映画『ドア・イン・ザ・フロア』
【11月18日特記】映画『ドア・イン・ザ・フロア』を観てきた。ジョン・アーヴィング原作の映画化は全部観たい気がする。ちなみに彼の長編小説とその映画化を列挙すると、
- 『熊を放つ』Setting Free The Bears→映画化頓挫
- 『ウォーターメソッドマン』The Water Method Man
- 『158ポンドの結婚』The 158 Pound Marriage
- 『ガープの世界』The World according to Garp→同名映画化
- 『ホテル・ニューハンプシャー』The Hotel New Hampshire→同名映画化
- 『サイダーハウス・ルール』The Cider House Rules→同名映画化
- 『オウエンのために祈りを』A Prayer for Owen Meany→『サイモン・バーチ』
- 『サーカスの息子』A Son of the Circus→映画化頓挫
- 『未亡人の一年』A Widow for One Year→『ドア・イン・ザ・フロア』
- 『第四の手』The Fourth Hand→脚本執筆中
僕は1986年に村上春樹の訳で『熊を放つ』を読んだのが最初だった。正直言って未完成な小説という印象を持ったので、その後暫く彼の作品を手に取ることはなかった。
『ガープの世界』が映画化され大評判になった時、僕は映画を観ずに原作を読んでみて、あまりの面白さにひっくり返るほど驚いた。それ以来アーヴィングの作品は、短編集の『ピギー・スニードを救う話』を含めて全て読んでいる(上記2と3は結局読まないままなのだが)。
いずれもめちゃくちゃに面白いし、作家の計り知れない力量をひしひしと感じる。
アーヴィングの特徴はうねるようなストーリー・テリングにある。それだけに映画作家たちの食指が動くのだろう。
しかし、彼の長編小説を映画化するにあたって難しいのは、アーヴィング作品では、短くても登場人物の半生を、大体は一生を描いており、長ければ2代・3代にわたる登場人物の家系が語られるというところである。
この長い長い、しかも相当に密度の濃い小説を2時間の映画に収めるのは至難の業である。
僕は映画のほうも一応全部観ているが、その中で典型的な失敗作は『サイモン・バーチ』だろう。2時間に収めるために原作を途中でぶった切り、ぶった切ったのではちゃんと終わらないので仕方なく原作を歪め、見事にお粗末なものになってしまった。だからこそタイトルも変更せざるを得なかったのだろう。まさにこういうのを矮小化と言うのではないか。
その点『ガープの世界』は巧く抽出して見事にまとめていた。そして、そういう意味で一番驚いたのが『サイダー・ハウス・ルール』だった。あの、長く入り組んだストーリーをよくもこれだけ刈り込んで、しかも原作の雰囲気や魅力を全く歪めることなく映像化したもんだ──。
と、驚いたのも当然、この映画はジョン・アーヴィング自らが脚本を執筆していた。しかも、13年も掛かって。
その甲斐もあって、映画『サイダー・ハウス・ルール』は、その年のアカデミー賞7部門にノミネートされ、見事に脚色賞を受賞したのである(キネマ旬報では2000年度第11位)。
今回観た『ドア・イン・ザ・フロア』は原作の前半だけを映画化するという奇手に出た。これは成功である。『サイモン・バーチ』みたいに不要なものを捏造せずとも映画はちゃんと完結性を保っている。
作家志望の少年エディがアルバイトのアシスタントとして作家の家にホームステイし、作家の妻に惹かれて行くひと夏の物語、という体をなしている。作家の家族は妻と幼い娘のルースの3人。だが、夫妻には元々2人の息子がおり、その2人を亡くしてから夫婦の絆は切れてしまっている。
原作の小説の導入部分で非常に印象的だったピンクのカーディガンを、映画でも鮮烈に描き出している。
映画ではわずかひと夏の物語で終わっているが、原作のほうでは、ルースが長じて人気作家になり、同じく(年上の女性との恋愛小説ばかり書いている冴えない)作家になったエディと再会したり、殺人事件を目撃してしまったりと、波乱万丈の人生が延々と綴られている。
アーヴィングが話を聞いて気に入り、全幅の信頼を寄せて託したトッド・ウィリアムズという監督は、その発想や演出手法に優れているのみならず、原作を非常によく理解しているという点が高く評価されるべきである。
必ずしも原作を忠実になぞるばかりではなく彼なりのアイデアも付加している(例えばタイトル、そしてあのエンディング)のであるが、それが原作を壊さず調和し、適確かつ斬新でさえある。
ただ、あの交通事故の状況設定を少しだけ変えたのは何故だろう? あれは少しリアリティを減じてしまった。それだけが残念である。
さて、以上は原作を読んだ者の、そしてアーヴィング作品を愛読してきた者の感想である。『未亡人の一年』もアーヴィングも全く聞いたことがない人であれば、また違った感想を抱くだろう。
ジョン・フォスター、ジェフ・ブリッジス、キム・ベイシンガー、エル・ファニングという、3世代4人の俳優たちも素晴らしい。
しかし、この映画で所謂「ぼかし」を久々に見たぞ(日活ロマンポルノ以来かな?)。今どきあんなもん必要なんだろうか?
アーヴィング自身は、この映画を見て続きを知りたくなった人が原作を読んでくれることを期待しているようだが、僕は続編の映画化を期待したい(だって、原作はもう読んじゃったんだもん)。
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