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Wednesday, September 28, 2005

随想:東京都庁舎

【9月28日特記】 今夜、久しぶりに東京都庁の傍を通って思い出したことがある。

あれは何年前だっただろう、もう大昔と言って良いはずだが、某新聞社がどこかの自治体の豪勢な県庁舎だか市庁舎だかの写真を掲げて、「こんな贅沢な建物が必要なのだろうか!?」という大キャンペーンを張ったことがあった。

「こんな贅沢な建物が必要なのだろうか!?」というキャッチフレーズは実はずるい表現である。

何故なら「贅沢」は「必要最小限」を大幅に超えたところで初めて成立するのである。つまり、「贅沢」と決めつけた途端にそれは不必要な部分を含むのである。だから、如何なる場合においても「こんな贅沢なものが必要である」という命題は成立しない。故に某新聞社のその問いかけを否定できる人はいないのである。

初めからそういう構造のキャッチフレーズなので、それに唯々諾々と乗せられるのはつまらないことだ、と今になって思う。

この東京都庁の建物も、恐らくそういう意味での贅沢品であろう。あの時と同じく、この都庁舎に対しても「こんな贅沢なものを建てる必要はなかった」と思ってる人もいるだろう。

都庁として、現存するこの建物が必要なのかどうかを論ずるのは難しい。少なくとも都庁の総建設費や維持費、それに財政の現状と行政の実績をちゃんと調べてからでないと議論できないことであって、見た目の印象論で云々する話ではない(だから、僕はここでそういう論争をする気はない)。

ただ、この建物そのものではなく「贅沢」が都庁舎に必要であるかどうかと言えば、(必要であるとは言わないが)あって良いと思う、いや、(不必要だとしても)あるべきだと思う。日本の首都の都庁舎であるのだから、ある程度の贅は許される、いや、逆に求められるのではないかと思う。

それは、この建物があることによる観光収入が具体的にいくらかというようなことと直結する話ではない。シンボルとしてどのようなものをイメージするかという、言わば発想の問題なのである。

他のところにも書いたことだが、まだ新都庁舎が建つ前の西新宿新都心の高層ビル街に生まれて初めて降り立った時、僕は「日本にもこんな美しい風景があったのか」と呆然とした。

ビル街を無条件に嫌う人もいるが、僕は美しいと思った。そして今、林立する高層ビル群の中でも、この都庁舎はひときわ美しいと思う。

今夜もそんなことを考えながら、僕は灯りの点った高層ビルを眺めていた。

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Monday, September 26, 2005

『この胸いっぱいの愛を』完成披露試写会

【9月26日特記】 映画『この胸いっぱいの愛を』の完成披露試写会に行ってきた。

ごめんなさい。この映画僕には無理でした。

『月光の囁き』とか『害虫』とか『カナリア』とかの、従来の塩田明彦監督作品のファンが悪態をつきたくなる気持ち、よく解る。

タイトルもテーマもストーリーもダサくてベタで安い。リアリズムの連鎖がブツ切れ。一箇所くらい不自然な進行があっても全体に勢いがあれば見過ごせるのだが、こう何箇所も切れてしまっていては・・・。

『黄泉がえり』の時は「ふーん、こんなメジャー作品も撮れるんだ」と感心したが、今回のは凡そ同じ監督が撮ったとは思えない。「ひどい」などという言葉が口を突いて出てしまう。

だから、従来の塩田ファンにはお薦めしない。むしろ、普段ほとんど映画を見ない人、塩田作品を1度も見たことがない人、塩田作品についての記事を目にしたりしたことはあったけど全く見たいとは思わなかった人、実際に塩田作品を見たことがあるけどさっぱり解らなかった、あるいは見て後悔した人──そういう方々に是非見てほしい映画だ。

別に皮肉を書いているのではない。何故薦めるかと言えば、よく出来ているところは確かによく出来ている映画だからだ。

僕にとってはもう外側を見ただけで中に入れない映画だった。試写会の後のパーティも、とてもじゃないけど出席する気になれずに失礼した。

でも、こういうのが意外に大ヒットしたり賞をもらったりする可能性は充分にある。

上映前の舞台挨拶を見てよく判ったのだが、塩田監督という人はとてもよく喋る、ファン・サービスの精神を旺盛に持っている人だ。

多分、今回の映画は旧来のファン以外へのサービスなのだと思う。「良い映画だ」という人がきっといるんじゃないかと思う。

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Sunday, September 25, 2005

日本アカデミー賞とキネマ旬報ベストテン

【9月25日更新】 映画の記事を書くときに僕がいつもキネマ旬報ベストテンを引き合いに出すのは、それが日本映画界で最高に権威のある賞だと思っているからではなく、僕自身の感性に最も近いと思っているからだ。

例えば日本アカデミー賞は僕にとってなかなか納得が行かない賞である。

とは言え、キネ旬と日本アカデミー賞は微妙にずれてはいながらも、そんなに遠く隔たった評価を下してきた訳ではない。少なくとも2年前までは。

日本アカデミー賞の第1回(1978年)から第26回(2003年)までの「最優秀作品賞」を並べてみると、それら全てがキネ旬ベストテンに入選した作品である。キネ旬の1位と一致したケースも少なくなく、一番近いところでは第26回(2003年)の『たそがれ清兵衛』がそうである。

その直前5年間(第21~25回、1998~2002年)を比べてみても、アカデミーの最優秀賞は順番に『もののけ姫』、『愛を乞うひと』、『鉄道員(ぽっぽや)』、『雨あがる』、『千と千尋の神隠し』であり、それらの作品はキネ旬ではそれぞれ第2位、第2位、第4位、第9位、第3位にランクされている。

