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Tuesday, November 29, 2005

会社よ、よく聞け!

【11月29日特記】先週の木曜日、会社で使っているメーラーが突然不具合を起こして、社内から来たメールが全て消失してしまった。

もちろん、コンピュータが勝手に社内から来たメールだけ選び出して削除するというような器用な真似ができる訳はなく、正確に言うと、僕が仕分けしていた社内からのメールのフォルダ(それもサブ・フォルダではなく大元のフォルダ)ごと消えてしまったのである。

自分で知る限りの方策を尽くした後、派遣で来てもらってるヘルプデスクのお姐さんにも診てもらったが、原因不明。ファイル復元アプリケーションをインストールして復活に努めてもみたがほとんど成果なし。

ま、とは言え、普段からこういうことに割合備えのあるほうなので、社内からのメールが全部消えてしまっても、実のところそんなに困ることはなかったのである。

では、今回何が言いたくてこんなことを書いているかと言うと──。

会社よ、よく聞け。
全社員にPCが行き届いて以来、会社は一斉メールを送りつけることで全社員に連絡済という態度を取ることも少なくなくなってきたが、今回のような事故を想定すると、それで安閑とはしていられないはずだ。

今回の事故はもちろん僕の悪意でも過失でも不注意でもない。会社が所有しているPC、会社が所有しているアプリケーションの不具合なので、会社の責任ということになる。

だから、会社としては連絡済という態度を取っても、社員が「PCがぶっ壊れたので読んでない。知らん」と言えばそれまでのことだ。

こまめにバックアップを取るというのはPC使用上の鉄則である。僕ら社員は折に触れてバックアップを勧められる。

しかし、会社よ。
会社はちゃんと社員に対する通達手段のバックアップを考えているのだろうか?
争いになったら痛い目に遭うのは会社のほうである。

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Monday, November 28, 2005

abusers?

【11月28日更新】今世間を騒がせているヒューザーという会社。あれ、聞くところによると、human と user をくっつけて縮めた造語なんですってね。

読みようによっては凄い会社名ですよね。まるで「俺たちは人間の客を相手にするから、お前らは animal users の世話でもしとけ!」とライバル社に言ってるみたい。

あるいは、自分たちの社員に「君らのお客さんは他ならぬ人間なんだから」と言い聞かせなければならなかったのか・・・。

どっちにしても変な名前。

「人間らしい」の意味でつけたんでしょうが、human の第一義は単に「人間の」なので、どうしても「人間のユーザー」になってしまうのです。そうするとユーザーをいちいち人間だとことわるのはとても変!

もうひとつ言えば、自分たちを user (しかも単数形)と呼ぶなよな。ユーザーは客のほうでしょ? あなたがたはそのうち abuser(s) と呼ばれるんじゃないでしょうか?

いや、まだ断定的な書き方はいけませんね、すみません。ひょっとすると悪いのは姉歯だけかもしれないんだし(と一応書いておきましょう)。

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Sunday, November 27, 2005

an ambivalent scene

【11月27日特記】ところで昨日の映画『乱歩地獄』は大阪・梅田で見た。前の日が名古屋出張で、当日の朝、新幹線に飛び乗って新大阪駅から直行したのだった。

closedopen 写真はその映画館、テアトル梅田の入り口(B1)からホテル阪急インターナショナルを見上げた構図なのだが、僕はこの風景が大好きなのだ。

狭い敷地、目の前に煉瓦の壁がせせこましく迫る。そして、その背後には、抜けるような青空(でもないか?)に向かって遥かに聳え立つ摩天楼。この「閉鎖=開放的」とでも言うべきアンビヴァレントな感じがなんとも言えないんだなあ。

解ります?

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Saturday, November 26, 2005

映画『乱歩地獄』

【11月26日特記】映画『乱歩地獄』を観てきた(妻が浅野忠信の大ファンで、僕が浅野忠信の小ファンなもので・・・)。4本建てのオムニバスの4本全てに(必ずしも同じ役柄ではないが)浅野忠信が出演している。言うまでもないが、4本とも江戸川乱歩の原作に基づいている。

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Wednesday, November 23, 2005

『ALWAYS 三丁目の夕日』は見ない

【11月23日特記】休日なので映画でも見ようかと思ったが、見たい映画が1本しかなかったので、とりあえず今日はやめておいた。

世間の評判にかかわりなく、あまり見る気にならない映画というものが誰にでもあるのではないだろうか。僕にとっては例えば、今上映中のものでは『ALWAYS 三丁目の夕日』。

いや、この映画を貶そうと言うのではない。さすがに見てもいない映画にケチをつけるような真似はしない。ただ、見る気にならないのである。

もちろん、僕を見る気にさせないような映画はやっぱりダメな映画だなどと言うつもりもない。今ここでは映画の評価に焦点を当てて書こうとしているのではなくて、僕の傾向について書こうとしているのだ。

※ 何をクドクド書いているのかと訝っておられる読者の方もあろう。
自分でHPやブログを運営している人にしか解らないかもしれないが、ネットというのは実に恐ろしい世界で、ここまでくどく書いておかないと(いや、ここまでくどく書いていても)早とちりして激烈な抗議メールを送って来られる方がおられるのである。

