『風味絶佳』山田詠美(書評)
【2月20日特記】 初めて山田詠美を読んだ。文章の巧さに脱帽した。この人、昔からこんなに巧かったの?
『ベッドタイムアイズ』で華々しくデビューした時も『ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー』で直木賞を受賞した時も、なんか偽悪的な感じがして胡散臭さを嗅ぎ取ったので読まなかった(同じく胡散臭い村上龍の時は強く惹かれてすぐに手に取ったのに、この違いは何だったんだろう?)。
『ぼくは勉強ができない』というタイトルにも強い反感を感じた。それで彼女はずっと僕のテリトリーからは外れたまま今日に至った。
それがとうとう『風味絶佳』のあまりの評判の高さに負けて、意を決して読んでみたのである。果たして、巧さに唸った。しかも、低い声でではなく、高く裏返った声で唸り声を上げてしまった。これだけのものが書ける作家を、僕は今日まで避けて通ってきたのである。
作家にとって文章の巧さが一番大事であるという表現をするつもりはない。ただ、文章の巧さは作家が最初に求められる資質である。「文章の下手な作家」なんて形容矛盾であると思う。だが、現実に文章の巧くない作家は存在するし、まれにそういう作家が有名な文学賞を受賞したりもしている世の中である。
そういう中にこの文章を置いてみると、この輝きはまばゆいばかりである。いや巧い作家たちの中に置いても決して埋没しない筆致である。
文章が巧いというのは小洒落た表現を知っているということではない。人や物や出来事の見た目や内面を正確に伝える技量を持っているということであり、つまり正確な言葉を選ぶことができるということだ。それが表現力というものの核心なのである。
ただ、小説に於いてその表現力を駆使するためには、普段の生活から並外れた観察力と鋭い感性が必要であり、それを作品化するユニークな着想が求められ、全体をまとめる構成力も要求される。山田詠美にはその全てがあった。
この短編集の登場人物はいずれもやや変わった人々である。職業としては職人、と言うよりもどっちかと言うと「手が汚れる職業」についている人たち、それ故にともすれば世間からやや低く見られることも少なくない人たちだ。
「間食」では面倒見の良い年上の女性と暮しながら女子大生との浮気を重ねるとび職の青年。
「夕餉」では清掃局の職員に一目惚れしてしまい、息苦しい結婚生活を捨ててその男の許に押しかけて見事な料理を作り続ける女。
「風味絶佳」ではアメリカかぶれのモダンで口うるさい祖母を慕うガソリンスタンド勤務の若者の恋。
「海の庭」では離婚した母の中学時代の同級生で、いまだに母に思いを残している(そして母の側もまた同じ)引越し屋の男を慕う女子高生。
「アトリエ」ではスナックで出会っためちゃくちゃ暗い女に惹かれて結婚し、彼女を安心させることを生きがいとする排水槽清掃会社の跡取り。
そして最後の「春眠」では火葬場に勤務する実の父に片思いの彼女を取られて再婚されてしまい、日々鬱屈した生活を送っている男。
──これら全ての登場人物が小説の中でひとりで立ち上がって動き出すので、背後にいるはずの作家の影は全く見えない。
そんなことを考えながら読んでいたら、作者自身があとがきで同じようなことを書いていたので嬉しくなった。
ものを食べるシーンも作るシーンも、セックスをするシーンも喋るシーンも見事に美しい。何よりも登場人物に対する優しい視点に溢れている。そして、それぞれの作品の閉じ方も鮮やかに巧みである。ああ、溜息!
「風味絶佳」という文言がどこから取られたのかについては、ストーリーに関係してくるので書かない。読んでアッと声を上げてほしい。
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