逆にキネ旬のほうを見てみると、当該年のベストワンはそれぞれ『うなぎ』、『HANA-BI』、『あ、春』、『顔』、『GO』である。これらの作品はアカデミーでは最優秀には選ばれなかったものの、5作品選ばれる「優秀作品賞」には『あ、春』を除く4作品が入っている。

微妙に違うとは言え割合近いものではあったのである。

それがおかしくなったのが2004年と2005年である。

第27回(2004年)のアカデミー最優秀は『壬生義士伝』。キネ旬では第24位である。他4つの優秀作品は『阿修羅のごとく』、『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』、『座頭市』、『スパイ・ゾルゲ』で、それぞれキネ旬では第5位、第26位、第7位、第17位である。

因みに、その年のキネ旬の1~5位は『美しい夏キリシマ』、『赤目四十八瀧心中未遂』、『ヴァイブレータ』、『ジョゼと虎と魚たち』、『阿修羅の如く』であって、アカデミーの評価とは大きく異なっている。

翌年第28回(2005年)も見てみよう。アカデミー最優秀は『半落ち』。キネ旬では第22位である。他4つの優秀作品は『隠し剣 鬼の爪』、『スウィングガールズ』、『世界の中心で、愛をさけぶ』、『血と骨』で、それぞれキネ旬では第5位、第7位、第26位、第2位である。

同じくその年のキネ旬の1~5位は『誰も知らない』、『血と骨』、『下妻物語』、『父と暮せば』、『隠し剣 鬼の爪』である。第27回ほどではないにしろ、両者はかなり食い違っている。

日本アカデミー賞には独立系のプロダクション作品は選ばれないということは割合はっきりしているが、それにしてもこのテーストの違いは何なのだろう。特にこの2年間の大きな乖離は?

こうなると、どっちかがおかしくなってしまったと言わざるを得ないのではないか?

いや、別にどっちかの賞を悪し様に書きたい訳ではない。2つの賞はこんなに指向が違っていて、僕にはキネマ旬報のランキングが肌に合うということだけである。

【註】

映画には制作年、公開年、受賞年の3つがあってややこしい。

制作年と公開年は一致していることも多いが、秋以降に制作された作品が年が改まってから公開される例も少なくない。

そして、受賞年であるが、日本アカデミー賞は発表会・授賞式が行われた年月日に合せて第○回(XXXX年)という表記を採っている。従って、2005年の受賞作品は2004年に公開された映画である。

一方、キネマ旬報のほうは公開年が基準になっていて2005年度ベストテンは2005年に公開された作品が対象で、審査発表は2006年の1月(雑誌掲載は2月の上旬に出る「2月下旬号」)である。

この記事では日本アカデミーの選出に先に触れたので、年号は日本アカデミー方式で統一している。

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SATURDAY NIGHT LIVE 1

【9月25日特記】 SATURDAY NIGHT LIVE 25 YEARS of MUSIC をDVDで観ている。おせっかいな知人が頼みもしないのに「面白いから見ろ」と3巻も送ってくれたのだが、いやあ面白いわ、これ! 今第1巻を見終わったとこ。

SATURDAY NIGHT LIVE と聞いて、日本人にはちょっとついて行けないアメリカン・ギャグの連続というイメージが先行したのだが、考えてみればこれはタイトル通りのライブがメインなのであって、まず音楽が素晴らしい。豪華でバラエティに富んだゲスト──ビリー・ジョエル、カーリー・サイモン、S&G、エルヴィス・コステロ、ミック・ジャガー、ザ・バンド・・・。

グレイトフル・デッドとかパティ・スミスなんて動くところを始めて見た。

そして、音楽とギャグが非常に巧く結合できている。コメディアンたちの音楽的水準が極めて高いのである。ジョン・ベルーシによるレイ・チャールズやジョー・コッカーの物真似(コッカー本人とは共演)が最高に面白い。

そしてブルース・ブラザースでも1曲『ソウル・マン』を演ってて、これは映画『ブルース・ブラザース』を髣髴させる、と言うか、まんまである。いやあ、あの映画何度も観たなあ。考えてみれば、TV番組から映画が生まれたんだから凄いよね。
え、凄くない? いや、ドラマだったら凄くないんだけど、音楽やギャグの場合は凄いよ。

日本でもこの番組を目指して、あるいは少なくとも意識して作られた番組が少なくなかったと思うのだが、残念ながらこの域に達したものはなかったのではないかな?

NTV『今夜は最高!』なんかは SATURDAY NIGHT LIVE のテーストに近く、しかも成功した例だと思う。ハウフルスの菅原さんならではの世界だったね。

コント部分は半分は笑えない、けど、残りの半分は爆笑。
ドラッグ・ネタとか移民ネタとか、日本人には馴染みのない世界があって、そこにアメリカン・ジョーク独特の臭いが加わるので、笑えないのは笑えないし笑えるのは笑える。ジム・クロウチが飛行機事故で死んだことまでギャグにしてて非常にブラック。

しかし、それにしても、英語が完璧に聞き取れたのは移民ネタの移民英語の部分だけだったのが情けなかったなあ。

2巻、3巻も楽しみ。Thanks, Meg !