まず僕は、素直な映画、ベタなストーリーよりも1回ひねったもの、むしろ捻れたもの歪んだものを好む。

それから、観た人の感想や宣伝文句のトップに「泣いた」とか「泣ける」とかいうフレーズが来るものはちょっとご勘弁である。「もうちょっと他の感慨はないんかい?」と思ってしまうのである。

いや、泣いたって構わないよ。でも、泣くだけかい?あるいは、泣くことがトップなのかい?と思ってしまう。かく言う僕も中学生の時に『あゝ野麦峠』を見て泣いたりしたのではあるが、そういうのは中学・高校くらいでもう良いかなという感じ。

世の中にはひたすら「泣ける小説」や「泣ける映画」を追い求めている方もおられるようだが、僕からすれば、それはとても不思議な嗜好である。

さらに僕は、現代の作家による現代を舞台にした物語を好む。

だから、邦画好きではあるけれど、黒沢も小津も溝口もほとんど見たことがない。昔に作られた映画を見る暇があれば、最近公開された映画のほうを見たいと思う。昭和30年代を舞台にした映画よりも平成10年代の映画のほうが好きだ。時代劇となるとなおさら見ない。

「何故現在を描かないんだ、と思ってしまう」とある人に言ったら、「過去の時代を借りて現代を描いているのだ」と反論されたのだが、ふーん、随分と面倒な手法だなあと思ってしまう。

時代劇でありながら、登場人物が紛れもない近代的自我の持ち主で、考え方や行動パタンが全く現代的であったりする映画や小説もある。そういうのに出くわすとなんだかがっかりである。

そんな時代劇よりも、北野武の『座頭市』みたいに下駄はいてタップ踊ってる奴がいたり、宮藤官九郎の『真夜中の弥次さん喜多さん』みたいに、さっきまで江戸の長屋だったのに突然2人がバイクで高速を走っていたりする映画のほうが好きだ。

てなことと照らし合わせるとご理解いただけると思うのだが、『ALWAYS 三丁目の夕日』というのは僕が却々見る気にならない映画なのである。

とは言え、この映画、世間の評判は頗る良い。三浦友和と薬師丸ひろ子が出演しているのにも惹かれる。だから、1年か2年後に WOWOW が放送したらきっと見ると思う。もし WOWOW が放送してくれなかったらDVD借りてきてまで見るかどうかは、今のところなんとも言えないけど・・・。

もうひとつ、今上映中の映画では『カーテンコール』も見る気にならない。ベタな感じの監督ということもあるが、佐々部清という監督の作品はなぜだかどれも見る気にならない。

僕の周りに佐々部清を褒める人がいない。僕が鑑賞眼を信頼している人たちは佐々部作品をたいてい貶す。だから、僕も見る気にならない。

思い切って見てみたら本当は驚くほど良い映画であるかもしれないのに、そういう風にして、僕は多くのチャンスを失っているのである。そういう風にして(下卑た表現だとは思うが)「損をしている」のである。

なあに損をしたって構わないさ。僕は勉強のために映画を見ているのではなく、趣味・娯楽の類で見ているに過ぎないのだから。

世の中には「絶対面白いから見て」などと薦めてくれるひとがいる。これも大いに不思議。僕は訊かれれば「僕はものすごく面白かったけど、これこれの志向の人にはキツいかもしれない」とか「○○とか××(映画の題名)を見て面白かった人なら気に入ってもらえると思うけど」などと答える(もちろん、映画に対する感性が自分に近いと知っている人に対しては、もっと油断した言い方するけど・・・)。

他人に見ろとも見るなとも言う気はない。誰にでも、見る気にならない映画はあるだろう。ただそれだけのこと。

最後にもう一度書くと、この記事は映画の評価に関するものではなく、僕の傾向に関するものである。

こう書いてもどうしても自分の好きな映画や監督を貶されたと感じて気分を害する人のためにもっと解りやすく書くと、要は僕が1800円+電車賃を使って映画館まで足を運ぶかどうかの傾向について書いたものである。

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Tuesday, November 22, 2005

怒りは伝染する

【11月22日特記】電話で妻とちょっとした言い合いになってしまった。

最初に妻が怒って、それを聞いた僕が「俺に怒ってどうする? それは怒る相手が違うだろう!」と怒ったのである。

幸いにして妻は世界中の誰よりも僕の性癖を把握している。すぐに「ははあ、私が怒ったことでこの人を怒らせてしまったな」と気づいてトーンを緩めてくれたので、大事には至らなかったのである(と僕は思っている)。

気をつけなければならない。僕自身はずっと前から気づいていることである──つまり、怒りは伝染する。しかも、その後、互いの怒りを増幅し合う。

この怒りの連鎖を断ち切ってくれた妻に頭の下がる思いである。

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Monday, November 21, 2005

『本が好き、悪口言うのはもっと好き』高島俊男(書評)

【11月21日特記】 僕は本来この本のタイトルのような偽悪的な文は好きではない。

悪口を言うことや他人を貶すことを売り物にしてはいけない。偽悪は時として偽善よりも醜悪である。そして、世の中にはその手の醜悪な文章が読者にとって痛快であろうと勘違いしている書き手も少なからずいる。

