映画『TAKESHIS'』
【11月5日特記】 映画『TAKESHIS'』を観てきた。
この映画には2人のたけしが登場する。
大スターの「ビートたけし」とスターに憧れてオーディションを受け続けているコンビニ店員のしみったれた「北野武」。この2人の「たけし」の映画ということで TAKESHIS' というタイトル。それに「たけし死す」を掛けてあるとのこと(TVのインタビューで本人が言ってた)。
確かに「死」のイメージ充満(ま、どの北野作品もそうなんだけど)。いや、「充満」じゃないな。死のイメージ「横溢」。
試写会を観て「よく解らない」と言う人続出らしい(これもTVでやってた)。客はいつも安直で平易な慰安を求めるものである。だが、客に迎合するだけがエンタテインメントではない。
そもそも、こういう作品はいちいち解釈しようとしてはいけない。眼と耳だけで全てを吸収するのだ。そうやって観ていると、幸せって何だろ? 嫉妬って何だろ? 報われるってどういうことだろ? 空想するって逃げることなんだろうか? などと数多くの自問が心の中に現れて来る。
──なーんてことを思いながら観ていたのだが、最後まで見たらなんてことはない、解釈しようと思えば容易に解釈できる映画じゃないですか? どこが解らないんだろ? 確かにいくら考えても辻褄が合わない箇所はある。でも、それは監督が「辻褄が合わなくて良い」と思って撮っているんだから仕方がない。
夢を描いた映画である。夢の中には白昼夢も含まれる。結構悪夢が多い。
一度繋がって撮った映画を編集で一旦ズタズタにしてから縦横無尽に入れ替えているので、ものすごく面白い構成になっている。起承転結が完全に壊れているのである。ところが、出演者全員が2役も3役も兼ねていることも相俟って、バラバラのくせにやたらと繋がるのである。
起があって、その後は転ばかり。でも、見続けていると何番目かの転がいくつか前の転に対する承になっている。ぐるぐる回って結はない。起承転結が輪廻に飲み込まれる。
イメージの横溢。連想の連鎖。画も見事に綺麗で、胸にグサグサ来る映画だった。笑ってばかりの京野ことみがとてもチャーミングだった。よくもここまで印象に残るシーンを繋いだもんだと感心させれれる映画だった。
ところで、上映初日の土曜の2回目なのに約4割の入り。興行としては多分失敗の部類かな? たけし本人は「へへへ、やっぱり入んねえか」と笑っているんだろうな、きっと。
しかし、仮に観客の半数が「よく解らなかった」とすれば、残りの半分の客はたけしの予想を裏切ってとても高く評価してしまうのではないだろうか。
たけしと観客の追っかけっこは続く。
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