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Saturday, September 24, 2005

DVD『害虫』

【9月24日特記】 レンタルDVDで『害虫』を観た。実は来週月曜日に同じ塩田明彦監督の『この胸いっぱいの愛を』の完成披露試写会に行く予定なのだが、その前にどうしてもこの作品を観ておきたかったのだ。

塩田監督と言えば興業的に一番成功した作品は『黄泉がえり』(ちなみにこの映画の脚本は犬童一心)だが、僕としては『月光の囁き』のイメージが強烈に残っている。この映画にはぶっ飛んだ。フェティシストの少年が主人公の映画である。

ちなみに彼の監督作品を制作順に並べ、キネマ旬報の日本映画ベストテンにおける順位を添えてみると、

  1. 『月光の囁き』(1999年度 第17位)
  2. 『どこまでもいこう』(1999年度 第9位)
  3. 『ギプス』(2001年度 第79位)
  4. 『害虫』(2002年度 第14位)
  5. 『帰ってきた!刑事まつり』(2003年 投票者ゼロ)
  6. 『黄泉がえり』(2003年度 第34位)
  7. 『カナリア』(2005年 未選考)

となる。僕が映画館で観たのが1と7。TVで観たのが6である。

上の一覧を見て明らかなように、塩田監督を語る上でどうしてもはずせないのが2と4だろう。今日はとりあえずそのうちの1本を観た訳だ。

不登校の中学生・北サチ子(宮﨑あおい)。父は既になく、母(りょう)は自殺未遂。母の愛人らしき男(サチ子が帰宅すると勝手に家に上がり込んでいる)。学校をサボっている時に知り合った、当たり屋を商売としている少年(沢木哲)と浮浪者(石川浩司、「たま」でランニング着て太鼓叩いてた奴)。サチ子を誘う大人の男たち。サチ子が慕う小学生時代の担任教師で、サチ子と噂になってしまったために学校を辞め、今は原発で働いている男(田辺誠一)。サチ子を学校に誘って復帰させる同級生(蒼井優)。

筋を述べなくても、こうやって登場人物を並べるだけで充分だろう。心の中に広がる荒寥とした風景。しかも、この風景が延々と続く。いや、風景自体は刻々と変わる。中には明るいエピソードもある。だが、どこかで破綻する。

なんか、こう、明示的に何かを述べるのではなく、こういう風に提示された映像はやたらと重く染みてくるのである。そして、あのエンディング、暗澹たるエンディング、突き放すようなぶった切るようなエンディング。このメッセージは痛い。

やはり才能と言うしかない何かを感じさせる映画なのである。

ところで、この映画ではなんともあどけない宮﨑あおいが見られる。『NANA』と比べると、この数年で彼女がいかに大人になって綺麗になったかがよく分かる。彼女は今年成人のはずだから、まだミドルティーンの頃だ。あまりに可愛いので特典映像のメイキングまでじっくり見てしまった。共演の蒼井優もこれまたおぼこい。この若い2人が対照的な光を放っている。

これはこれで『タッチ』なんかとは対極の位置にありながら同じく青春映画なのである。非常に重い映画ではあるが・・・。(宮崎あおい)

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Friday, September 23, 2005

映画『タッチ』

【9月23日特記】 映画『タッチ』を見てきた。斉藤祥太・慶太で大丈夫かなあという思いがあったので、犬童一心監督でなければ観なかったかもしれない。今は観て本当に良かったと感慨深い。

もちろん筋はちゃんと知っていたが、原作の漫画を毎週読んでいたわけでもTVアニメを毎回欠かさず見ていたわけでもないので、ここではあだち充の原作との比較に於いてどうであったかという観点で述べることは控える。

正しい青春映画だった。正しいアイドル映画だった。女の子はどこまでも可愛く、男の子は最終的にカッコ良く撮ろうとしている。出演者を100%活かし切った映像だった。

特に長澤まさみ──魅力全開だった。そして、彼女の見事な演技──今回も彼女の眼が泳ぐ、泳ぐ

祥太・慶太も自然で、かつリアルな演技だった。とりわけ、和也が死んだ後の霊安室のシーンで監督が祥太に「逆に、笑うような感じでやってみて」と指導したというエピソードは凄い。

そして、主演の3人だけではない。

双子の両親役の小日向文世と風吹ジュンに圧倒的な存在感があった(僕、風吹ジュンも大好きなんですよね)。

キャッチャー松平役の平塚真介の非常に印象に残る好演──パンフレットの中で監督自身が「ちょっと浪花節が入っていましたね」と語っているが、これは決してそうなってしまったのではない。計算通りなのである──監督は言う、「映画はお客さんに“ここで行っちゃえ!”って言ってやらないとダメだというところがあるんですよ」。

他にもボクシング部の原田役のRIKIYAもとても良かったし、ライバル新田役の福士誠治も十全に魅力をアピールしていた。ほんのちょい役のくせに若槻千夏がやたら目立ってたのも不思議だった。

ともかく、構図が良いのである。原作漫画のアングルをそのまま採用しているところもあったが、全編良い画の連続だった。あまり大きく動かないカメラが非常に良い角度で人や物を捉え続けていた。

原作の設定やストーリーを微妙に変えたところも非常に功を奏していた。まさに「勘所をはずさない」というのはこういう演出のことを言うのだろう。筋がわかって観ているくせに、不覚にもおっちゃん2回も泣いてしもた。

世の中にはもっと深くて面白くて感動的なストーリーはいくらでもあるだろうし、それ故もっと高い評価を得る映画もいくらでもあるだろう。ただ、この素材を映画化するという観点で語れば、この映画は百点満点。非の打ち所のない傑作だと思う。

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Monday, September 19, 2005

ミニの制服

【9月19日更新】 目の前を制服姿の女子高生が歩いていた。スカートが短い。

昔は裾を上げるのが一般的だったようだ。裾を上げたことがすぐにバレるように、裾から10cm くらいのところに白いラインを入れた制服があったと聞く。

例えラインが入っていなくても、2cm や 3cm ならともかく 7~8cm も裾上げしてしまった場合、先生の前に出たらすぐに見咎められてしまうだろう。

それで最近ではウェストの部分を巻き上げるらしい。巻き上げて留めるためのベルトまで売られているらしい。これなら先生の前では元の長さ、一歩学校を出れば超ミニ・スカートという可逆的なアレンジが可能である。日本の女子高生も捨てたもんじゃない。

スカートの長さくらい生徒たちの好きにさせてやれば良いじゃないか──と僕は思うのである。なんで学校は制服で生徒を縛ろうとするのだろう?

