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Monday, October 31, 2005

『BLACK KISS』マスコミ試写会

【10月31日特記】映画『BLACK KISS』のマスコミ試写会に行ってきた(シネカノン試写室。シネラセットの隣にあんな試写室があったんですね。気がつきませんでした)。

手塚眞監督作品を観るのは1985年6月の『星くず兄弟の伝説』以来なんと20年4ヶ月ぶり3本目である。あの映画はまだ大学の映画研究会に毛が生えた程度の作品だった。

それが念頭にあったせいか、ま、悪くないんじゃない?っちゅう感じ。

犯人が誰か判りにくくしたい、最後にどんでん返しも作りたいと欲張ったために、確かに「こねくり回しすぎ」(前の席の人がそう言ってた)の感もあったけど、ま、ホラーのミステリって所詮そんなもんじゃない? 僕はホラー映画やミステリ作品はあまり見つけてないせいか、そんなに気にならなかった。確かに意外性を追求しすぎたために、そんなつまらん動機で連続猟奇殺人するんかい!?とは思ったが・・・。

それより、カットを割る必要のないところでわざと割っているところが何箇所もあって、これ、凝った映像のつもりだろうけど、随分目障りだったなあ。

まあ、でも、観る前は、趣味に走りすぎて一般人がついて行けないような映画ではないかと心配したのだけれどそんなことは全然なくて、張りつめた雰囲気は良く出ていたし、(真犯人以外の点では)ディーテイル含めて脚本もよく練れていたと思う。

ただし、これは人間を生きたまま解剖したり切り刻んだりする残忍な犯罪映画なので、そういうの苦手な人は見ないほうが良いですよ。僕はそういうシーンに出くわすと「あれは本当に人間を切っているのではない。特殊メイクとか合成だ」と心に念じながら観ました。

橋本麗香、川村カオリという一般にはあまり馴染みのない主演2人を、安藤政信、奥田瑛二、草刈正雄、オダギリジョー、小島聖という芸達者な脇役が囲んで好演。全然重要な役ではないのだけれど、利重剛の鑑識官がなんか存在感あったなあ。

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Sunday, October 30, 2005

『アースダイバー』中沢新一(書評)

【10月30日特記】 中沢新一と言えば、(『野ウサギの走り』辺りを念頭に書いているのだが)僕にとっては、やたらと難しくて何が書いてあるかイマイチよく解らない、でも、何が言いたいかはよく解る、という不思議な著者だった。

ところが、この本の場合は、何が書いてあるか全部解るし、そうなると当たり前だが、何が言いたいかもちゃんと解る。これは読者としてはありがたいことのはずだが、そうなって来ると今度は「何が言いたいか」ではなく「何が書いてあるか」に引っ掛かってしまうのである。

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Saturday, October 29, 2005

舞台『リバーダンス』

【10月29日特記】『リバーダンス』を観た(大阪、フェスティバルホール)。タップを中心としたダンスもケルト音楽主体のミュージックも、まさに「怒涛の」と形容すべき瞠目のステージだった。

特にアイルランドとアメリカのタップの競演が凄かった。フィドルの早弾きを聴いていて、ふと、ケルト・ミュージックがアメリカ大陸に渡って変容したものがブルーグラスなのかなという気がした。

ところで、開演前に後ろの席に座っていた2人のおばさまの話を聞くとはなしに聞いてしまったのだが、どうやら歌手の誰かのステージを観に行って、その時の悪口を言っているらしい。

「もう、決められたことを順番にやってるだけで、事務的? 解る? サービス精神が全くなくて、もう映画観てんのんと同じや。2度と行かんとこと思たわ。その点、吉幾三はお喋り面白いし、笑かしてくれるし・・・」

よ、吉幾三!?

僕は吉幾三には何の恨みもないけど、『リバーダンス』と吉幾三のファン層が一部かぶると知って大変ショックを受けたのだった。

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Thursday, October 27, 2005

モチベーションは何?

【10月27日更新】1ヶ月半前に派遣社員の面接をした。失敗した(採用したのだけれどお互いに不幸な結果になって辞めてしまった)。

「面接失敗したなあ」という話を部下としていて、僕が「面接したときに、仕事に対するその人のモチベーションが何なのか見極めるべきだった」と言ったら、「やまえーさんのモチベーションは何ですか?」と切り返された。

そのときは咄嗟に思いつかずに「うーん、そんなもんないわ」と誤魔化したが、よく考えてみると、きっと僕のモチベーションは「自分らしさに対する忠誠心」だ。これって完璧な自己満足なんだけどね。

でも、自分らしさを発揮させてくれない仕事なら、やっても仕方がないと思う。自分らしさを発揮させてくれない仕事なら、会社の業績が上がろうが自分が高く評価されようが、それはちっとも面白くない。

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Monday, October 24, 2005

健康診断を診断する

【10月24日特記】明日は会社の健康診断である。僕は常々思っているのだが、健康診断は体に悪いのではないだろうか?

