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Saturday, November 19, 2005

『ノー・セカンド・チャンス』ハーラン・コーベン(書評)

【11月19日特記】

「チェリルがおまえのために夕食をこしらえた。フリーザーに入れてある」
「いい奥さんだな」
「いまだに世界でいちばんの料理下手だ」レニーは言った。
「食うなんていってないよ」

これは上巻の34ページ、小説の導入部分の終盤。銃で撃たれて生死の境をさまよった主人公マークが漸く退院することになり、親友のレニーが手伝いに来た時の会話である(チェリルはレニーの妻)。

こんな減らず口の会話が満載だったのが同じ作者によるスポーツ・エージェントのマイロン・ボライターのシリーズである。7作出て、8作目を心待ちにしていたのだが、コーベンはこのシリーズについては一旦筆を置いたらしい。シリーズものから脱却して最初に書いたのが『唇を閉ざせ』で、この『ノー・セカンド・チャンス』は第3作にあたるらしい。

アメリカン・ジョークをひたすら楽しみに読んでいた僕のようなコーベン・ファンにとって、まず嬉しかったのがこの34ページであった。でも、これはあのボライター・シリーズとは違って減らず口がふんだんに出て来る小説ではない。そこがとても淋しいのである。

ただ、そんな読み方をしているのは恐らく僕以外にはあまりいないだろう。

そうこれは本格的な、息をもつかせぬ、大どんでん返しの連続の、正統派ミステリなのである。よくここまで考えたという込み入った設定、休む暇を与えないストーリー、エンタテインメント色溢れる作品である。

形成外科医の主人公マークは小説の冒頭でいきなり撃たれ、意識が戻った時には妻は同じように撃たれて死んでおり、娘は行方不明。やがて身代金の要求があって、そして警察とFBIはマークを疑い始める。マークは友人で弁護士のレニーや、職場の同僚の女性ジアー、昔の恋人で元FBI捜査官のレイチェルらと協力して真犯人を追い詰めて行く──そういう展開である。

主人公の苦悩と推理とアクションが交互に入り乱れ、最後の最後まで緊張感を維持している。

しかし、僕のようなファンには、やはり少し物足りない。あの減らず口がほしいのである。折に触れて減らず口で緊張感を緩和してほしいのである。

それでも、時々上記のような減らず口は入っている。そして巻末の「謝辞」では、この小説を書く上で彼にアドバイスをくれた多くの専門家の名前が列挙され、「誤りがあれば、それは全面的に彼らの責任である。なんといっても、専門家なのだから。そうだろう? どうしてわたしが責められなきゃならないんだ」(下巻344ページ)という、いかにもコーベンらしい一文がある。

これを読んで、やっぱり僕は今後もコーベンを読み続けるだろうと思った。そんなことを喜んでしまう僕は、言うまでもなく、読者としては邪道なんだろうけれど。

(以上は上下巻通じての書評です)

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