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Monday, August 29, 2005

映画『空中庭園』予定通り公開

【8月28日特記】 良かった。『空中庭園』、予定通りの公開が決まりましたね。豊田利晃監督が覚醒剤所持で捕まって、ひょっとしたら公開延期かと心配していたのです。

いや、賛否両論あるのは知ってます。「社会的道義的責任は重い」として、公開中止を独自に決めた映画館だってあることだし・・・。

僕だって放送局に勤めているわけで、こういう事態に1年に1回くらいは遭遇してるし、そのたびに悩んでます。TVの場合は「穴の空いた枠に何をかけるか」がそれほど簡単ではないだけに余計悩むわけです。

でも、「あちゃー、こりゃダメだ」とはっきりしているケースもあるし、何よりもある程度明記された「内規」が存在するので、それに沿って判断すれば良いのです(もっとも、内規はあくまで一般論であり、個別の具体例には即していないので難しいのは難しいのですが)。

で、仮に放送マンの仕事としては放送を中止してすっきり解決がついたとしても、一般視聴者としてはやっぱり悩むのですよ、これが。つまり、自分の下した判断に納得が行かないまま・・・、ということもあるのです。本当に中止しなければならなかったのか・・・?

実名を出して申し訳ないけど、例えば横山やすしという漫才師は何度も警察のお世話になったのだけれど、彼の芸は天才的でした。

彼が事件を起こすたびにTV局は出演を自粛させ放送を中止しました。しかし、彼の漫才が大好きで、それを見て大笑いするのが唯一の楽しみという人たちもいたはずです。僕らは今までそういう人たちのリクエストには応えず、内規に沿って放送を中止してきましたし、これからもそうするでしょう。

でも、例えばピカソが晩年に凶悪犯罪を犯していたら、彼の絵は燃やされてしまったのでしょうか?

一方で、「犯罪者は芸能界から永久追放すべきだ」という意見も多数寄せられます。法律上罪を償ったタレントをTVに復帰させると猛烈な抗議が寄せられます。

ときどき判らなくなるのです。

今回僕は上映の是非を決める当事者ではないので気楽です。僕は一般の観客としてこの映画を楽しみにしていたのです。そういう意味で単純に上映が決まって良かった。

単に観たいものが延期にならずに良かったという脳天気な感想です。「観客への責任を全うしたい」という制作委員会の判断が正しかったのかどうか何とも言えません。

「犯罪者の監督作品を観たいだなんて、お前も犯罪者同然だ!」と怒る人もきっといるんでしょうね。

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Sunday, August 28, 2005

映画『メゾン・ド・ヒミコ』

【8月28日特記】 映画『メゾン・ド・ヒミコ』を観てきた。

1983年に『夏がいっぱい物語』を観て以来、実は犬童一心という監督のことはすっかり忘れていた。2003年の『ジョゼと虎と魚たち』を今年になって WOWOW で観て、それがあまりに素晴らしかったので、今回この映画に惹かれたのである。

で、これはナンダカヨクワカラナイ映画なのである。にも拘らず、すごく良い映画なのだ。胸にどっしりと響いてくる何かがある。だからこそ余計にナンダヨクカワカラナイのである。

この映画は、例えば家族を捨てたゲイの父親と彼を憎んでいる娘が和解する映画ではない。ゲイの老人ホームに対する差別問題が解決する映画でもない。ゲイの青年と普通の女性が恋に落ちる映画でも、落ちそうになって断念する映画でもない。

そう、実際の生活ではそんなに見事に物事が解決したりどこかに帰結したりすることはないのである。そのことを丁寧になぞっている。

パンフレットの中で監督と2人のプロデューサが揃って「壁」という言葉を使っているが、僕はこの感じ方に納得が行かない。「壁」というような何か「一線を画する」世界がここでは描かれているだろうか? 「壁があってそれを乗り越えて行く」というような単純な図式が盛り込まれているだろうか?