前日の夕食はある一定の時刻までに済ませなさいと言われる──これはまあ良いだろう。しかし、翌日の朝食は抜きである。朝食抜きはいけないのではなかったか?

それどころか、その「一定の時刻」以降、検査が終わるまで水一滴飲めない。これは良くないでしょう。そのくせ、検査会場に着くと、まずおしっこしろと言われる。たいていは朝起きてから1回はおしっこした後だし、しかも昨夜から水一滴飲んでないのに・・・。そうは出ないぞ。

ほんで空腹のところ血を抜かれる。今でこそ検査方法が進歩したのか2~3本で済むが、昔は4本も5本も抜かれたもんだ。血を抜かれている最中に「その内1本は売るんでしょ?」と言ったら「笑わせないで下さい。手許が狂います」とマジで怒られたことがあった。

続いてX線浴びせられたり、眼を開けさせておいて光ピカーッ!と当てられたり・・・。

で、仕上げはあれだ、バリウムだ。朝から健康診断が始まると大抵昼飯のメニューはバリウムということになる。アペリティフ代わりにゲップする薬飲まされてゲップするなと言われる──何それ!? で、いよいよメインのバリウム。

あれは内臓に悪いぞ。医者もそのことが解っているから、すぐに下剤飲ませる。飲んではいけないものを飲ませた挙句、人工的に下痢させるのである。

これだけの苦行を極限的な空腹状態でこなすのである。なんで、あれ空腹状態でなければならないんだろ? 人間の生活習慣に於いて、起床したばかりでもないのに10時間以上飲まず食わずというのはかなり異常な状態である。なぜ、その異常な状態での血液を調べる必要があるのだろうか?

もっと健康な時に健康診断してもらいたいものだ。

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Sunday, October 23, 2005

聞き取れない英語の歌詞

【10月23日特記】ちょうど1週間前に書いた記事の中で Ebony & Ivory という歌について触れた。この歌、テンポが結構ゆっくりしているのでかなり確実に歌詞が聞き取れる。聞き取りにくいところも韻の踏み方から逆に辿って単語をつきとめたりもしたものだ。

ところが、出だしでありサビの部分で、僕にはどうしても聞き取れない部分があった。最後の Why don't we ? の直前の2音節である。

文の構造からして、この部分はあってもなくても文法的には文が成立するはずである。強調の副詞句か、呼びかけか、間投詞か? 最初は Oh, love かと思ったのだが、それだとなんか変。

判らないままずっと放っていたのだが、これを機会に調べてみてなるほどなあと思った。道理で聞き取れないはずである。正解は Oh, Lord。

Oh, Lord !(おお、神よ!)

日本人で会話の中に「おお、神よ!」なんて言葉を挟むのは怪しげな宗教の教祖様くらいのもんだ。まして Lord である。God なら聞き取れたかもしれないが Lord となると絶望的である。

同じ英語でも自分に馴染みのない単語は聞き取れないものだ。
聞き取れないのは宗教的な理由だった。

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Wednesday, October 19, 2005

長いスパンでものごとを考える

【10月19日更新】ここ数年心がけていることは長いスパンでものごとを考えること。

身の周りにはもちろん今すぐに決断しなければならないことや来週中に結論を出さなければならない喫緊の課題もある。しかし、決断を下す or 結論を出す=考えるのを止める、ということではないはずだ。

では、どのくらい長いスパンかと言うと、例えば100年。僕くらいの年齢なら50年でも良いかもしれない。

その意味するところは、自分の人生より長いスパンでものごとを考えるということ、自分が引退した後、あるいは死んだ後どうなっているかに思いを馳せてみるということ。それは取りも直さず、自分のことだけを考えるに留まらないということだ。

それは例えば自分の子供のことを考えるということになる。僕には子供がいないので、次の世代の他人のことを考えることになる。もっと敷衍すると、未来のことを、広く人々のことを考えることになる。今の自分の決断や行為が後々どういう影響を及ぼすかを気に掛けることになる。見守ることになる。考え続けることになる。

500年後ともなれば想像の範囲を超えてしまっている。せめて50年後、100年後を視野に入れた人間でありたいと思う。

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Sunday, October 16, 2005

差別ネタを考える

【10月16日特記】DVD"SATURDAY NIGHT LIVE 25 YEARS of MUSIC"vol.1-3 を見終わった。

見終わってつくづく感じるのは、なんでこんなヤバいジョークがTVで罷り通るのだろう?という単純な疑問。そもそも米国では人種ネタ・ギャグはスタンダップ・コメディアンの定番であると聞く。やはり日本と米国の国民性の差なのだろうか?