悪口が痛快であるためには明確なルールがある。もちろん悪口自体に説得力があることが前提ではあるが、それだけでは痛快とは思ってもらえない。必要なのは世の中の弱者・少数派・庶民に対してではなく強者・多数派・権威に対してぶつけるということである。

高いところから「どうだ参ったか」と高圧的に述べるのではなく、驕らず昂らずひょうひょうとしているくらいの態度である。そして、(本書のタイトルは別として)その条件をほとんど満たしているのが、この高島俊男という人なのである。

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Sunday, November 20, 2005

コートを着ることにする

【11月20日更新】ここ十数年にわたって僕は、12月に入るまでは頑なにコートを着ないという主義を貫いてきた。

毎年11月の最後の週が勝負の週である。

通退勤時に少々身をすくめるくらいで済むのか、あるいは拳を握り締め歯を食いしばって歩かなければならないのかによって、その年の冬の寒さが占えるのである。

だが、もうそれもやめだ。今年は11月であってもコートを着ることにする。冬の寒さはそんなことをしなくても長期天気予報を見れば占えるのである。

今頃になってそんなことに気づいた訳ではない。要するに、寒い。歳なのである。

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Saturday, November 19, 2005

アーヴィング追々記

【11月19日追々々記】僕の駄文を読んで、「へえ、ジョン・アーヴィングって面白そうだな。1回読んでみようかな」と思われた方がおられたら一言忠告しておく。

「私、長い文章読むの苦手だからあ、とりあえず短編の『ピギー・スニードを救う話』から読んでみようかなあ」なんて言っちゃダメ。

短編と長編は全く異質のものです。アーヴィングの短編も悪くないけど、彼の神髄は大長編小説です。

とりあえず読むなら、映画を観た人なら『ガープの世界』あたりから、あるいはこの『ドア・イン・ザ・フロア』を観た後で原作の『未亡人の一年』を読むのが一番良いかもしれない(なにしろ映画は原作の途中で終わってるから)。

間違っても最初から『熊を放つ』や『サーカスの息子』に手を出したりしないようにね。

アーヴィングの魅力に取り付かれると、ともかく長いものが読みたくなって来るよ。いやホント。

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Xmas Tree

【11月19日追々記】ところで、この『ドア・イン・ザ・フロア』は大阪・梅田ガーデンシネマで観たのだが、この日ちょうど、ガーデンシネマが入っているスカイビルの広場のクリスマス・ツリーの点灯式があった。

もう13年目で、しっかり冬の大阪の風物詩になった。

いつも文字ばかりで殺風景なので、たまにはこんな写真も載せておく。

tree1 tree2

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アーヴィング追記

【11月19日追記】昨日の記事で書き忘れたことがある。

ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』を読んで一番驚いたのは、『ベンセンヘイパーの世界』である。

これは小説の中で主人公ガープが書いた処女小説で、それが大ヒットして彼は一躍人気作家になるのである。

で、その『ベンセンヘイパーの世界』の全文が『ガープの世界』の作中作として掲載されているのであるが、それが面白いのなんのって! 「確かにこれなら大ヒットして大作家の仲間入りするわなあ」と思わしめる小説なのである。

並の作家なら、怖くてそんな作中作書けないでしょ?

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『ノー・セカンド・チャンス』ハーラン・コーベン(書評)

【11月19日特記】

「チェリルがおまえのために夕食をこしらえた。フリーザーに入れてある」
「いい奥さんだな」
「いまだに世界でいちばんの料理下手だ」レニーは言った。
「食うなんていってないよ」

これは上巻の34ページ、小説の導入部分の終盤。銃で撃たれて生死の境をさまよった主人公マークが漸く退院することになり、親友のレニーが手伝いに来た時の会話である(チェリルはレニーの妻)。

こんな減らず口の会話が満載だったのが同じ作者によるスポーツ・エージェントのマイロン・ボライターのシリーズである。7作出て、8作目を心待ちにしていたのだが、コーベンはこのシリーズについては一旦筆を置いたらしい。シリーズものから脱却して最初に書いたのが『唇を閉ざせ』で、この『ノー・セカンド・チャンス』は第3作にあたるらしい。

アメリカン・ジョークをひたすら楽しみに読んでいた僕のようなコーベン・ファンにとって、まず嬉しかったのがこの34ページであった。でも、これはあのボライター・シリーズとは違って減らず口がふんだんに出て来る小説ではない。そこがとても淋しいのである。

ただ、そんな読み方をしているのは恐らく僕以外にはあまりいないだろう。

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Friday, November 18, 2005

映画『ドア・イン・ザ・フロア』

【11月18日特記】映画『ドア・イン・ザ・フロア』を観てきた。ジョン・アーヴィング原作の映画化は全部観たい気がする。ちなみに彼の長編小説とその映画化を列挙すると、