──答えは否である。僕は監督がインタビューの中で語っている以下の言葉を拾い上げたい。

個人個人がそれぞれの場所で何かを試す。『ヒミコ』ってそういう“途中”の話ですよね。

そう、これはどこかに帰結する前の、いや、いつまで経ってもどこかに軸足を定めることができずに悩んだり苦しんだり、あるいは投げやりになったり、それでも不意に心が通ったりする瞬間を描いた映画なのだ。人生ってそういうもんだ。

脚本の渡辺あやはこう言っている。

小さい頃から、ムーミン谷が大好きでした。(中略)ムーミン谷の住人たちにはおよそ統一性というものがなく、思想も言語も習慣もバラバラで、(中略)どう見てもみんな違っています。

そう、彼女が描こうとしたのはそういう世界ではないだろうか。これは実は当たり前のことなのであるが・・・。

渡辺あやは他に前述の『ジョゼ』と『約三十の嘘』(大谷健太郎監督と共同執筆)の脚本も手がけている。非常に優れた書き手だと思う。

劇中終盤、柴咲コウ演ずるヒロインが「この老人ホームはインチキだ!」と叫ぶ──それは正しい。一方で、インチキの中でしか救われない人たちがいることも真実である。真実は単純ではない。

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Friday, August 26, 2005

会社を休む

【8月26日更新】 妻が上京してきたので今日は会社を休んだ。

会社を休んで街をフラフラ歩くのが好きだ。「こんな時間に、この人一体何をしている人だろう?」という目で見られるのが好きだ。

残念ながら夏休み期間中はなかなかそういう目で見られないのでつまらない。

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Thursday, August 25, 2005

『ナラタージュ』島本理生(書評)

【8月25日特記】 クッソー、これは歳を取って感性が鈍ってしまったということなのか? ちっとも共感できん!というのが読み始めて暫くの感想だった。何と言っても「本の雑誌」が選ぶ2005年上半期ベスト10の第1位である。なのに魅力が感じられん!何故だ?

それは、「どんなに筆を尽くしたって結局は甘っちょろい十代の恋の物語だから」とバッサリ斬ってしまうことも可能かもしれないが、僕が不満に思ったのはむしろそういうことではない。

文章がぎこちないのである。考えて考えて書いているところが読み取れてしまうのである。

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Tuesday, August 23, 2005

from nobody

【8月23日特記】 ここ何週間か僕のWebメール宛に同じようなスパム・メールが1日に何通も来る。差出人は「nobody」、でもヘッダの「from:」の部分は空欄になっている。

当然いちいち開封してはいないのだが、タイトルだけ見ても内容は解る。セックスに飢えたご婦人を紹介してくれる上に10万だか20万だかのお金もくれるらしい。

そんなおいしい話を誰が信用するんだろ?と思うと不思議で仕方がない。

そもそも、大金を払ってまでWeb上で所謂セフレを募集したいと思っているご婦人がそんなにたくさんいるわけがない。

いや、思ってるご婦人がいたとして、それを実行するご婦人がそんなにたくさんいるはずがない。

いや、実際にそういうご婦人がいるにはいるのだけど、この勧誘のメールが怪しすぎて誰も応募してくる男性がいなくて、それで自棄になって更にメールを出しまくっているのかもしれない。

そう考えるとこれはけっこう哀しい事態である。想定としては2番目に哀しい想定である。

一番哀しい想定は、もちろん、僕がこのメールにふらふらと誘惑されて最後に痛い目に遭うことである。

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Sunday, August 21, 2005

トラバ&コメント作法あれこれ

【8月21日特記】 最近ちょくちょくトラックバックやコメントがつくようになってきて、改めてその作法について考えた。

TBする時の礼儀として「文中に必ずTB元のURLへのリンクを張ること」というのがある。これ、僕は必ずやっているが、やってない人が多い、と言うか、やってない人ばっかり。