代表的なものを以下に列挙する。

1)アンディ・カウフマンの移民キャラ(vol.1)

移民の喋るブロークン・イングリッシュを茶化したネタ。この部分の英語だけ一語残らず完璧に聞き取れる自分が情けない。

しかし、このネタ、日本のTVでできるかなあ? 日本に移民はほとんどいないので、(合法・不法を問わず)長期滞在中の外国人が喋る日本語をネタにする訳だが、まあ、やりようによるか。

2)天才女性ロックシンガーにして詩人のキャンディ・スライス(vol.1)

ギルダ・ラドナー扮するロックスター、キャンディ・スライスが、ジョン・ベルーシ扮する大物レコーディング・エンジニアのフィル・マローンをスタジオで6時間半も待たせたところからコントは始まる。

マローンが怒る。「何様のつもりだ!? ジミ・ヘンドリックスだって俺を待たせなかった。ジム・モリソンだって待たせなかった」「じゃあ、ジム・クロウチは?」「あれは飛行機のせいだ」

ジム・クロウチが飛行機事故で死んだのは有名な話。なんというブラックなジョーク!

これ、日本でできるかな? その後、キャンディ・スライスが到着すると完璧なドラッグ漬けで全く役に立たないというシーンが続いてるし、多分無理。

3)Canon 製カメラのCMのパロディ"Kannon"(vol.2)

盲目のスティービー・ワンダーでも写せる(Even Stevie Wonder can use it)というコンセプト。そう言えば vol.1 にも耳の聞こえないベートーベン(ジョン・ベルーシ)をバカにしたようなシーンがあったが、その手のネタではこの vol.2 が一番ひどい。

まず、スティービーがプロ・テニス選手のジョン・ニューカムを写す。眼が見えないので手探りでカメラを掴むところから始まる。いつものようにスティービーがにやけながら首を左右に振ってカメラを構えてニューカムを狙うのだが、あらぬ方を向いているためにほとんどちゃんと写っていない。もちろんピントも合っていない。

今度は交代してニューカムがテニスをしているスティービーを撮るのだが、何度ボールが来ても完全にずれたタイミングでずれた空間をスウィングするスティービー。

So simple - anyone can use it ──最後にスティービーがそうコメントする。

客は爆笑。

しかし、これ、スティービー・ワンダー本人が演っているところが凄い!と言うか、だからこそ笑えると言うか、そこがせめてもの救いになっていると言うか・・・。

これ、日本でできるかなあ? いや、絶対にできない。知り合いに眼の不自由な人など全くいない人も含めて、多くの視聴者から苦情が殺到して、制作担当者は処分されるだろう。

4)フランク・シナトラとスティービー・ワンダーによる Ebony & Ivory (vol.2)

古い曲なので Ebony & Ivory を知らない若い人たちのために書くと、ebony は黒檀つまり漆黒、ivory は象牙色、これをピアノのキーボードに並ぶ黒白の鍵盤になぞらえて、黒人も白人も仲良くやろうよというメッセージ・ソングで、1980年代前半にポール・マッカートニーとスティービー・ワンダーのデュエットで大ヒットになった。

これに目をつけたフランク・シナトラ(扮しているのはジョー・ピスコポ)がスティービー(扮しているのはエディ・マーフィー)を迎えてその第2弾を録音しようとするコント。

まず、シナトラがエスキモーを茶化したような歌詞を提案する。スティービーが「それはエスキモーに失礼だ」と反論するのだが、シナトラは「奴らはレコードを買わん」と一蹴。

──危ねえネタ。ところで、最近TVではエスキモーと言わず(彼らの自称である)イヌイットという単語を使う。が、このDVDではしっかりエスキモーと言っている。この時代は許されたのか、あるいは「頭の固い差別主義者のフランク・シナトラ」という演出か?

