『退廃姉妹』島田雅彦(書評)
【9月14日特記】 『退廃姉妹』と言うからてっきり姉妹揃っての放蕩三昧かと思いきや、そうではない。
確かに妹の久美子は自ら望んで進駐軍相手の売春婦になるが、姉の有希子のほうは出征したまま帰らぬ初恋の人を一途に待ち続け、再会が叶った後もひたすら彼に寄り添い、付き従って行く古風な女である。
姉妹の母は既に死んでおり、映画会社の重役である父親は敗戦後に、戦意高揚の映画を作った罪ではなく、身に覚えのない馬鹿げた嫌疑で軍事裁判にかけられる。大黒柱を失った姉妹は自宅で白人相手の「商売」を始める。
これから読む人のために詳しくは書かないが、久美子以外に縁あって2人の女が「従業員」に加わる。有希子は当然それに直接は加担しないが、いわば経営者または事務員的な立場を務めながら愛しい人の帰りを待つ──まあ、こんなところが小説の序盤である。
島田雅彦作品では確かに読んだはずのデビュー作『優しいサヨクのための嬉遊曲』については残念ながらまるで記憶がない。ただ、『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』の3部作とこの作品を通して感じることは、この人は「描写の人」ではなく「筋の人」だということだ。ストーリーがするすると走り出してしまうのである。
非常に分かりやすく言えば「超訳」みたいにストーリー重視ということにもなるが、それはちょっと貶し過ぎだしニュアンスも違う。トーンとしてはルポルタージュのような感じで、「調べて判ったことだけを書きました」みたいな、ある意味あっさりした文章である。
結局はそういう文章が好きかどうかということに帰結するのだろう。僕としては少し物足りない。僕としては筋よりも先に筆がもっと走ってほしい感じがする(解ってもらえるかな?)
でも、そんなことを思いながら1冊読みきってみるとしっかりとした深い余韻が残っている。この辺りがこの作家の真骨頂なんだろうなあ。
終戦直後の時代を捉えたうねりの大きいストーリーは、若い頃に夢中で読んだ五木寛之の大著『青春の門』をちょっと思い出させた。
読み始めれば夢中にはなる。夢中になって生き抜いた姉妹の物語だから。
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