確かに校則で服装を拘束することが生徒の非行を防ぐのに効力があるのかもしれない。しかし、「高校生らしい」などという極めて主観的な基準で「あの服装は良い、この服装は悪い」などと色分けするのは極めて非合理的である。

確かに僕らの時代にも制服や髪型を巡って教師たちとのせめぎ合いがあった。今考えればそれも楽しい思い出である。そのぐらいの年代には多少の制約があったほうが良いのかもしれない。

──という気もしないではないが、本当はその考え方は正しくない。

高校生には自由と合理性を身につけてもらいたいものだ。

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Sunday, September 18, 2005

The Pink Elephant in the Sky

【9月18日更新】 都内のあちこちで秋祭りの風景を見かけるが、ウチの近所でも始まった。

この時期になると登場するものがある。それは張子のピンクの象である。今日見たら駅前で何人かの人が雑巾で拭いていた。どこかに展示されるとかお神輿に乗せられるとかするらしいが、その姿は見たことがない。

僕が見たことあるのは使われていない時の姿だけだ。普段は近所の商店街のアーケードにぶら下がっている。

アーケードを抜ける時、僕はいつもピンクの象を見上げてみる。ピンクの象のピンクの腹を見上げてみる。そして、いつもビートルズの Lucy in the Sky with Diamonds を思い出す。

どちらも幻想的だ。ちなみにこの歌のタイトルの大文字を繋ぐとLSDになる。

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映画『さよならみどりちゃん』

【9月18日特記】 映画『さよならみどりちゃん』を観てきた。
この映画、見ようかどうしようかずっと迷っていたのだが、アロハ坊主さんが褒めていたので、「よっしゃ、こりゃ見んといかんわ」ということになった。

都内で1館しかやってなくて、しかもこないだまでは新宿で夜1回のみ、今は渋谷で朝1回のみの公開なので観るのが大変。休みだというのに早起きする破目になった。

で、初めて行く映画館である渋谷シネ・ラ・セットに着いて仰天。後ろ半分は普通の映画館用の椅子なんだけど、前半分はソファとテーブルがバラバラに並べてある。大きなソファに足投げ出して観てる人もいた。

定員は50名くらい。スクリーンは3畳くらいかな。もうちょっと大きいか? でも、4畳半はないな。

ほんで内容はと言えば、チョー身勝手な男・ユタカ(西島秀俊)と、惚れた弱みとは言えその男に引きずられまくって男から自立できない女・ゆうこ(星野真里)の話。

ちなみに「みどりちゃん」というのはユタカの彼女の名前。ゆうこはユタカと寝た直後にその存在を知らされる。しかもさらりと言ってのけられた。

自立できない女の恋愛となると、クロード・ガニオン監督の『Keiko』(1979年度キネマ旬報ベスト10の日本映画部門第3位)を思い出す(僕はこの映画が生涯で3本の指に入る好きな作品だ)。しかし、Keiko は相当奥手の女性だったのに対して、時代が違うためかゆうこはよくセックスするねえ、ためらうことなく・・・。

良い映画でした。自然でリアル(「等身大」という言葉は嫌いなので使わない)。
西島秀俊は言うまでもないが(これがヤな野郎なんだ。女にもてるから余計嫌な野郎)、星野真里も巧いねえ。

ほんで、あの終わり方!──古厩智之監督ってタダモノではないねえ。実は前作の『ロボコン』はグズグズしているうちに見逃してしまったのだが、今回は観られて良かった。

「あの終わり方のどこが良いって言うの!?」「何あれ?さっぱり解らん」と言う人もいるとは思うけど、僕は凄いと思った。ほどほどにカタルシスがあってほどほどに尻切れトンボ──全て計算ずくなんだろうなあ。

果たして、ゆうこはユタカ(あるいは男という存在)から自立することが出来たのだろうか?
観終わっても暫くそのことが案じられる。

ただ、Keiko に対しては哀れで見ていられず暗澹たる幕切れであったが、ゆうこに対してはなんか暖かいものが吹き出してくる読後感だった。これも時代の変化か?


【余談】

エンディング・テーマは奥村愛子がカバーした『14番目の月』。ご存知ユーミンの作品です。

今まで歌詞を聞き流していたので気がつかなかった(というか誤解していた)のですが、これって十五夜の1日前の、満ちる直前の月の状態を指していたんですね。

僕は「月」を moon ではなく month だと思っていて、「14番目っちゅうことは12月で1年が終わって次の年の2月か」と思ってました。

「14夜目」とか、せめて「14日目」と言ってくれなきゃ。

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Saturday, September 17, 2005

映画『SHINOBI 』

【9月17日特記】 映画『SHINOBI 』を観てきた。想像した通りの映画だった。

徳川家康の命を受けて、敵対する伊賀と甲賀の忍者同士が戦う話(選抜メンバー5人×5人、原作では10人ずつらしいが)。非常に単純な筋。

だからあとはアクションと VFX の出来がポイント。それ以外の余計なことを期待して観に行ってはいけない。

描かれる忍術は(山田風太郎の原作からしてそうらしいのだが)忍術っぽくなくて、そこがなかなか面白い。忍術と言うより妖術という感じ。と言うか、忍術っぽい使い手は早くにバタバタ死んで行って、妖術っぽい使い手が生き残って行く。

ところどころで次の台詞が完璧に読めてしまうのだが、まあこれは時代劇ならではと割り切って楽しむのが良いだろう。

追加の設定としては、伊賀と甲賀の頭領がそれぞれ仲間由紀恵とオダギリジョーなのだが、その2人が恋人同士であるということ。なんと古典的な悲恋のステレオタイプ!