例えばOというブログからAというブログにトラックバックするとする。

Oを閲覧してた人は「おっ、TBがついているな」と思ってクリックするとAに辿りつくのでその連関は自明である。ところが、最初からAを閲覧してた人にはOの存在は見えない。だから、Aの文中にOへのリンクを張って「TBさせてもらってます」という事情を示唆しておこうというものだ。

実際にそのリンクをつついてOに辿りつくと、AがTBしていることが明示的に判る──という構造である。

これはTV番組で言えば衣装協力とタイアップ表示が不可分であるようなものだ。
他人のフンドシで相撲を取るわけだから、そのフンドシをどこから借りてきたのか書いておこうというのは、まあ見上げた心掛けではないだろうか? これ、やってないと単なる我田引水である。

また、そういう「張り返し」をしておいたほうがブログ同士が繋がって面白くなるのではないだろうか?

あまりにやってない人が多いので、放っておいたらこのネチケットはそのうち確実に消滅するだろう。だけど、良い習慣ではないか?
だから僕も余計なお世話とは知りながら、改めてここに書き残しておくことにした。

それから、よく見る作法として、TBした上で「TBさせてもらいましたよ」という趣旨のコメントを残して行く人が多い。読んだ感想が添えられていることも多い。

僕はそういう手法は採らずに、TBして書いた文章の中にそういう要素を入れ込むようにしているのだが、まあ、しかし、これはこれでなかなか感じが良い。

で、そういう感じが良いコメントに対してはTBされた側の僕もコメントをつけるわけだが、さて、このコメントをどこに書くか?

僕はつけてくれたコメントの続きとして、僕のブログに、そのコメントの下に書く。

ただし、世間を見ていると、わざわざそのTB先まで行って「TBしていただきありがとうございました」などとコメントをつけている人もいる。これはどっちが良いのだろう? 僕はその手法には馴染めないなあ。

だいいち我田引水のTBの場合「TBしていただいた」んだか「TBされちゃった」んだか定かではないのである。

特に、文中の1単語に引っ掛けただけの、内容的には極めて連関の薄いTBもある。いずれにしても、そういうTBには僕はコメントはつけない(だって、書きようがないもん)のでどっちでも良いのだが・・・。

それから驚いたのは、一旦記事を書いてアップして何日か経っているのに、後から同じ内容を扱った他のブログの記事を見つけてTBしている例も少なくないこと。

そういう後付けのTBって、本来のTBの趣旨なのかなあ? でも、そこに「同じようなことを書いておられる方がいらっしゃったのでTBさせていただきました」などというコメントが添えられていればそれでOKのような気もするし・・・。

などとウダウダ書いてしまったが、ことほどさように考えれば考えるほどなかなか難しいものである。

僕は礼儀作法というのは本来誰か偉い人が決めるものではなく、みんながそれぞれ配慮した結果の集大成であるべきだと思っているので、僕の考えを押しつける気はない。

ただし、皆さんもいろいろと考えていただけると嬉しいなあ、と思う。

要は他人と繋がる上での気配りとは何か、ということだ。

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Saturday, August 20, 2005

映画『サヨナラCOLOR』

【8月20日特記】 映画『サヨナラCOLOR』を観てきた。竹中直人が出演している映画を映画館で観るのはこれが13本目だが、監督作品は初めてだった。

「箱」が小さなユーロスペースだったということもあるが満員の盛況。実は何日か前に一度トライしたのだが立ち見だったので断念したのだ。

これは一種のお伽噺だと思う。小綺麗なことばで言えばファンタジー。つまり、現実にはあり得ない話。

自分で脚本に参加して主演して監督までするという「役得」とは言え、いくらなんでも竹中直人がもてすぎ! 同年代の男性として嫉妬したぜ。

竹中扮する医師が勤める病院に、竹中が高校時代に片思いだった原田知世が子宮癌で入院してくる。まず、この2人が同級生というのがあり得ない。とても昭和53年に高校を卒業したとは思えないくらい若々しく美しい原田知世が同級生であるというだけで羨ましい限りである。