日本語の字幕だけが「イヌイット」になっているところがなんだか間抜けではある。

続いて、じゃあ一緒に歌おうということになって、シナトラが歌う。曰く、「リンカーンは偉かった 黒人奴隷を解放したから」。

その後「お前は黒人で俺は白人 お前は眼が見えないけど俺は見える」。Negro なんていう差別用語も織り込んである。「手に手をとって力を合わせよう」などと言わず 「喧嘩はやめようぜ(Let's not fight)」と歌ってる。

黒人差別というのは日本人にはよく解らない感覚なのだが、これを現に日本にある他の差別に置き換えてTVでコントができるかと言えば、まず無理だね。

vol.3 にはほとんどヤバいネタはないので、あるいは80年代前半ならではのことで、今は米国のTVでもここまでのことは許されないないのかもしれない。しかし、これだけ並べて見て、やっぱり日本と米国の間には明確な国民性の差があるような気がする。

散々茶化されたフランク・シナトラにしても、たまたま出会ったジョー・ピスコポに対して「お前は面白い奴だ」と笑っていたというではないか。そして、スティービー・ワンダーは自ら盲人をコケにしたコントに出演しているし・・・。

僕にとっては、日本のTVは差別ネタに関して時として神経質すぎることがあって少し窮屈だと感じることがある。しかし、一方でこのDVDのようなネタを平気でやってゲラゲラ笑っている感覚も理解しがたい。

ただ、フランク・シナトラのように茶化されたことを笑って聞き流す神経も少しは必要かなとは思う。考えてみれば、茶化されても笑って聞き流すという行為は、僕らが職場でしょっちゅう(ある時は攻めに回り、ある時は守りに追い込まれ)やっていることだ。

皆さんの会社ではそんなことないのかな?

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Saturday, October 15, 2005

抑制の効いたメールに抑制の効いた返信

【10月15日更新】2001年2月3日にウェブページを立ち上げて以来、メルマガを発行したり、いろんなサイトに投稿したり、あるいは追加でこのブログを開始したりと、我ながら結構手広くやってきたもんだと思う。

それに伴って、見知らぬ方からメールをいただく機会も多くなった。そして、最近ではその中に少しストレスの溜まるものも混じるようになってきた。

幸いにして、まだ僕のところには「アホ、ボケ、カス、お前なんか死ね!」みたいなメールが届いたことはない。僕に対して批判的なことを書いてこられる方もあるが、皆一様に礼儀正しく冷静な書き方をして下さっている。

しかし、それでも、若干のストレスは溜まる。そもそも批判的なことを言われること自体がストレスの素ではあるが、そのことを言う気はない。ただ、何通かお互いにメールのやり取りをして、お互いに自分の思いが伝わらない、何か決定的なすれ違いを感じてしまう──そういうケースにストレスが、多分お互いに溜まるのである。

これは、でも仕方がない。冷静と抑制を保って真摯なメールのやり取りを辛抱強くやり続けるしかないのである。

僕もメールをいただいた全員に返事を書いているわけではない。が、出来る限り書いている。そして、自分の意見を押しつけるのではなく、しかし、自分の主張は努力して伝えるようにしている。

それもこれも、ちゃんと抑制の効いたメールを皆さんが下さるからに他ならない。
お互いいつか思いが通じる(かもしれない)と信じ続けて行きたいと思う。

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Tuesday, October 11, 2005

『東京奇譚集』村上春樹(書評)

【10月11日特記】 冒頭に収められている『偶然の旅人』は「僕=村上」が一人称で語ることを宣言して始まる。

村上が言うには、「不思議な出来事」が「僕の人生にはしばしば起こった」のだが、「しかし僕がその手の体験談を座談の場で持ち出しても」「おおかたの場合、『ふうん、そんなこともあるんですね』あたりの生ぬるい感想で、場が閉じてしまう」のだそうだ。

そんな風に書き始められると、この後に続く話が如何にも村上自身のドキュメンタリーであるかのような印象を与えてしまう。確かにそこに書かれているエピソードは実際にドキュメンタリーであってもおかしくない程度の「不思議な出来事」ではある。しかし、どうもなんだか嘘っぽいのである。

それで僕ははたと気づいたのである。この嘘っぽさこそが村上春樹なのだということに。今まではフィクションであることを前提として読んでいたので気づかなかったのだが、これは事実ですよと書かれて初めて、村上の全作品の外側を共通に覆っている嘘っぽさに気がついたのである。

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Monday, October 10, 2005

連休最後の日

【10月10日更新】僕は大学でマルクス経済学を学んだ。

カール・マルクスのことを占い師や預言者みたいに思っている人も多くて、そういう人たちは東欧の共産主義国家がこぞって倒れたのを見て、「マルクスは間違っていた」と言う。

だが、マルクスの膨大な著書を読めば、資本主義社会の本質を見極める上で、彼の理論がいまだに有効であることがよく解る。彼は決してノストラダムスではないのだ。

だから僕はいまだに彼のことを偉大な経済学者だと思っている。

ただ1点だけ、僕がマルクスにどうしても同意できない点がある。それは彼の労働観。

それまで「できれば避けたい苦しいこと」と捉えられていた労働に対する考え方を、マルクスは覆そうとした。苦しいのは搾取されているからであって、労働は本来楽しいものだ、と教えようとした。それは、「労働が価値を産む」という彼の学説の根幹を支える感慨だったのだろう。

しかし、労働が楽しいのは、例えば何かを作っている職人さん、それも自分で完結できるような仕事の人ではないか?