──ここから「愛し合う運命 殺し合う宿命」というキャッチフレーズが生まれてくる訳だが、このキャッチの前半部分に期待してはいけない。恋愛物語はあくまでアクションにふりかけるスパイスなのだから・・・。

ワイヤーアクションもCGもとても巧妙で面白い映画である。エンタテインメントとしてはこれで充分である。

加えてこの映画には非常に美しい映像というオマケがある。

しかし、それにしても出てくるのは旧き良き大和の国の山紫水明・花鳥風月のオンパレード。──明け方の山際、満月、夕焼け、流れる雲、砂丘、紅葉、雪景色と、よくもまあこれだけステレオタイプを並べ立てたものだ。ここまで果敢にマンネリズムに自ら嵌り込んで行く勇気は、僕にはない。オー、エキゾチック・ジャパン!

おまけに「さあ、ここでカメラが人物の周りを回るぞ」と思ったら案の定その通りの映像を見せてくれる。

まあ、でも、アクションも VFX もよく出来てたし、実写の映像も綺麗だったし、ストーリーも最後はあんな壮絶なことになっちゃうとは予想できなかったし、ええんちゃうかな?

「愛」と「生」がテーマだと思って観に行った人は落胆するでしょう。これは活劇です。
僕は『RED SHADOW 赤影』や『陰陽師』を観に行った時と同じ期待感を持って劇場に足を運んだのだが、それで正解だったと思う。

ところで、ポスターやパンフに使われている写真が映画の映像の倍くらい美しい。これはスチール・カメラ担当の鈴木さゆりさんの手腕である。彼女の名前を憶えておいてほしい。

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Wednesday, September 14, 2005

ネット世界の変貌

【9月14日特記】 あまりに共感を覚えたので筆者のさとなお氏にメールを送ったくらいなのだが、彼がHPに書いていたようにネットの世界は激変した感がある。

かつて個人のHPは主観的な空間だった(それ故につまらない部分も多かったのだが)。あるいは、さとなお氏の言うように、そこは「仲間」同士の場であった。

仲間だけがURLを知っているからではない。読みに来た人のうち仲間意識を持てた人しか残らなかったからだ。そして、ある程度継続的な読者しか読者とは言えなかったのである。

それは、一般に公開した場であるにも拘わらず、下手をすると非常に閉鎖的な空間であり、最悪の場合はほとんど直接の知人にだけ公開されたページに成り下がっていた。

僕の場合はそうなるのが嫌で、HPを作った直後は自分の知人や会社関係の人には極力存在を知らせず、最初に宣伝のためにメールマガジンを発行することから始めた。メールマガジンがメールマガジン運営サイトで紹介され、そこからHPを見てくれる人が出ることを狙ったのである。

そういう風にして、僕はまず(自分を含めて)81人の購読者を得た。このメルマガ購読者がHP閲覧者のベースとなった。僅か80人ではあるが、そこには自分の友人・知人は1人も含まれていなかったので最悪の事態は避けたつもりだった。

そして、そこから次第にHP閲覧者は増えた。当初は1日に数人のアクセスだったのが2桁になり、やがて日によっては、ページによっては数百の人が訪れるようになった。

ただし、そのうちの何人かは(どのくらいの割合なのか調べようがないのだが、恐らくかなりの割合だろう)何かの偶然で単に1回見に来てそれっきりになる人たちであろう。何度も継続的に見に来てくれる人、そして何度かメールをくれたりする人は、僕のHPを気に入ってくれた人であり、僕の書いたものをよく読んでくれている人であり、僕をよく理解してくれている人である。

だから僕は安心して伸び伸びと書くことができた。
たまたま僕のHPを訪れて不快感を持ったり反論したくなる人もいただろう。でも、そういう人たちが実際にメールをくれるのは極めて稀なケースだった。気に入らなければ2度と見に来ないというだけのことだった。なぜなら皆サイトを読み、サイトを選んでいたから。

ところが今では検索サイトからたどり着く人が激増した。彼らはサイトを読みに来たのではない。部分を読みに来たのである。だから記事全体を読まないどころか、ほんの1行を読んで不快感を覚えて反駁するのである。

そんな人たちに「全体を読んで僕の考え方をもっと理解してからメールを下さい」とはもはや言ってられないのである。インターネットはもともと玉石混交の混沌であった。それが検索エンジンの発達に伴って、一気に、そしてどのサイトも一様に客観性と完結性、そして即効性が求められるようになったのである。

読者の方からメールで教えてもらったのだが、Google である単語を入れて検索すると何と僕のサイトのあるページがトップに来るのである。これは油断禁物である。

だからいろんなことに注意して書いているつもりではある。一方で何度も見に来てくれる「仲間」を大切にしたいという気もある。

HPはなんだかテレビに似てきたような気がする。

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『退廃姉妹』島田雅彦(書評)

