『メディアリテラシーの道具箱』東京大学情報学環メルプロジェクト編(書評)
【8月11日特記】 テレビを作っている人とテレビを見ている人との間には深い溝がある。そして、大雑把に言い切ってしまうと、テレビを作っている人間はぼんやりとその溝の存在に気づいているのだが、テレビを見ているほうの人たちはなかなその溝に気づかないのである。
これは構造上仕方のないことなのではあるが、近年になって漸く作り手の側も「このままではまずい」と思い始めたのである。
この本はそういう思いの延長線上に作られたメディア・リテラシーの教科書である。
メディア・リテラシーと言うのは、簡単に言うと、メディアの裏側の事情をある程度理解して正しくメディアを読み取る能力のことである。そして、それを手っ取り早く身に付けるためにはまず自分で番組を作ってみることである。この本はその体験を助ける実践的な構成になっている。
一般の方がお読みになれば、「なるほど、そういう風に作るのか」「そんなことまで考えて作られていたのか」「そういう事情や制約があったのか」と驚きの連続なのかもしれない。私のようにテレビ局に勤めていても、(直接番組を作っている人間ではないので)何箇所か「へえ」と思うところはあった。
ただ、この本の最大の難点はそんなに面白くないということだ。いや、つまらないと言うのではない。こういうことに元から興味のある人にとっては非常に面白い読み物だろう。だが、そういうことに全然興味のない人を無理やり引き込んでしまうようなパワーが全くないということだ。
そもそもそんなことを期待するほうが無理だというのもよく解るが、この手の「運動」に求められるのはそういうパワーなのである。
そういうような、表面上、入り口は堅苦しくなくて、大いに楽しみながら読み進んでいるうちにいつの間にかメディア・リテラシーが身についていた、というのが理想的な形なのである。それができていないところに、この本の「教科書」としての限界がある。
教科書に載るとたいていの文章は薬臭くなってしまう。あるいは病院食のような味気ないものになってしまう。ご多分に漏れず、この本もやや味気ないのである。
テレビのリテラシーについて書いているつもりが、いつの間にか教科書のリテラシーになってしまった。
しかし、上述した「表面上、入り口は堅苦しくなくて、大いに楽しみながら見ているうちにいつの間にか知識が身についていた」というのがTVの知的バラエティというジャンルが目指す手法なのだ。
そういう意味でこの本は、TVの手法からは少し遅れているように思われる。
ま、でも、最初はこんなものかもしれない。
少し退屈するかもしれないけど、辛抱して読んでみて下さい。良いことが書いてあるのは確かです。
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