僕は日曜日の夜(あるいは今日のような連休最後の日)になるといつも、会社が永遠に休みにならないものかと塞ぎ込んでしまうのである。

まあ、この辺の事情についてもマルクスは所謂「労働疎外論」を展開して鮮やかに説明しきってはいるのだけれど、果たして資本主義経済でなくなったら労働が労働者のものになる、つまり働くことが楽しいことになるんだろうか?

これだけはなんか同意できないなあ。働くの、楽しくないよ。

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Sunday, October 09, 2005

映画『空中庭園』2(パンフレット編)

【10月9日特記】 映画『空中庭園』のパンフレットを今読み終わったのだが、これ、1000円もしたけど非常に充実したパンフだ。

ストーリーと解説とキャスト紹介があって、そのあとインタビュー記事が延々と続く。何故か監督インタビューはなくて、インタビュイーは撮影・照明・録音・美術・衣裳・ヘアメイク・編集・音楽監督・楽曲・歌手・特機・フラワーデコレーション・CG視覚効果・プロデューサーの各スタッフ。

これ、すごく勉強になる。各担当のスタッフがどんなことを考えどんな段取りでどんな作業をしているか、どんな処置を施せばああいうシーンが出来上がるのかが手に取るように解る。

特機なんて何する人か知ってる? 僕はたまたまこういう業界にいるので、現場経験はなくても特機が何をする人なのか大体知ってはいたけど、一般の人には「ふーん、そんな役割の人がいるのか」てなもんでしょ。

これから映画業界を目指す人はこのパンフ必読でしょ。映画見てパンフ読んで、もう1回映画見直したらものすごく勉強になると思うよ。僕は映画を見たら必ずパンフを買って、読んで、そして年始に全冊捨てるのだけれど、このパンフだけは取っておこうっと。

そして、パンフはこの後4th助監督によるお決まりの撮影日誌が続き、さらに台本が併載されている。

一応「決定稿」とは書いてあるんだけれど、現場で何箇所も手直しする監督だけに、映画と比べて読むとめちゃくちゃ面白い。そして、編集で落としたシーンもきっちり載っている。

で、これで終わりかと思ったら、その後なんと角田光代の短編小説まで載っている。

タイトルは『夜道の家族』。読んでみると『空中庭園』の後日談ではないか。話者は、映画ではソニンが演じたミーナ先生。大楠道代が演じていたおばあちゃんが亡くなって、葬儀の連絡がFAXでミーナ先生に届くところから始まる。ミーナ先生はすでに(映画では板尾創路が演じていた)貴史とは別れて他の男と同棲している。ミーナ先生は「いくわけないじゃん」と独りごとを言いながら、結局バスに乗って葬儀場に向かう・・・。

これがまた良い短編小説!

いやあ、値打ちのあるパンフでした。

ところでパンフで知った情報ひとつ。息子役の広田雅裕、今回映画初出演らしいのだが、あの『だいじょうぶマイフレンド』の広田玲央奈の息子なんだってさ。あんまり似てないけど。

【12月6日追記】 後付けですが、同じようなことが書かれたブログを見つけたので、トラックバックさせてもらいました。

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映画『空中庭園』1

【10月9日特記】 映画『空中庭園』を観てきた。

ものすごい映画を見てしまった。未だ興奮冷めやらない。一体何から書こうか?

まず、カメラワーク。

冒頭の長回し。キッチンのランプシェードの周りをグルッと回って下に降り、そのまま芝居が始まる。ルーフバルコニーからバスへと続くシーンでカメラが振り子のように左右に揺れる。見ていて酔いそうになる。今度は地平が回る。その上に建っている3棟のマンションごと360度回転する。元の地平に戻る過程で「空中庭園」というタイトル文字が出現する・・・。

このアバンタイトルだけでもうたっぷりとカメラワークを満喫。その後も見事に緻密に計算し尽くされたカメラワークが観客を堪能、いや嘆息させてくれる。ほとんどカットを割らずに長回しで繋いで行く。カメラが揺れる、回る、一気に寄る。──この緊張感、そして禍々しさ、そして宙ぶらりんの不吉な感じ。

そう、禍々しくて不吉な映画。多分原作とはかなり違えているのだろう。角田光代は『対岸の彼女』しか読んでいないのだが、ここまで凶猛な文章を書く人ではないと思う。

ストーリーは、ひと言で身も蓋もなく言ってしまうと、崩壊した家族の話。成立していない、嘘の家族の話。秘密は一切作らないことをルールにしている家族の話。あるいは、劇中に出てくるソニンの台詞を借りれば、(幸せでないのに皆で幸せを演じている)「学芸会にそっくりや」ということになる。