  1. 『熊を放つ』Setting Free The Bears→映画化頓挫
  2. 『ウォーターメソッドマン』The Water Method Man
  3. 『158ポンドの結婚』The 158 Pound Marriage
  4. 『ガープの世界』The World according to Garp→同名映画化
  5. 『ホテル・ニューハンプシャー』The Hotel New Hampshire→同名映画化
  6. 『サイダーハウス・ルール』The Cider House Rules→同名映画化
  7. 『オウエンのために祈りを』A Prayer for Owen Meany→『サイモン・バーチ』
  8. 『サーカスの息子』A Son of the Circus→映画化頓挫
  9. 『未亡人の一年』A Widow for One Year→『ドア・イン・ザ・フロア』
  10. 『第四の手』The Fourth Hand→脚本執筆中

僕は1986年に村上春樹の訳で『熊を放つ』を読んだのが最初だった。正直言って未完成な小説という印象を持ったので、その後暫く彼の作品を手に取ることはなかった。

『ガープの世界』が映画化され大評判になった時、僕は映画を観ずに原作を読んでみて、あまりの面白さにひっくり返るほど驚いた。それ以来アーヴィングの作品は、短編集の『ピギー・スニードを救う話』を含めて全て読んでいる(上記2と3は結局読まないままなのだが)。

いずれもめちゃくちゃに面白いし、作家の計り知れない力量をひしひしと感じる。

アーヴィングの特徴はうねるようなストーリー・テリングにある。それだけに映画作家たちの食指が動くのだろう。

しかし、彼の長編小説を映画化するにあたって難しいのは、アーヴィング作品では、短くても登場人物の半生を、大体は一生を描いており、長ければ2代・3代にわたる登場人物の家系が語られるというところである。

この長い長い、しかも相当に密度の濃い小説を2時間の映画に収めるのは至難の業である。

僕は映画のほうも一応全部観ているが、その中で典型的な失敗作は『サイモン・バーチ』だろう。2時間に収めるために原作を途中でぶった切り、ぶった切ったのではちゃんと終わらないので仕方なく原作を歪め、見事にお粗末なものになってしまった。だからこそタイトルも変更せざるを得なかったのだろう。まさにこういうのを矮小化と言うのではないか。

その点『ガープの世界』は巧く抽出して見事にまとめていた。そして、そういう意味で一番驚いたのが『サイダー・ハウス・ルール』だった。あの、長く入り組んだストーリーをよくもこれだけ刈り込んで、しかも原作の雰囲気や魅力を全く歪めることなく映像化したもんだ──。

と、驚いたのも当然、この映画はジョン・アーヴィング自らが脚本を執筆していた。しかも、13年も掛かって。

その甲斐もあって、映画『サイダー・ハウス・ルール』は、その年のアカデミー賞7部門にノミネートされ、見事に脚色賞を受賞したのである(キネマ旬報では2000年度第11位)。

今回観た『ドア・イン・ザ・フロア』は原作の前半だけを映画化するという奇手に出た。これは成功である。『サイモン・バーチ』みたいに不要なものを捏造せずとも映画はちゃんと完結性を保っている。

作家志望の少年エディがアルバイトのアシスタントとして作家の家にホームステイし、作家の妻に惹かれて行くひと夏の物語、という体をなしている。作家の家族は妻と幼い娘のルースの3人。だが、夫妻には元々2人の息子がおり、その2人を亡くしてから夫婦の絆は切れてしまっている。

原作の小説の導入部分で非常に印象的だったピンクのカーディガンを、映画でも鮮烈に描き出している。

映画ではわずかひと夏の物語で終わっているが、原作のほうでは、ルースが長じて人気作家になり、同じく(年上の女性との恋愛小説ばかり書いている冴えない)作家になったエディと再会したり、殺人事件を目撃してしまったりと、波乱万丈の人生が延々と綴られている。

アーヴィングが話を聞いて気に入り、全幅の信頼を寄せて託したトッド・ウィリアムズという監督は、その発想や演出手法に優れているのみならず、原作を非常によく理解しているという点が高く評価されるべきである。

必ずしも原作を忠実になぞるばかりではなく彼なりのアイデアも付加している(例えばタイトル、そしてあのエンディング)のであるが、それが原作を壊さず調和し、適確かつ斬新でさえある。

ただ、あの交通事故の状況設定を少しだけ変えたのは何故だろう? あれは少しリアリティを減じてしまった。それだけが残念である。

さて、以上は原作を読んだ者の、そしてアーヴィング作品を愛読してきた者の感想である。『未亡人の一年』もアーヴィングも全く聞いたことがない人であれば、また違った感想を抱くだろう。

ジョン・フォスター、ジェフ・ブリッジス、キム・ベイシンガー、エル・ファニングという、3世代4人の俳優たちも素晴らしい。

しかし、この映画で所謂「ぼかし」を久々に見たぞ(日活ロマンポルノ以来かな?)。今どきあんなもん必要なんだろうか?

アーヴィング自身は、この映画を見て続きを知りたくなった人が原作を読んでくれることを期待しているようだが、僕は続編の映画化を期待したい(だって、原作はもう読んじゃったんだもん)。

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Monday, November 14, 2005

素人ダフ屋繁盛記

【11月14日特記】一昨日、大阪・シアタードラマシティでの『12人の優しい日本人』の前売り券を取り損ねて(電話が繋がった時には既に完売)、今日ふと YAHOO! AUCTIONS を見てみたら、なんと300件以上の出品があるではないか!

