『幸福な食卓』瀬尾まいこ(書評)
【9月8日特記】 しまった!島本理生『ナラタージュ』に続いて、またこんな本を選んでしまった、というのが読み始めた直後の感想だった。若い作家にありがちなことなのだが、文章がどことなくぎこちないのである。文章の向こうに考えながら書いている作家の姿が透けて見えるのである。
人工的な人物造形である。なにやら実態に乏しい。自殺未遂をしたという父親にしても、なぜ自殺をしようというところまで追い込まれたのか深く書かれていない、というよりも、父親自体があまり深い傷を負うこともないまま突然自殺未遂に至ったようにも読める。
その父親が朝の食卓で「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」と宣言するのが、この連作小説の1行目である。なんとも現実感の希薄な世界である。
この家では家族それぞれのスケジュールがどうなっていようと、朝ご飯は全員揃って食べるのが慣わしである。この設定も妙に希薄な空気の中で孤立しているような感がある。
そして、「全員がそろって食べる」と書いておきながら、小説が始まった時点ですでに母親は家を出てしまっている。これもある日の朝の食卓で母親が宣言したのだそうである。
不思議な不思議な舞台と人物。主人公の佐和子、兄の直ちゃん、兄の恋人の小林ヨシコ、佐和子の恋人の大浦君、そして最後の最後に顔を出す大浦君の弟の寛太郎と、次から次へと少し変わった人が姿を現す。
そして、そういう変わった登場人物がひとり、またひとりと増えてゆくうちに、いつのまにか小説のぎこちなさは消えて、僕ら読者知らないうちに小説世界に取り込まれている。
「こういうのもアリか」と僕はため息混じりに感嘆する。
これは多分作者の持つ純真な心が僕らに沁みて来るのだろう。おかしな人たちが寄ってたかって、読者に勇気を与えてくれる物語である。
人生の苦難を乗り越えて行く物語である。描かれている苦難は、しかし、どう公平に評価しても少し現実感が希薄である。しかし、乗り越えて行く勇気と優しさはどうにもこうにも共感を覚えざるを得ないのである。
変な本だ。でも、すごい。
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