僕の考えでは、ルールなしで運営できる組織が本来家族というものであるから、ルールで縛って基盤を固めようとした瞬間に、それはもう家族ではない。でも、本来的な家族でなくなってしまったからと言って、家族は急に辞められるものではない。だから、幸せな家族の振りをするか、あるいは決定的に決裂して没交渉になるしかない。

主人公の小泉今日子の少女時代、大楠道代が演ずる母親とは決定的に決裂した家族だった。その反動で彼女は計画的に幸せな家族を演じようとする。板尾創路を夫役に見繕って妊娠して結婚する。当時の憧れのマンションにも移ってきた。4人家族なのに「家はひとつ」という理由で鍵は1つしか持たない。

ところが性欲旺盛な板尾は2人の女と浮気中。そして、その内の1人・ソニンがある日突然なんと息子・広田雅裕の家庭教師として現れる。娘の鈴木杏は実は高校には通っていない。ボーイフレンドとラブホテルにしけこんだりしている。

それでも表向き、この京橋家は「秘密を作らない」というルールの下で幸せな家族を演じている。だから娘に「私が仕込まれた場所はどこか」という質問を受けたら、正直に近所のラブホテルの名前を告げてやる。ただし、小泉は学校でずっと苛められていたことは家族には伏せて元生徒会長ということにしている。

小泉今日子の作り笑いがたまらなく不気味。そして切れる小泉、めっちゃ怖い!
大楠道代の荒んだ演技もすごかった。

広田とソニンがトンネルの中で乗っていたバスが事故を起こして立ち往生するシーンもなんだか不思議な凄みがある。バスの窓から飛び降りて歩き去って行くソニンの、カツカツというヒールの足音がとても不吉。

「このまま不吉なままで終わってしまうとめちゃくちゃ後味の悪い映画やなあ(でも、たとえ後味悪くてもとても良い映画だとは思うが・・・)」と思っていたらそうではなかった。

一条の希望の光、とは言わない。
ここまで行ってしまうともう引き返すのは不可能だ。引き返すのではなく、ここまで間違って来てしまってここからどの道に曲がるのか、彼らなりのあり方が示される。それはひょっとしたら本質的な解決にはなっていないのかもしれない。だが彼らなりの家族のあり方が暗示される。

入院先の病院から大楠が娘に掛けてきた電話でのやりとり。そして、板尾創路が帰宅途中たまたま娘と乗り合わせたバスの中で、大阪弁に戻って語る台詞がなんとも力強く、救いに満ちている。そして、終盤で初めて登場した小泉の兄役の國村隼の台詞にも救いがあった。そう、人間はいろんなことに気づいていろんなものを超えて行く存在なのだ。

ラストの小泉の演技は狂気に満ちたものだった。

エンディングのクレジットが終わって再びカメラの画に戻った時、観客はもう一度唸ることになる。

この映画、今年見た中では『トニー滝谷』と並ぶ、極めて印象に残る作品だった。

エンディング・テーマはUA。久しぶりに聞いたけど、心に染みる素晴らしい歌声だ。

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Thursday, October 06, 2005

『ギミー・ヘブン』完成披露試写会

【10月6日特記】 映画『ギミー・ヘブン』の完成披露試写会に行ってきた。

んー、どこが悪かったんだろ?と見終わってから一生懸命考えてみたのだが、結論として主犯はやっぱり脚本かなあ。

坂元裕二と言えば『東京ラブストーリー』でいきなり現れて一世を風靡した脚本家。あれはもう14年も前か。最近では映画版セカチュー。うむ、あれもちょっと力入りすぎて暴走気味の脚本ではあった。

良い台詞もあるんだけれど、ところどころ外してる。そして全体を見ても、設定・進行ともに難あり。

せっかく“共感覚”という面白いテーマを見つけたのに、それを無理やり殺人事件に仕立てる必要はなかったのでは?