ふーん、そんなことになってるんだ・・・。

もちろん、自分で行くつもりで切符を取ったのに急に行けなくなった人もいるんだろう。でも、300件+α全部が全部そうではあるまい。

300件+αの中にはペア席で出品されているものもかなりあったし、すでに落札されて表示されていない分やヤフオク以外に出品されている分もあるだろうから、恐らく席数にしたら中規模ホールのまるごと1公演分以上が売りに出ているのではないだろうか?

もちろんここには東京公演と大阪公演が混在するが、それにしてもすごい数だ。素人ダフ屋繁盛記万歳!

実は知人の女性も努力空しく取れなかったとのこと。

しかし、それにしても・・・。
ふーん、世の中いつの間にか、そんなことになってるんだ。

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Sunday, November 13, 2005

映画『ブラザーズ・グリム』

【11月13日特記】映画『ブラザーズ・グリム』を観てきた。

洋画、とりわけハリウッドの映画はあまり見ないのだが、ハリウッドの鼻つまみ的な存在であるテリー・ギリアムは大好きな監督だ。

『未来世紀ブラジル』でノックアウト食って、その後『バロン』、『フィッシャー・キング』と立て続けに観た。次の『12モンキーズ』は見逃したがTVで観て、その後の『ラスベガスをやっつけろ』は見落としたまま。そして最後に、撮影頓挫の記録映画である『ロスト・イン・ラ・マンチャ』を観たのが2001年だった。

偉大なる童話作家でもドイツ文学者でもなく、インチキ悪魔祓いの詐欺師兄弟という設定が洒落ている。

ある日兄弟は詐欺がバレて将軍に逮捕されてしまう。あわや処刑というところだったが、ある村で子供が神隠しに遭う事件が連続しており、それをグリム兄弟と同じ輩の仕業と睨んだ将軍は、事件の解決を交換条件に兄弟を放免する。

ところが、それは詐欺なんかではなく本物の魔術がらみとあっては、インチキ兄弟で歯が立つ訳がない・・・、というのがあらすじ。

脚本はギリアム本人ではなく、『ザ・リング』シリーズを手がけたアーレン・クルーガーによるのだが、設定が面白く要所に皮肉も効いていて、テリー・ギリアムにぴったりである。

グリムや他の作家による童話をかなりデフォルメして織り込んであるのも楽しめる。

でも、これがテリー・ギリアムの本領発揮かと言えば、僕はそう思わない(パンフレットに解説を寄せている「みのわあつお」なる人物は「最高傑作」と書いているけど・・・)。

ギリアムらしい「度肝を抜く」「奇想天外の」要素に欠けるのである。パンフレットを読むと、今回もギリアムは映画会社といろいろ揉めながら何とか映画を完成したらしい。そういう窮屈さに映画が歪められた部分が、今回も小さくないのではないかな?

面白いんだけど驚きはしない。それとも、ひょっとして単にハリウッドのVFXを見すぎてしまっているだけかも。

観客は6割の入り。この映画が黒字になって、次回作ではテリー・ギリアムがまたやりたい放題の映画を撮れることを祈る。

ところで、なんでグリム・ブラザーズじゃなくてブラザーズ・グリムなんだろう?

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Saturday, November 12, 2005

Plastics?

【11月12日更新】杉並区のプラスティック分別回収が始まって半年以上が過ぎた。

僕は几帳面な性格で、分別に抵抗がないどころか、分類することに喜びを感じるほどである。同じプラスティックでもペットボトルは「プラスティック資源ゴミ」の袋には入れず、スーパーの分別回収ボックスに持って行っている。

プラスティックを分別する上で指標になるのは、商品についている「プラ」マーク。分別回収が始まるまで気に留めたことがなかったが、よく見てみると想像以上にそこかしこに「プラ」マークが付いている。それだけプラスティック製品が多いということだ。

カップラーメンの、カップはもとよりスープの袋も「プラ」である。スーパーのレジ袋、豆腐のパックはおろか、煙草の外装フィルムも「プラ」である。ダイレクトメールに貼ってある住所シールやプラスティックのパック入り食品に貼ってあるシール(原材料や賞味期限を書いてあるやつ)も「プラ」の場合がある。

結局僕は「プラ」マークを頼りにゴミを分別している。それが唯一の頼りである。

よく見ないと間違うケースもある。先日買ったヨーグルトの容器は一見プラスティックのようで、表示を確かめると、ケースは牛乳と同じ「紙」、蓋は「アルミ」だった。ケースはともかく、蓋のほうはうっかり「資源ゴミ」に入れてしまうところだった。

ところが、どう見ても明らかにプラスティック製品なのに「プラ」マークが付いていない商品がある。結局僕は「プラ」マークが付いていないものはプラスティックではなく「不燃ゴミ」に分別しているのであるが、なんだかすっきりしない。

確かに全てのプラスティック製品がプラスティック分別回収の対象ではない。例えば、クリーニング店で洋服を入れてもらう袋やCDのケースなんかはプラスティックではなく「不燃ゴミ」に含めるのがルールなのだそうだ。

この「ルール」がよく解らない。「プラ」マークが付いていないもの、「包装材」ではないものは全部「不燃ゴミ」で良いのか?

