『バーバー吉野』と『恋は五・七・五!』
【8月15日特記】 WOWOW から録画しておいた『バーバー吉野』を観た。
4月に映画館で観た『恋は五・七・五!』が面白かったので、同じ荻上直子監督の前作が見てみてかったのである。しかし、この監督、いつもワン・テーマなのかねえ? 最新作が俳句、前作が散髪。
とある田舎町の小学生男子はその町の「伝統」に従ってみんな同じ(しかもダサイ)髪型をしている。そして、その小学生の髪の毛を独りで刈っているのが町に1軒しかない床屋「バーバー吉野」の女主人(もたいまさこ)。
ところがある日その町に東京からの転校生がやって来て、髪型は自由なはずだ、みんなと同じ「吉野刈り」にするのは絶対に嫌だと主張する。それに影響されてバーバー吉野の息子をはじめとする4人の小学生たちも「脱吉野刈り」に目覚め、大人たちに対する抵抗を始める──という物語。
小学生の日常や感性や、大人へと成長して行く過程をとても的確に捉えていて、それが頑迷固陋な大人たちと見事に対照されており非常に好感が持てるのだが、如何せんワン・テーマで広がりがなく、飽きる。
これなら『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。俳句という極めて地味な素材を扱いながら、映画としてのクライマックスをちゃーんと際立たせている。
「俳句甲子園」という高校生の俳句対抗戦なのだが、どちらが勝つのかとハラハラさせる中、それぞれのチームの作品が披露され、映画館でそれを観ている客は「うむ、こっちの俳句のほうが良い!」と思わず叫んでしまう。
もちろん俳句の専門家による作品を使っているので当たり前と言えば当たり前だが、劇中に登場する俳句が一句一句見事である。主人公のチームが披露する作品がひとつひとつ鮮やかで伸びやかであるのに対して、ライバル校の生徒が詠む俳句は旧い形式や格式に縛られて巧いけれども面白くないのだ。
思えばこの映画でも、自由 vs 固陋という図式だった。ただ、『バーバー吉野』では伝統の髪型とそれに反抗する小学生という単純な構図だったものが、ここではひょんなことから俳句をやらされる破目になった高校生が、当初はその旧くてダサイ詩形に反発しながら、少しずつ俳句を理解して上達し、遂には俳句を自分のものにして行くという、1回ひねった構造になっている。
このひねった構成に加えて、ひとつひとつのシーンの組み立て方、台詞の面白さなどがきっちり噛みあった結果、重ねて言うが表現としては『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。
『バーバー吉野』はPFFスカラシップ作品でありながら、去年のキネマ旬報では29位にしっかりランクされている。今年のランキングで『恋は五・七・五!』がそれより上位に入るかどうかははなはだ怪しい。
が、みたび言うが、表現としては『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。『バーバー吉野』を観て、逆に『恋は五・七・五!』の面白さを再認識した。
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