随想:東京都庁舎
【9月28日特記】 今夜、久しぶりに東京都庁の傍を通って思い出したことがある。
あれは何年前だっただろう、もう大昔と言って良いはずだが、某新聞社がどこかの自治体の豪勢な県庁舎だか市庁舎だかの写真を掲げて、「こんな贅沢な建物が必要なのだろうか!?」という大キャンペーンを張ったことがあった。
「こんな贅沢な建物が必要なのだろうか!?」というキャッチフレーズは実はずるい表現である。
何故なら「贅沢」は「必要最小限」を大幅に超えたところで初めて成立するのである。つまり、「贅沢」と決めつけた途端にそれは不必要な部分を含むのである。だから、如何なる場合においても「こんな贅沢なものが必要である」という命題は成立しない。故に某新聞社のその問いかけを否定できる人はいないのである。
初めからそういう構造のキャッチフレーズなので、それに唯々諾々と乗せられるのはつまらないことだ、と今になって思う。
この東京都庁の建物も、恐らくそういう意味での贅沢品であろう。あの時と同じく、この都庁舎に対しても「こんな贅沢なものを建てる必要はなかった」と思ってる人もいるだろう。
都庁として、現存するこの建物が必要なのかどうかを論ずるのは難しい。少なくとも都庁の総建設費や維持費、それに財政の現状と行政の実績をちゃんと調べてからでないと議論できないことであって、見た目の印象論で云々する話ではない(だから、僕はここでそういう論争をする気はない)。
ただ、この建物そのものではなく「贅沢」が都庁舎に必要であるかどうかと言えば、(必要であるとは言わないが)あって良いと思う、いや、(不必要だとしても)あるべきだと思う。日本の首都の都庁舎であるのだから、ある程度の贅は許される、いや、逆に求められるのではないかと思う。
それは、この建物があることによる観光収入が具体的にいくらかというようなことと直結する話ではない。シンボルとしてどのようなものをイメージするかという、言わば発想の問題なのである。
他のところにも書いたことだが、まだ新都庁舎が建つ前の西新宿新都心の高層ビル街に生まれて初めて降り立った時、僕は「日本にもこんな美しい風景があったのか」と呆然とした。
ビル街を無条件に嫌う人もいるが、僕は美しいと思った。そして今、林立する高層ビル群の中でも、この都庁舎はひときわ美しいと思う。
今夜もそんなことを考えながら、僕は灯りの点った高層ビルを眺めていた。
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