共感覚というのはひとつの感覚に付随して別の感覚をおぼえること。
例えばものを食べて味だけではなく形を感じたり、ものを見て音楽が聞こえてきたり・・・。2万5000人に1人の割合でそういう人がいるらしい。そう言えば昔読んだ『絶対音感』(最相葉月・著)という本に、絶対音感の持ち主は音を聴いて色を感じるという話があった。

ただ、共感覚の持ち主同士が同じものに対して同じ感覚を持つということはまずないらしい。

映画の話に戻るのだが、要はこの共感覚と殺人が結びついているのである。それが映画の中で大きな無理を生んでしまっているのが実情。

カメラマンには高間賢治という非常に実績のある人(僕が映画館で観た作品は5本ある)を使っていて、画はとても綺麗だし(ちょっとした長回しがあったり、色彩も豊か)、俳優も結構良い人をたくさん起用している(僕が印象に残ったのは宮﨑あおい、安藤政信、松田龍平、鳥肌実、北見敏之。他に江口洋介や石田ゆり子、小島聖らが出ている)のにとても残念。

最後のシーンで一気に謎解き・種明かしをしようという魂胆なのだが、脚本のそれまでの部分にボロボロ漏れがあって、僕はクライマックスが来る前に多くの秘密を解明してしまっていた。脚本家はミステリーを投げつけたつもりでも、観客にとってはヒントでしかなかったということもあるのだ。

監督の松浦徹はこれが長編デビューだとか。まあ、次回作に期待というところかな。

次は同じ共感覚というテーマで殺人が絡まないストーリーを考えてみたらどうかな?
いや冗談じゃなしに、ホントに面白いテーマだなと思うんですよ。

【余談】

冒頭の舞台挨拶で安藤政信は何を訊かれても「宮﨑あおいちゃんが可愛かった」としか答えなかった。その気持ちは良く解る。

可愛いだけでなく、宮﨑あおいらしい役どころで、無言の演技から饒舌になるあたり、やっぱい巧いよ、この娘は。(宮崎あおい)

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Wednesday, October 05, 2005

ケロロ軍曹が出てくる

【10月5日更新】 Amazon の画面にケロロ軍曹が出てくるのである。

ご存知の方も多いと思うが、Amazon で購入したことのある人がHPを開くと、「こんにちは○○○○さん」というメッセージとともに、HPを見ている人に対する「おすすめ商品」が羅列される。クッキーの働きと、どこかのデータサーバに蓄積された僕の検索・購入履歴とを組み合わせた芸当である。

で、最近必ずケロロ軍曹が出てくるのである。だけど僕は別にケロロ軍曹のファンではない。

確かに、一時『ケロロ軍曹』がウチで放送するアニメの候補に挙がったことがあって、その際にはコミックスの4巻まで読んだし、正直言って面白かった。だが、結局今ではウチではない別の系列の局で放送されているし、その放送を僕は1回も見たことないしコミックスの5巻以降も読んでいない。

にもかかわらず何で僕へのお薦め商品の中にケロロ軍曹のCDが混じってくるかと言えば、それは鈴木さえ子の15年ぶりのアルバムを買ったからだ。そして、たまたまそれが『ケロロ軍曹』のサウンドトラック(パッケージには「サウンドケロック」と書いてあるけど)だったからに過ぎない。

重ねて言うが、僕は鈴木さえ子のファンではあるが、ケロロ軍曹のファンではない。だから、同じく鈴木さえ子の作品である『サウンドケロック2』を紹介してくれるのは良いが、それ以外のケロロ軍曹は余計である。

コンピュータがいくら賢いといっても、そこまでは見抜けないのであった。

買ったCDはまだ一度も聴いていないけど鈴木さえ子ファンの間ではすこぶる評判が良い。
なので『サウンドケロック2』は買うかも。

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Tuesday, October 04, 2005

『アムニジアスコープ』スティーヴ・エリクソン(書評)

【10月4日特記】 ドン・デリーロとリチャード・パワーズとスティーヴ・エリクソン──この3人の米国の作家は僕にとってはどれを読んでも頭がクラクラするという共通点がある。と言ってもエリクソンについてはまだこの本が2冊目なのだが。

誤解を恐れずに書けば、これは恋愛小説である。250ページほどの小説の大半は、現在の恋人であるヴィヴとの暮らしを中心に、主人公の女性遍歴の話で占められている。いろんな女が登場するので、読んでいて誰が誰だったかすぐに解らなくなる。「どう考えてもこれは一度は登場した女だ」と気づいてページを遡ったことが何度もあった。

一人称で語られる主人公はS。かつて作家であり、今は新聞に映画評を書いている。時代と場所は大地震直後のLAである。

彼の頭の中でも心の中でも、あるいは時として肉体の関係においても、彼の女性遍歴は「あの女の次はこの女、その後がこの女」という風に整然と並んではおらず非常に入り乱れているのである。この辺りは記憶喪失(アムニジア)と記憶の意義と弊害を語るこの小説にふさわしい舞台装置になっていると言える。