【9月14日特記】 『退廃姉妹』と言うからてっきり姉妹揃っての放蕩三昧かと思いきや、そうではない。

確かに妹の久美子は自ら望んで進駐軍相手の売春婦になるが、姉の有希子のほうは出征したまま帰らぬ初恋の人を一途に待ち続け、再会が叶った後もひたすら彼に寄り添い、付き従って行く古風な女である。

姉妹の母は既に死んでおり、映画会社の重役である父親は敗戦後に、戦意高揚の映画を作った罪ではなく、身に覚えのない馬鹿げた嫌疑で軍事裁判にかけられる。大黒柱を失った姉妹は自宅で白人相手の「商売」を始める。

これから読む人のために詳しくは書かないが、久美子以外に縁あって2人の女が「従業員」に加わる。有希子は当然それに直接は加担しないが、いわば経営者または事務員的な立場を務めながら愛しい人の帰りを待つ──まあ、こんなところが小説の序盤である。

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Tuesday, September 13, 2005

おっちゃんの長澤まさみ論

【9月13日特記】 若い頃には週に9本のTVドラマを見ていたこともあったけど、最近ではせいぜい1クールに1本。で、今はまってるのがTBS『ドラゴン桜』。

このドラマの魅力は、まず絵空事のようでありながら意外に(受験の、そして人生の)核心を突いている原作の良さ、秦建日子の脚本の切れの良さ、阿部寛の好演と圧倒的な存在感・・・。しかし、中でも最大の原動力は長澤まさみにあるのではないか、としみじみ思うのである。

もちろん飛び抜けて可愛いということもある。だがそれだけではない。映画『世界の中心で、愛をさけぶ』の時は何ということなかったんだけど、今の彼女は抜群に上手い。

得意なのは泣き。そして、泳ぐ眼差し。

この泳ぐ眼の演技は秀逸。他の追随を許さない。ワン・パタン演技だと貶すこともできるだろうが、これだけの得意技はジャイアント馬場の16文キックに匹敵する(例が古すぎて解らんか?)

そうやって視線を泳がせるだけで数パタンの状況を演じ分ける──悲しみ、バツの悪さ、驚き、悔しさ、爆発寸前の怒り・・・。

そして、彼女の秀でたところは中間の表情ができること──半ベソ、泣き笑い、固い作り笑い、困惑と虚勢の同居・・・。

そして、ひとつの表情から別の表情に鮮やに転ずる──泣いていたかと思うとちょっと微笑んでみせる、拗ねていたのが突然怒りに変わる・・・。

もちろん、それらの演技を、自分の可愛さをうまくアピールしながら進められるというところが女優としてのミソではあるのだが、例え可愛くなかったとしても舌を巻く巧さである、と僕は思うのである。

さて、『ドラゴン桜』はいよいよ今週最終回。15分拡大(我々の用語で言う「枠大」)なんで録画失敗しないように。それから、映画『タッチ』も楽しみ。

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Monday, September 12, 2005

右顧左眄

【9月12日更新】 関東と関西を行ったり来たりしていると、時々自分が今どこにいるのか分からなくなる。

えっと、あ、そうか、ここは神戸の三宮だ

てな具合。

エスカレータに乗っても右と左のどちら側を空けるか考えないと分からない。
都市生活に油断は禁物である。

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Sunday, September 11, 2005

自民党圧勝の意味

【9月11日更新】 総選挙は自民党が記録的な圧勝の勢いである。

郵政民営化に反対して自民党を追われた人たちの最大の失敗は、「流れを読めなかった」ということである。これは政治家として致命的な失敗である。しかも、新しいタイプの政治家に求められる資質ではなく、旧いタイプの政治家に最も重要とされた資質が欠如していたという非常に皮肉な結末である。

小泉純一郎は昔っから郵政民営化のことしか言っていなかった。彼がとことん本気でやることは火を見るよりも明らかであったではないか。小泉が総理に選ばれた瞬間から、自民党として郵政民営化は必至であったはずだ。それをあの人たちは「なんとかなる」と思い過ごしてきたのだ。

選挙に臨んで彼らは「小泉の手法が強引だ」とか「なんでもアリなのか」という批判を口にしたが、では、郵政民営化反対の議員たちが今までそんなにご清潔で高徳な政治手法を採って来たかと言うと必ずしもそうではない。彼らも今まで裏でかなり強引なことや姑息なこともやってきたはずだ。

最初はあくまで論理的に政策に問題があるような主張をしていたのに、突然「弱い者いじめだ」と情に訴えようったって、そう上手くは行くまい。

今回の選挙結果は日本一分かりやすい政治家・小泉純一郎と選挙史上最も分かりやすい選挙方法=小選挙区制の相乗効果である。

民主党にも実は郵政民営化賛成の議員もいたのである。ただ、郵政労組との関係で民主党は分かりやすい形を打ち出せなかった。

ともかく、手をつけようよ、郵政民営化から──これが今回の国民の声ではないだろうか?

