『アースダイバー』中沢新一(書評)
【10月30日特記】 中沢新一と言えば、(『野ウサギの走り』辺りを念頭に書いているのだが)僕にとっては、やたらと難しくて何が書いてあるかイマイチよく解らない、でも、何が言いたいかはよく解る、という不思議な著者だった。
ところが、この本の場合は、何が書いてあるか全部解るし、そうなると当たり前だが、何が言いたいかもちゃんと解る。これは読者としてはありがたいことのはずだが、そうなって来ると今度は「何が言いたいか」ではなく「何が書いてあるか」に引っ掛かってしまうのである。
縄文時代の地図を基に、縄文時代も陸地だった洪積層と縄文時代には海に沈んでいた沖積層との違いを主眼に置いて、現代の東京の街並みを読み解いている。読んでいると確かに面白いのだが、一方でいかにも牽強付会、ちょっとそこまでこじつけるのは無理があるのでは?と思う点も多い。
その地点にそのお寺があることについてはなるほどと納得するのだが、では別の地点に別のお寺があることについては同じ理屈で説明できるんだろうか?
もちろん著者は「海だったか陸だったか」というたった1つのキーワードで全てを色分けしようとしているわけではなく、次々に視点を変えて、それを海/陸の観点に加えることによって、中沢一流とも言うべき非常に興味深い論を展開している。
ただ、面白いんだけど、どっか引っ掛かってしまうのである。「資本主義」という単語を経済学上の正確な意味ではなく「商品経済」と同じ意味で使ってたりするのも気になるし…。
だから、僕が思うにこの本は、いちいち書いてあることに「ふーん、そうだったのか。海だったか陸だったか、湿った土地か乾いた土地かでそんなに違うのか」とか「死霊の支配する世界のファッションは派手なのか」などと感心するのではなく、それらのことを言わばある種の「喩え」として読み進むべきものだと思う。
面白いのは「喩え」のほうではなく、これらの「喩え」を駆使して展開される中沢新一の世界観である。ふーん、中沢新一は東京という町を、日本の歴史を、資本主義の特徴を、天皇の存在をそんなふうに解釈しているのか──そういう風に読むと非常に面白い。
言うまでもないことだが、この本は東京在住の人向きである。東京の街を実際に歩いた人でなければ面白くないだろう。
「あくまで喩えである」とか「いかにも無理がある」などと言っていながら、巻末付録の縄文地図を眺めながら、「なるほど、このあたりは沖積層だったのか」とついつい感心してしまう僕である。
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