そして、早くも前言を翻すのだが、これは恋愛小説ではない。恋愛小説と呼んでしまうには余りにも広いフィールドをカバーしているから。

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Sunday, October 02, 2005

映画『ファンタスティック・フォー』

【10月2日特記】 映画『ファンタスティック・フォー』を観てきた。

実は昨夜、WOWOWから録画しておいた映画『サンダーバード』を観たのだが、こういう少年期に慣れ親しんだヒーローもののリメイクを観るのは大変楽しい。
そう、『ファンタスティック・フォー』は往年のTVアニメ『宇宙忍者ゴームズ』なのである。

『ゴームズ』は放送時に日本用にローカライズされていたので、僕らはこのリメイクを見て初めて原作に触れることになる。「へえ、ゴームズって元々の名前は Reed/Mr. Fantastic だったのか!」てなもん。

Ben/The Thing →ガンロック、Johnny/Human Torch →ファイヤー・ボーイ、Susie/Invisible Woman →スージーという具合に日本版の登場人物名が決められた訳だけれども、僕らはこの矢印を今日初めて逆に辿ったのだ。

しかし、それにしてもゴム人間のゴームズはともかくとして、ガンロックってのも秀逸な名前でしょ? なにせガンもロックも岩ですから・・・。

で、この映画は単純なスーパーヒーローものですから余計なことを考えてはいけません。パンフレットには「ヒーローものの中に等身大の人間ドラマを持ち込んだ」などとご大層に書いてあるけど、そんなことは手塚治虫を筆頭に日本では40年前からやってたことで、単にアメリカン・コミックが遅れていただけ。

だから、人間ドラマなどの“おかず”の部分に余計な期待をかけてはいけない。

──などと書いているから貶すのかと思われたかもしれないが、実は褒めるのである。だって、面白かったんだもん。ほんで、スージー役のジェシカ・アルバが可愛かったもんね。

世の中にはおかずが不味すぎてご飯まで食べられなくなってしまうこともあるけど、これはおかずもちゃんと美味しくてご飯も進んだのである。

登場人物がそれぞれの特性を活かしてどんな活躍をしてどんな風に敵を倒すのかというところが、この手のストーリーの醍醐味だと思うのだが、なかなかよく考えてあったと思う。

帰りのエレベータで一緒になったカップルが「あまりにあっさり決着がついてしまう」とぼやいていたが、そうか、近年のハリウッドのコッテリ系のアクション映画にどっぷり浸かっている人たちはあれでは物足りないのか。

でも、所詮正義が悪に勝つに決まっているので、どうやったって観客をハラハラさせるのは無理だろうし、あんなもんで良いんじゃないの? 僕はあの程度で胸がすきましたけどね・・・。

そう言えば4人揃って活躍するシーンは、最初にそれぞれが自分の能力に気づく鉄橋のシーンと最後に Dr. Doom (日本名:悪魔博士)をやっつけるところの2箇所しかなかったけど、僕は結構工夫が凝らしてあったと評価します。

そして、その後のアメリカのヒーローを見るとこのコミックの影響力が如何に大きかったか(そして、いまだに大きいか)が良く解る。

『Mr.インクレディブル』を観た時に Erastic Girl はゴームズの真似だと言ったら誰も判ってくれなかったけど、これ見たら解るでしょ? そもそもヒーローの4人組という設定が『ゴームズ』をなぞっている。
それから、『スターウォーズ』のダース・ベーダーが完全に Dr. Doom のパクりだということがモロ判り!

ところでこの映画、アメリカでは大当たりだったそうだが、僕が観た映画館はガラガラ。
宣伝費自体が少なかったのかもしれないが、宣伝方針を間違えたという部分もあるのではないだろうか? もっと我々ゴームズ世代に徹底的に訴求すれば中年の観客がもっと押し寄せたんではないかな?

それこそBen/The Thing のマスコット人形が喋るシーンで字幕に「ムッシュムラムラ」と出してみるとか・・・。
きっと宣伝スタッフが若かったんだろうね。

最後に、日本人はあまり気づかないことなので蛇足ながら書いておくと、タイトルでありヒーローのチーム名である Fantastic Four も悪役の名前である Dr. Doom もともに頭韻を踏んでいる。

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Saturday, October 01, 2005

突然道路地図

【10月1日更新】 今日新宿に行ったらネクタイを締めてはっぴを着たおじさんたちが高速道路の地図を配っていた。何だ、突然に?と思ったら、本日付けで日本道路公団が民営化されたんですね(おまけに東日本、中日本、西日本の3社に分社されたみたい)。

いきなり民間の会社になっちゃうし、郵政の次の構造改革は道路特定財源だと言われているし、彼らも色々と思うところあって一生懸命やっているんだろう(ひょっとして休日返上か?)けど、なんかこの発想の安直さと行動の唐突さがそもそもイケてないなあ。

今まで全然回収できていない高速道路の建設費は結局垂れ流しのまま行くんだろうか?

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