いまだに迷うのは使用済みの「食品用ラップ」。あれはどっち?

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Friday, November 11, 2005

飛行機 vs 新幹線

【11月11日特記】私の東京-大阪間の移動手段は今は専ら飛行機ですが、昔は絶対新幹線派でした。

もちろん、その行き来のそれぞれについて、出発地点と目的地が羽田空港/東京駅、伊丹空港/新大阪駅とどれくらい離れているかということも大きな比較要素ではありますが、私が飛行機を嫌って新幹線に拘っていたのは主に次の2つの理由からです。

1)飛行機は堕ちるが新幹線は堕ちない。

飛行機は走行中に止まれない唯一の乗り物である。止まってしまうと堕ちるのである。

2)飛行機は一見速くて便利なようで、実は新幹線みたいに気軽に飛れない。

遅くとも30分前には空港に行ってカウンタに並んで、席を決めてボーディング・パスをもらい、ゲートをくぐって待合室に入り、もう1回改札口を抜けてやっと飛行機に乗り込める──などと手続きが煩雑。新幹線みたいに1分前に着いて飛び乗りという訳には行かない。しかも、乗ってからも、やれ煙草を消せ(今では全面禁煙ですが)とかベルトを締めろとか椅子の背を元の位置に戻せとかうるさいのでくつろげない。

最近飛行機に乗るのは、まず2)が圧倒的に改善されたからです。

インターネットで予約して当日携帯からウェブ上でチェックイン、搭乗の際もカードをピッで終わり、と非常に簡略化しました。出発15分前に待合室に入ればOKです。

禁煙とベルト、椅子の背などは単に慣れてしまえばどうということはありませんでした。

もちろん1)の事情は変えようがないのは確かですが、ある人に指摘されてなるほどと思ったことがあります。それは、

3)飛行機のほうがセキュリティがしっかりしている。

飛行機に乗る前にはセキュリティ・チェックがあるが、考えてみれば新幹線には誰でも乗れる。爆弾や毒ガスや武器・弾薬・刀剣を持っている人でも。

これほどテロがはびこってくると堕ちることよりそっちのほうが怖くなったのです。さらに、

4)飛行機にはマイレージがある。

マイレージというものは昔は大口利用者以外に対しては大変冷たい制度でしたが、最近は有効期限も少し延びて、ボーナス・マイルもついたりするので、結構旨みが出てきました。何度か続けて乗ってマイルが溜まり始めると、惜しくて新幹線になんか乗れなくなります。そして、

5)飛行機はインターネットで安売りチケットが買える。

航空運賃にいろいろな割引制度が適用されて新幹線と遜色ないレベルになって来た。場合によっては新幹線より遥かに安い。しかもインターネットで簡単に取れる。

もちろん新幹線にも昔から安売りチケットがありましたが、わざわざチケット屋に買いに行く必要がありました。窓口で買えるものは枚数が多すぎて大口利用者にしかメリットがありませんでした。そして、それを使っても飛行機の割引料金に敵わないことも少なくありません。

最近JRも携帯で予約できるようですし、割引制度もいろいろと拡充してきたようですが、その頃には既に私は飛行機派に宗旨変えした後でした。

新幹線にもマイレージがつくようになるらしいという話をどこかで聞いたのですが、少なくとも私にはちょっと遅かったようです。

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Wednesday, November 09, 2005

舞台『ダブリンの鐘つきカビ人間』

【11月9日特記】 『ダブリンの鐘つきカビ人間』を観てきた。最近名前をよく目にする後藤ひろひとなる劇作家/演出家/俳優の芝居を一度見てみたいと思ったから。

ル・テアトル銀座は良い劇場だが、芝居を見るにはちと広すぎる。後ろのほうの席しか取れなかったので、表情まではよく見えなかった。

僕としては過剰に期待していたみたいだ。

例えば、生まれて初めてつかこうへい作品を見た時のような、見終わって呆然として口も利けなくなるような芝居を期待していた。
初めて別役実や唐十郎の作品に出会った時のような、「なんだか解らないのに、この感動は何だ?」という自分の反応を期待していた。
初めて鴻上尚史の作品に触れた時の、エンタテインメント色はたっぷりあるのに、演劇的な盛り上がりも満喫できる芝居に対する敬意のようなものを期待していた。

頭を後ろから煉瓦で殴られたようなショックを期待していた。
いきなりはらわたに手を突っ込まれたような刺激を期待していた。

しかし、この芝居はもっと幼い脚本だった。いや、悪い脚本だと言うのではない。ただ、手軽な脚本だった。僕が従来何度も経験してきた意味での(重厚な)演劇的な盛り上がりはなかった。

周囲の客は異様なほどよく笑っていた。多分最初から「今日は笑おう」と決めて観に来ているのだろう。多分それが今の芝居の見方なのだろう。僕も確かに笑った。だが、彼らほどではない。

今の観客は決していきなりはらわたに手を突っ込まれたりすることを好まないのだろう。少し距離を置いて、充分に笑って、そして適当に雰囲気のある中で幕が降りる──多分それが満点なのだろう。