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Saturday, September 10, 2005

映画『チャーリーとチョコレート工場』

【9月10日特記】 映画『チャーリーとチョコレート工場』を観てきた。帰省中のため今回は神戸国際会館。タイトルでも、工場主の姓名でも頭韻を踏んでいる。

ディーテイルではいろいろとびっくりさせてくれるが、大筋先行きは見え見えだし、ハリウッドがこれでもかこれでもかと繰り出してくる、アメリカ人が大好きなお馴染みの「教訓」が込められている。ほんで予定調和。

にもかかわらず、これがむちゃくちゃ面白い。と言うか、これをむちゃくちゃ面白いと感じるかどうかが感性の分かれ目という感じか? そこらへんのアミューズメント・パークなんか足許にも及ばない、と僕は思うのだが・・・。

こういうものにまじめに取り組めるところがティム・バートン監督のすごさであるような気もする。

それにしても、ロアルド・ダールって、いつの間にか児童文学を書いていたんだね。『あなたに似た人』みたいな皮肉たっぷり、ブラック・ユーモアてんこ盛りの作家、という意識しかなかったのだけれど。

ウンパ・ルンパのダンスと歌が最高! これは原文の歌詞を取り寄せてチェックしたいなあ。きっと言葉遊び満載だろうと思うのだが、悲しいかな歌についてはほとんど何も聴き取れなかった。

英語を完璧に聴き取れれば、きっともっともっと楽しめる作品なのだろう。でも、聴き取れなくても充分であるとも言える。

ああ面白かった。

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Thursday, September 08, 2005

『幸福な食卓』瀬尾まいこ(書評)

【9月8日特記】 しまった!島本理生『ナラタージュ』に続いて、またこんな本を選んでしまった、というのが読み始めた直後の感想だった。若い作家にありがちなことなのだが、文章がどことなくぎこちないのである。文章の向こうに考えながら書いている作家の姿が透けて見えるのである。

人工的な人物造形である。なにやら実態に乏しい。自殺未遂をしたという父親にしても、なぜ自殺をしようというところまで追い込まれたのか深く書かれていない、というよりも、父親自体があまり深い傷を負うこともないまま突然自殺未遂に至ったようにも読める。

その父親が朝の食卓で「父さんは今日で父さんを辞めようと思う」と宣言するのが、この連作小説の1行目である。なんとも現実感の希薄な世界である。

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Wednesday, September 07, 2005

続・トラバ&コメント作法

【9月7日更新】 8/21(日)の記事に戻って再びトラバとコメントの作法の話。

他人のブログを読んでいてトラックバックがあるのに気づいてクリックしてみる。そうすると別人のブログに飛んで行くわけだが、そこに「トラックバックしていただき、ありがとうございました」という元のブログの人のコメントがついていることが少なくない。

なんか納得が行かない。これ「ありがとう」って言うようなことか? 逆じゃないの?

こっちからあっちへは飛べてもあっちからこっちへは戻れないわけだから、感謝するのはあっちのほうで、こっちは感謝される側ではないのかな?

これがTBではなくてコメントだったら解る。コメントをもらった人がつけた人に対して「コメントしていただきありがとうございました」となる(ま、コメントの内容にもよるけどね・・・)。

百歩譲って、TBしたほうのサイトにTB先についての記述があれば、コメントと同じ感覚にならないでもない。

だからこそ、やっぱり、できれば文中にTB元のURLへのリンクを張っておくのが良いんじゃないかという気がするんだけどなあ。

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Monday, September 05, 2005

洪水

【9月5日更新】  一気に 100mm 降った昨夜の杉並の豪雨。びっくりしたあ!

23時に駅に着いて家の前の一本道を歩いていたら、突然そこは河になった。

そして周囲には僕と同じように立ち尽くす数人の人。示し合わせたように、やおら僕らは靴を脱ぎ、そして靴下を脱ぎ始めた。

そして、靴をリュックに仕舞って決然と入水。

くるぶしが濡れ、ふくらはぎが濡れやがて膝のすぐ下まで水没した。

「僕らはひざまで泥まみれだが隊長は言った、進め!」──僕は心の中で高石ともやの『腰まで泥まみれ』(オリジナルはピート・シーガーだっけ?)を歌いながらジャバジャバと河を進んだ。

朝起きたら嘘のように水が引いていた。ベランダから見下ろすと、白いブラウスにブルーのリボンを結んだ女子高生が颯爽と歩いていた。

僕にはそれがオリーブの葉っぱを咥えた白い鳩に見えた。

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Sunday, September 04, 2005

映画『いつか読書する日』

【9月4日特記】  映画『いつか読書する日』を観てきた。いやはやなんとも、えらい映画があったもんだ。

始まってすぐ、池辺晋一郎の音楽がなんか不吉な感じ。決して不吉なメロディではないのに張りつめたアレンジがなんか禍々しい。その音楽の中を牛乳配達の田中裕子が牛乳瓶を詰め込んだバッグを抱えて走り抜ける。坂道・階段だらけの街。その階段を走って走って息を切らして駆け上る。

高校時代につきあっていた相手を50歳になっても忘れられない男女。

女のほうは独身を通し、朝は牛乳配達、昼はスーパーで働き、夜は読書とラジオ。男への思いは誰にも知られないよう隠し続けている。

岸部一徳が演じる男のほうは市役所に勤めながら末期癌の妻を看護する生活。彼が女に思いを残していることはほとんど読み取れない。ただひとつ飲めもしない牛乳を毎日配達してもらっていること以外は・・・。

仁科亜希子が演じる岸部の妻は2人の思いに気づき、自分が死んだら2人に一緒になってもらいたいと願うようになる・・・。

男のほうは女に思いを残しているとは言え、毎朝路面電車の駅で自転車でスーパーに向かう女が通り過ぎることを知っていながらわざとそっぽを向いている。市役所の帰りに女が働くスーパーで買い物するのだが、彼女のレジには並ばない。目も合せようとしない。

なんじゃ、こりゃ?