竹中は独身とは言え、実は中島唱子扮する飲み屋の女将という愛人がおり、しかも水木芙美子扮する女子高生と援助交際までしているし、病院では毎朝看護士のお尻を触っている。そんな、女にだらしない竹中が他の患者から苦情が出るほど、かつての憧れの女性に掛かりっきりで尽くすのである。

これは「見かけはいい加減だった男に実は一途な一面があった」という構図で捉えないほうが良いと思う。竹中扮する医師は「いい加減・真面目」と言うか「デタラメ・一途」と言うか、なんかそういう分裂症的な人物として描かれているのだ、と僕は感じた。

つまり、監督は人間というものは一面的には捉えられないのだと言いたかったのだと思う。そして、それで良いのだと。

しかし、それにしても竹中直人はもてすぎである。こんなにもてなければ却々この二面性は発揮できないのではないか?

女子高生との援交についても、竹中がどこかの出会いサイトで調達した訳ではなく、同じ電車に乗り合わせた女子高生のほうから「おじさん火星人だよね? 援交しない?」と声を掛けてくるのである──そんな夢みたいなことあるか!?

で、竹中は律儀にちゃんと彼女と援交するのである(あまり深そうな関係には見えないが)。ほんで飲み屋の女将には一途に慕われているし、昔の憧れの人・原田知世との間でも、ある意味思いを遂げることになる。男冥利に尽きる話である。

だからこそこれはお伽噺だと思うのである。もちろん男性から見てとても素敵なお伽噺。女性はどう感じるのだろう?

そして、タイトルからも判るように、これは別れを描いた映画である。

舞台が病院であるだけに「死」という、自分の意志ではどうにもならない別れも描かれているし、自分の意志できっぱりと別れて行く男女も描かれている。そして同名のテーマソングの歌詞では「サヨナラからはじまることがたくさんあるんだよ」と言っている。

ここがこの映画の凄いところである。一見別れの映画のように見えて、実は監督は「それは何かの始まりであるはずだ」と言いたかったのではないか?

エンディングで流れる『サヨナラCOLOR』を聴きながら、なんかハモってる声が忌野清志郎に似てるなあと思ったら、本当にそうだった。この映画のために新録したんだね。

パンフレットにはご丁寧に最後のシーンまで含めて克明にストーリーが記してあるが、この映画は事前に筋を知らないで観た方が良いと思う。画も綺麗だが基本的にストーリー展開が売りの映画だと思った。

参考までに、この方の評も卓見だと思う。

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Friday, August 19, 2005

芥川賞直木賞贈呈式祝賀パーティ

【8月19日更新】 第133回芥川賞直木賞贈呈式祝賀パーティに行ってきた。

去年の講談社漫画賞のパーティでも思ったのだが、出版界のパーティは極めてスマートだ。

芥川賞直木賞の例で言うと、いきなり司会者が受賞者を壇上に上げて贈呈式(と言っても正副の賞を授与するだけ)。その後両賞の審査員ひとりずつ(今回は黒井千次氏と宮城谷昌光氏)がそれぞれ講評。そして2人の受賞者からひと言ずつ。

それが終わった時点で初めて主宰者である日本文学振興会の偉いさんが挨拶。それで贈呈式は終了。ここまで僅か30分。そして、そのまま祝賀パーティになだれ込む。乾杯も何もない。

普段僕らが招いたり招かれたりしているパーティって、大体は最初に主催者の偉い人が出てきて長い挨拶をする(運が良ければ面白い話が聞けるが、運が悪ければ単に堅苦しいだけ)。それから今度は別の偉い人が出てきて乾杯の音頭を取る(運が悪ければ乾杯の発声まで10分くらいかかる)。それから漸く催しだ。

