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Monday, November 21, 2005

『本が好き、悪口言うのはもっと好き』高島俊男(書評)

【11月21日特記】 僕は本来この本のタイトルのような偽悪的な文は好きではない。

悪口を言うことや他人を貶すことを売り物にしてはいけない。偽悪は時として偽善よりも醜悪である。そして、世の中にはその手の醜悪な文章が読者にとって痛快であろうと勘違いしている書き手も少なからずいる。

悪口が痛快であるためには明確なルールがある。もちろん悪口自体に説得力があることが前提ではあるが、それだけでは痛快とは思ってもらえない。必要なのは世の中の弱者・少数派・庶民に対してではなく強者・多数派・権威に対してぶつけるということである。

高いところから「どうだ参ったか」と高圧的に述べるのではなく、驕らず昂らずひょうひょうとしているくらいの態度である。そして、(本書のタイトルは別として)その条件をほとんど満たしているのが、この高島俊男という人なのである。

彼は言わば漢籍の専家である(「専家」と「専門家」については本書の38ページに記述がある)。僕は以前この人の『漢字と日本人』を読んだのだが、これを読めば解るように単に漢字や漢文を専門に語るのではなく、広く日本語全般に非常に造詣の深い人である。

恐らくその道の権威という言い方をしても過言ではないのだろうと思うのだが、ご本人は「天下の岩波書店からぼくに依頼原稿のあるはずがないから、読者の一人として応募原稿を書いて送った」(300ページ)り、自分のことを「年間納税額ゼロの貧乏タレ」(298ページ)と称したり、いたって謙虚である(本当に貧乏そうではあるが、その原因は本の買いすぎにあるようだ)。

しかも、中国文学者でありながら「人はよく気軽に中国文化の恩恵などと言うが、(中略)もし中国の言語・文字の侵入を受けなければ、日本語は健全に成熟して、いずれみずからの性質に最も適当した表記体系を生み出すにいたったであろう」(78ページ)などと極めて公平な見方をしており、しかもそれが現在の日本語表記の問題点の核心を衝いているところが凄いと思う。

昨今の日本語ブームの流れの中で気軽に読めるものから、専門分野である李白と杜甫の比較や歌仙に至るまで内容は変化に富んでいるが、それ故に漢文や古典に全く興味のない人には読みやすいものばかりではないかもしれない。しかし、著者の精神は充分に味わえるはずだ。

僕としては「『支那』はわるいことばだろうか」を読んで長年の疑問に決着がついたのが嬉しかった(マイクロソフトも「悪い言葉」だと判断したらしく、今キーボードを叩いても変換してくれなかったが…)。

最後に、この本を知ったのは bk1 に掲載された tujigiri さんの書評による。感謝したい。

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