で、男は言うのである。

「俺さ、若いころにさ、絶対平凡に生きてやるって決めたんだよ」

そんなこと思う奴、いるかぁ!? で、その後こう続ける。

「必死になって、そうしてきたんだ。邪魔なんだ、あの人」

それを聞いた妻が言う。

「あなたはね、ずっと気持ちをね、殺して来たのよ。気持ちを殺すって、周りの気持ちも殺すことなんだからね」

すごいね、この辺のやりとり。観る人の邪魔にならないよう、これ以上書くのはやめる。多分なんか賞を獲るんじゃないかな、この映画。キネ旬ベスト10には入るでしょう。

この映画のラスト近いシーンで僕が思い出したのはパトリス・ルコント監督の『髪結いの亭主』。両方見れば解ります。

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『禁じられた楽園』恩田陸(書評)

【9月4日特記】 夏だし、まあこんなのも良いかなと思って買ってみたのだが、僕が恩田作品で好きなのは『黒と茶の幻想』、『木曜組曲』、『夜のピクニック』あたりなので路線としてはちと違う。

とは言えやっぱり文章がしっかりしているから巧い具合に引き込まれて作家の思う壺に嵌ってしまう。ストーリーを考えるだけで面白い作品が書けるわけではなく、それをどのように小出しにして読者に情報を与えて行くかが鍵だということがよーく解る。

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HPは本ではないしチラシでもない

【9月3日特記】  ウチの会社のCM考査担当が、消費者金融に関してこんな方針を打ち出したことがある。曰く、

HPの最初のページ(つまり、狭義の「ホームページ」、index.html 等)に利息等の注意事項が書いてある会社のCMしか受け付けない

僕は結構あきれた。

彼らが言いたいことは、いきなり借り入れ申し込みのフォームに記入させるのではなく、その前に注意事項をきっちりと読ませるような会社でないとダメだということなのだろう。

しかし、リンクやブックマークを辿れば関係のないページからいくらでも飛んでこられるのである。現実に借り入れ申し込みのページへ直接のリンクを張ったバナーがたくさんあるではないか。

そう、今や index.html から順序正しく読まれるなんてことは稀なのである。

このことは例えば僕自身のHPを見ても分かる。

僕のHP"wise word web"において、扉のページである index.htm についているアクセス・カウンターは、今日現在で 22,100 台である。一方、このサイトのメイン・コンテンツと銘打っている連作エッセイ「ことばのギア、発想のシフト」のメニュー・ページには(一般には公開していないが)同じく今日現在で 16,100 台のアクセスが記録されている。

これだけ見ると、「はあ、さすがにメイン・コンテンツだけあって来訪者の7割以上が見ているのか」などと思ってしまいがちである。ところが、同じサイト内の「視聴率の嘘800ホント200」のアクセス・カウンターは今日の10時現在で 146,500 台を記録しているのである。

これは扉のページから順番に辿って見てくれている読者なんてごく少数であると言うことの証左である。そして、このことこそがHPの利点の一つなのである。

HPは本ではないのだ。必ずしも表紙や1ページ目から読むものではない。
ウチのCM考査担当にはこの事情がさっぱり頭に入ってなかったらしい。

そして、同じようにHPの特徴を理解せず、今度はHPをビラやチラシと同一視しているのが公職選挙法である。

なんと、ビラやチラシの枚数を規制するのと同じ法律の、同じ条文で政策発表・支援要請のHPを取り締まろうとしているのである!

この悪法のおかげで各政党は公示後のHP更新ができなくなっている。個人の資格でも禁じられている。

でも、さすがに政党は摘発を恐れて更新を控えているだろうが、個人のHPで特定政党を応援するメッセージを書きまくっている人は結構いるんじゃないかな?(確認してないけど)
そしてそれをいちいち取り締まろうったって土台無理な話である。だいいちHP作成者の生理に反しているではないか?

インターネットやHPというのはとても柔軟な存在である。
もう少しその辺りのことを理解した人が法律や規制を考えて行かないと、日本のインターネットはとんでもない状況に置き去りにされてしまうのではないだろうか?

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Saturday, September 03, 2005

結婚生活の面積

【9月3日特記】  知り合いに「結婚すると自分の人生が半分になってしまう」という哲学に基づいて独身を貫いている女性がいる。

一方、この女性の持論に対してこう反論する人がいる。「いや、結婚すると人生が倍になりますよ」と。

僕の印象はどちらでもない。確かに僕の人生は何割か減る。7割くらいになるかな。その代わり、僕の厄介ごとも7割になる。そして、僕にまつわる世界全体が7割に縮小する。

これ、西洋哲学風に「自我」が縮小すると言えば由々しいことのように思えるが、仏教思想的に「我」が小さくなると言えば好ましいことのような気がする。

大きいとか小さいとか言うのは所詮相対的なものなのである。

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Thursday, September 01, 2005

『ジョゼと虎と魚たち』と『メゾン・ド・ヒミコ』

【9月1日特記】  2つ前の記事「映画『メゾン・ド・ヒミコ』」で書き忘れたのだが、同じ犬童監督の作品で『ジョゼと虎と魚たち』とこの『ヒミコ』のどちらが良かったかと言うと圧倒的に『ジョゼ』のほうが良かった。

ひと言で書くとそれはリアルさの差だ。

「リアルさの差」というのは身体障害者やゲイのことをちゃんと調べ上げた上で映画化しているかどうかということではない。劇の流れの中でのリアリティである。(HPのほうにちょこっと書いたのだが)設定のリアリズムではなく進行のリアリズムが問題なのである。

『ジョゼ』は一糸乱れぬリアリズムの中で劇が進んで行く。『ヒミコ』は時々淀む。

そして、もうひとつの要因(と言うか、この要因はリアリズムの素でもあるのだが)として言えることは、柴咲ファンには申し訳ないのだが、ひとえに池脇千鶴と柴咲コウの演技力の違いである。

池脇は段違いに巧い。柴咲とは格が違う。『ヒミコ』にも良い役者がたくさん出ていただけにちょっと残念である。

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