一度も暗転しない構成でありながらシーンの描き分けがうまくできていた。ラーメンズの片桐仁という人を初めて見たが、とても個性的で巧い役者だった。

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Monday, November 07, 2005

イソジンの効用

【11月7日特記】 昨年重い風邪を引いて以来、帰宅したらイソジンでうがいをする習慣を身に付けた。

イソジンは明治製菓の薬品部門を代表する商品である。パッケージには正しいうがいの仕方がイラスト入りで説明してあるので、それに従うとよろしい。

うがいには「しないよりもしたほうがまし」程度の効果しかないという話をよく聞くが、僕にはなんかすごく効き目があるような気がする。あれ以降風邪らしい風邪をひいていないこともあるし・・・。

ところで、イソジンを愛用していて発見したことがある。

喉の奥のほうまで入念にうがいをした直後に煙草を吸うと、普通の煙草がメンソールになるのである。

それがどうしたと言われればそれまでのことだし、折角うがいしても煙草なんか吸ったら台無しだと責められたら返答に困るのであるが、ただ、発見したことは発表したかった。ごめん、それだけのことである。

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Sunday, November 06, 2005

『深呼吸の必要』

【11月6日特記】 今日もまたハードディスクに録り溜めたWOWOW映画の消化。今日は『深呼吸の必要』。詩人・長田弘の著書からタイトルだけを拝借した映画。

沖縄のサトウキビ畑で刈り取りのアルバイトに集まった若者たちの35日間。それぞれ、都会でいろいろ傷ついたり事情があったりして、沖縄に逃げてきた若者たちだ。

それが辛い刈り取りの仕事や共同生活を通じて癒されたり、気づいたり、思い直したりするという話。

映画の進行に沿って、広大なサトウキビ畑が順に刈り取られて原っぱになって行く。それが登場人物の心の変化と呼応しているように見えるところがこの映画のよくできたところだ。

成宮寛貴、長澤まさみ、大森南朋など、最近よく売れてきたタレントも出演している。が、なんと言っても良い味を出しているのはオジイとオバア役の2人の役者だ。

篠原哲雄監督作品。2004年度キネマ旬報では第11位にランクされている。

僕は10位以内に入っていないところに妙に納得した。20位くらいでも充分ではないか?

いや、良い映画であることは認めますよ。でも、みんなが一丸となってハッピーエンドに向かって驀進してる映画だもんなあ。いくらよくできていても、僕はこんな映画には投票したくない。

もっと意地が悪くても良いのではないだろうか?

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さすが新宿、さすが日本

【11月6日更新】 昨日『TAKESHIS'』を観に行ったときのこと。

上映前に注意事項が出るじゃないですか。携帯の電源OFFを中心とした、どこの映画館でも似たり寄ったりのやつ。

で、見てたら最後の1行に「椅子の上に立ち上がったり、前の椅子に足を載せたりしないで下さい」とありました。さすが新宿は凄い!

ほんで、上映が始まったら、僕の列の左のほうで大いびきかいて寝始めた人がいたんです。すると、斜め前に座っていた兄ちゃんが突然立ち上がって振り向き、身体を傾け手を伸ばして「おいっ!」と小突いたんです。さすが新宿は凄い!

でも、暫くしたらまた大いびきが聞こえてきました。

今度は「おいっ、表へ出ろ!」みたいなことになるのかなと思ったのですが、前の兄ちゃんも諦めたみたい。

結局その人、ほぼ2時間いびきかきっぱなし。1800円払って寝る人がいるなんて、日本は金満国家のようです。

逆に諦めた兄ちゃんのほうは、1800円をフイにしてまで喧嘩したくはなかったみたい。さすが、成熟国家日本の国民です。

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Saturday, November 05, 2005

映画『TAKESHIS'』

【11月5日特記】 映画『TAKESHIS'』を観てきた。

この映画には2人のたけしが登場する。

大スターの「ビートたけし」とスターに憧れてオーディションを受け続けているコンビニ店員のしみったれた「北野武」。この2人の「たけし」の映画ということで TAKESHIS' というタイトル。それに「たけし死す」を掛けてあるとのこと(TVのインタビューで本人が言ってた)。

確かに「死」のイメージ充満(ま、どの北野作品もそうなんだけど)。いや、「充満」じゃないな。死のイメージ「横溢」。

試写会を観て「よく解らない」と言う人続出らしい(これもTVでやってた)。客はいつも安直で平易な慰安を求めるものである。だが、客に迎合するだけがエンタテインメントではない。

そもそも、こういう作品はいちいち解釈しようとしてはいけない。眼と耳だけで全てを吸収するのだ。そうやって観ていると、幸せって何だろ? 嫉妬って何だろ? 報われるってどういうことだろ? 空想するって逃げることなんだろうか? などと数多くの自問が心の中に現れて来る。

──なーんてことを思いながら観ていたのだが、最後まで見たらなんてことはない、解釈しようと思えば容易に解釈できる映画じゃないですか? どこが解らないんだろ? 確かにいくら考えても辻褄が合わない箇所はある。でも、それは監督が「辻褄が合わなくて良い」と思って撮っているんだから仕方がない。

