『東京奇譚集』村上春樹(書評)
【10月11日特記】 冒頭に収められている『偶然の旅人』は「僕=村上」が一人称で語ることを宣言して始まる。
村上が言うには、「不思議な出来事」が「僕の人生にはしばしば起こった」のだが、「しかし僕がその手の体験談を座談の場で持ち出しても」「おおかたの場合、『ふうん、そんなこともあるんですね』あたりの生ぬるい感想で、場が閉じてしまう」のだそうだ。
そんな風に書き始められると、この後に続く話が如何にも村上自身のドキュメンタリーであるかのような印象を与えてしまう。確かにそこに書かれているエピソードは実際にドキュメンタリーであってもおかしくない程度の「不思議な出来事」ではある。しかし、どうもなんだか嘘っぽいのである。
それで僕ははたと気づいたのである。この嘘っぽさこそが村上春樹なのだということに。今まではフィクションであることを前提として読んでいたので気づかなかったのだが、これは事実ですよと書かれて初めて、村上の全作品の外側を共通に覆っている嘘っぽさに気がついたのである。
奇想天外な話を書いても実際にありそうな話を書いても、どちらの場合も村上の文章はどこか微妙に嘘っぽい。が、嘘そのものではない。いや、嘘臭くてもインチキ臭くないのである。それどころか、上辺は嘘っぽいのに深いところでどこかリアルなのである。だからこそ僕らは村上ワールドに強く惹き込まれてしまうのである。実はそれこそが村上春樹のからくりなのである。
『偶然の旅人』における村上自身のエピソードは実は「枕」に過ぎず、彼の知人であるゲイの調律師の話がメインの物語である。もうその辺りからは読者にそんなからくりを微塵も感じさせない、いつもの村上話芸が繰り広げられる。
その後に『ハナレイ・ベイ』『どこであれそれが見つかりそうな場所で』『日々移動する腎臓の形をした石』『品川猿』という4つの短編が続く。本全体のタイトルが示すように、いずれも東京を舞台にした奇譚である(もっとも『ハナレイ・ベイ』は舞台の半分以上がハワイであるが)。ただ、その東京は、村上作品の中の東京がいつもそうであるように、「東京のどこか」ではなく「東京のどこでもない場所」なのである。
いつもの翻訳調の日本語によるタイトルを見ただけで興味をそそられる。これは古くからの村上ファンが充分に彼の魅力を再確認できる、なかなかのご馳走である。
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