女だった時代には義理はなかった。

もらえれば、それはつまり告白だった。ひょっとしてもらえるかもしれないと思っていたりすると、それはもう、朝起きた瞬間からドキドキする一日の始まりだった。

義理がはびこる時代になると、もらったからと言ってそれは直接的には何の判断材料にもならなかった。ただ、ひょっとしてこれは本気なのかもしれないなどと思うフシがあると、それはやっぱりドキドキする一日に変わった。

そういう曖昧さが逆に楽しい時代であったと言えるのかもしれない。あの頃、まだ日本には昔風のところが残っており、こんな日でもなければ女性のほうから意思表示を受けることはなかった。だから、この日はひょっとするととても嬉しい一日になる可能性があった。

その後、義理は更に拡大して、もう無差別と言えるほどの時代があった。そうなると、もらえないと気を悪くしたり、くれと催促する人まで出てきた。これは良くない。情緒がない。

今はその時代から少し沈静した。義理は減った。変わらずにずっとくれるのは保険のおばちゃんと飲み屋のお姐さんだけになった。夫婦間でのやりとりも定着した。

それでも気を遣って、会社の女性たちがくれることがある。今日もウチの部に派遣で来てくれている女性が僕のところに生タイプのそれを持ってきた。僕は1つ口に含んで、その箱に部内回覧の用紙をくっつけて部下に回した。

いつしか僕も気を遣われる上司の年代になってしまったということだ。

「あの人、あげないと僻むかなあ」なんて心配をしているのかもしれない。あるいは「あの人にあげてこの人にはあげない訳には行かない」という判断があってのことか。それとも逆に「あの人、まさかマジだと勘違いしたりしないよね」と、少し懸念しながら持ってきてくれたのかもしれない。

いずれにしても、いまだにそういう古い習わし通りに僕のところに持ってきてくれる女性たちに対して、最近僕は「ありがとう」と言えなくなってしまった。いつも「気を遣わせて申し訳ない」と頭を垂れて受け取るのである。

口に含んだ生タイプのそれは、甘く滑らかに溶けた。

生まれて初めてもらった時とは全く意味合いが違うのだが、依然として僕には、それが男と女の根源的な味であるような気がするのである。

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