夢を描いた映画である。夢の中には白昼夢も含まれる。結構悪夢が多い。

一度繋がって撮った映画を編集で一旦ズタズタにしてから縦横無尽に入れ替えているので、ものすごく面白い構成になっている。起承転結が完全に壊れているのである。ところが、出演者全員が2役も3役も兼ねていることも相俟って、バラバラのくせにやたらと繋がるのである。

起があって、その後は転ばかり。でも、見続けていると何番目かの転がいくつか前の転に対する承になっている。ぐるぐる回って結はない。起承転結が輪廻に飲み込まれる。

イメージの横溢。連想の連鎖。画も見事に綺麗で、胸にグサグサ来る映画だった。笑ってばかりの京野ことみがとてもチャーミングだった。よくもここまで印象に残るシーンを繋いだもんだと感心させれれる映画だった。

ところで、上映初日の土曜の2回目なのに約4割の入り。興行としては多分失敗の部類かな? たけし本人は「へへへ、やっぱり入んねえか」と笑っているんだろうな、きっと。

しかし、仮に観客の半数が「よく解らなかった」とすれば、残りの半分の客はたけしの予想を裏切ってとても高く評価してしまうのではないだろうか。

たけしと観客の追っかけっこは続く。

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Friday, November 04, 2005

舞台『ニライカナイ錬金王伝説』

【11月4日特記】 劇団スーパー・エキセントリック・シアター第43回本公演、ミュージカル・ウチナンチュウ・コメディ『ニライカナイ錬金王伝説』を観て来た(池袋、東京芸術劇場)。

実はSETは今まで一度も観たことがなかったのだが、今回ご案内を頂いたので良い機会だと思って観に行った。

芝居が始まってすぐに「あっ、これは吉本新喜劇やんか!」と思った。お決まりのギャグがないところだけ違うが、雰囲気や進行の仕方は吉本新喜劇そのものだ。ふーん、SETってこういうこと演ってたのか・・・、と何やら感慨深い。

もっとも筋は吉本新喜劇より遥かにメリハリがある。沖縄の「無論島」を舞台に、地元振興策、再開発と環境保護の問題にマネーゲームや政治的陰謀が絡んだりする。

ただ、メリハリはあるにしても、はっきり言ってストーリーは茶番だ。底の浅い教訓が込められている。

にも拘らず、アクションがあり、歌があり、踊りがあり、となると自然に演劇的なカタルシスは達成される。BEGINが結構心に染みる良い曲を提供していることもあって、茶番劇なのに不思議に盛り上がるのである。

この辺りはさすがに三宅裕司、エンタテインメントの何たるかをちゃんと心得ていると言える。

そう、最後に解放感を演出できるのなら茶番でも良いのである(もっとも、下手な文明批評などに走らず、もっと単純なスラップスティックで良かったのにとは思うが・・・)。

それにしても、歌は歌うし楽器も演奏するし、ダンスもあれば擬斗も必要となってくると、劇団員はこりゃ大変だ。でも、アクションもしっかりしてたし、コーラスもちゃんとハモってましたよ。

今回一番面白かったのは三宅裕司と小倉久寛の2人の掛け合いのシーン。お互いに、アドリブてんこ盛りでのしつこい応酬。やっぱり三宅さんは生の芸人ですね。

30年近く続いているミュージカル・アクション・コメディ──三宅裕司が何を目指しているのかがよーく解った舞台でした。

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Thursday, November 03, 2005

『蛇イチゴ』

【11月3日特記】 今日は WOWOW から録ったまま溜まっている映画の消化。と思ったが、他にやることもあって1本しか見られなかった──『蛇イチゴ』。是枝裕和プロデュース作品。

冒頭2つの話が展開する。

ひとつは葬儀会場に喪服で駆けつける男(宮迫博之)の話。

どうも怪しげだと思ったら、どうやら香典目当ての詐欺師らしいということが小出しに描かれる。

もうひとつはつみきみほの一家の話。祖父と父母との4人暮らし。

つみきみほは小学校の先生で、同僚の教師と交際中。いよいよ結婚という段階。

平泉成が演ずるお父さんは体裁ばかり構う男。会社を馘になっているのに家族にも言えないまま。当然支払われない給料を工面するために借金まみれになっている。

そして、平泉の父親は認知症。訳の分からないことを口走り、よだれかけをしてこぼしまくりながら汚らしく飯を食う。演じているのは笑福亭松之助。

大谷直子演ずるお母さんは気丈者だが、義父の世話を独りで背負わされていい加減げっそりしている。

さて、このように2つの話が同時進行するとき、観客にとってはこの2つがどこでどう繋がるのかが興味のポイントになってくる。すると、そうこうしているうちに祖父が亡くなるのである。ははあ、なるほど、多分こういう繋がり方だな──と思ったら豈に図らんや、2つの話は意外な繋がり方をする。これから見る人のために書かないけど、却々見事なストーリーを仕立てている。

几帳面そのもののつみきといい加減の典型のような宮迫──この対照的な2人を絡ませて人間同士の、家族同士のつきあいの綾みたいなものを鮮やかに描き出している。

台詞回しが巧いねえ! 抜群のセンス! 舌を巻くくらい巧い会話劇だ。そしてラストも含蓄があって素晴らしい。

脚本・監督は西川美和。2003年度キネマ旬報第14位。ベストテンに入っていても不思議はない作品だ。

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