『マドンナ』奥田英朗(書評)
【1月7日特記】 僕はそもそもあまり短編小説を読まない。それは厚みに欠けるからである。
ストーリーが短いということでもあるし、必然的に描写が簡潔になり印象としての厚みに欠けてしまうことが多い。その分、切れ味と余韻を楽しむのが短編であると言われればその通りなのであるが、僕はどうも絡み合った全体構造やストーリーのうねりのほうを期待してしまう。
移動の機中で読むために買ったのだが、奥田英朗を読むのは『イン・ザ・プール』以来2冊目。この作家は作品ごとに随分作風が違うと聞いたのだが、どうも僕は似通った作品を選んでしまったようだ。
ただ、いずれにしても、この作家は非常に巧い。文章の切れはないが、なかなか工夫の利いた場面の設定があって、そこに主人公の感情の乱れを被せてくる。そういう意味ではどの作品もほぼ同じ構造になってはいるのだが、それほど飽きは来ないのである。
短編小説というものは、短いが上にともすれば事実を単純化してしまう傾向にある。本当は世の中はもっと複雑で、小説に描かれた世界は切り取られた一断面に過ぎない。それを読んで単純な感想を抱くことはやや危険なことなのである。
ただ、奥田英朗の場合は、その危険な単純化を非常に巧みにやっている。見事に巧妙な単純化をいとも簡単にやってのける作家なのである。それが奥田の奥田らしさではないだろうか。
ここには5編のオフィス小説が収められている。主人公はいずれも四十男のサラリーマン。
20代の部下におか惚れしてしまったり、高校生の息子が大学に行かずにダンサーになると言い出したり、営業畑から突然総務に異動して社内風土の違いに憤りを感じたり、同い年で中途入社で西洋合理主義者の女性上司と対立したり、独り暮らしの老いた父親のことが気になりながらもどうも直接話して気遣う気になれなかったり…。
何かとこの年代は大変なのである。同じ年代の男として、確かに身につまされる思いがしないでもない。サラリーマンでもないのによくもここまでサラリーマンの心情を掴んで、それを印象的なシーンに凝縮したものだと感心させられる。
そして、この5人の男とそれぞれの妻たちを並べた時、気がつくのは男よりも女のほうが遥かにしっかりしていて賢くて強いということだ。──これを読んでどう思うか? 「男どもよ、もっとしっかりせい!」でも良いし、「いや、これでバランスが取れているのだから、これで良いんだ」でも良いだろう。
ちなみに僕は後者である。
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