僕らの業界はついついこういうパーティをパフォーマンスにしようとする。だから芥川賞や直木賞みたいに事前に発表してから日を置いてパーティというような形は避けたい。できればその場で審査結果発表と行きたい。──そういう下心が却って会場をしらけさせることもあるのだ。

あるいは、その場で発表みたいな劇的な演出ができないまでも、何がしかその場でのパフォーマンスを展開しようとする。とは言っても文学賞の場合はやりようがない。まさか「はい、それではここで受賞者に朗読していただきましょう!」という訳にも行くまい。

漫画賞だったら「はい、それではこのボードに描いていただきましょう!」なんてことはできるかもしれないが、なんだか受賞者が晒し者になった気分だ。ところがTVはある意味基本的に晒し者文化みたいなところがあるので、なんかそれに似た趣向を考えようとするはずだ。

出版界はそういうことは考えないので、その分スマートだ。とても良いと思う。

ところで、各氏の挨拶を聞いていて、文学者という者は必ずしも話が巧い訳ではないのだなあと思った。2月に行われた第132回のパーティの時には芥川賞受賞者の阿部和重氏も審査員の山田詠美氏も、直木賞受賞の角田光代氏も審査員の林真理子氏も、皆それぞれに話が面白かったのだが・・・。

今回は審査員の先生方は別として、受賞者は2人ともかなり緊張してて、芥川賞の中村文則氏はほんのひと言しか喋らなかったし、直木賞の朱川湊人氏も随分取りとめがなかった。

それでも両審査員の選評と本人たちの話を聞いていて作品に対する興味が膨らんだのは確か。

良いパーティだった。

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地方の代表?

【8月19日特記】 今朝TVを見ていたら、鈴木宗男立候補に関して地元で街角インタビューをやっていた。女の人が答えて曰く、

「応援します。道民のために頑張ってくれると思いますので」

違うだろ! 道民のために頑張るのは道会議員だろ!

かと思えば、ホリエモンが自民党から広島6区で立候補か、の報道を聞いて自民党の広島県連の役員曰く、

「なんで中央から連れてくるんだ!? 地方の代表だろ?」

それも違う。ひょっとして選挙区は地方の代表で比例区はブロックの代表だとでも思っているのだろうか?
地方の代表でもブロックの代表でもない。国の代表だ。便宜的に地方ごとに選出しているに過ぎない。

一体どうしてそんな基本的なことが理解できないのだろう?

地方のためではなく国のために頑張ってくれる人を、地元の権益ではなく国の将来のことを考えられる人間を、特定郵便局長会や全郵政(旧・全逓)労組や所属派閥のためではなく国のため働ける人を、自分の当選ではなく国家システムの改革をビジョンとして持っている人をこそ、我々は国会に送り出さなければならないのではないか?

憤りを通り越して情けなくなってきた。

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Thursday, August 18, 2005

炎天下の散歩

【8月18日特記】 仕事で外出中に空き時間ができてしまって炎天下を散歩した。

車の多い通りから公園の森に入った。灰皿のあるベンチで煙草を吸っているじいさんがいた。こちらを見ようともしなかった。

公園を抜けてコンクリートの階段を上がった。樹木が途切れて再び太陽の熱に晒された。北風とお日様の腕比べの童話を思い出しながら背広を脱いだ。汗にぬれた腕がなかなか袖から抜けなかった。ちょっと頭がクラクラしてきた。

ふと気がつくと自分が結婚披露宴を開いたホテルの前にいた。ホテルに入って、旧館から新館へと続く渡り廊下を歩いた。ホテルの中はひんやりしていた。なのに汗が一気に吹き出してきた。すでに湿り気を帯びたハンカチでこめかみを拭いながら、僕は再び外に出た。

さっき通ってきた道に戻ったのだ。

車が走っている。
夏の厳しい陽射しが照りつけている。
肌が焼かれ、洋服に包まれれた身体が蒸されて行く。
太陽を感じ、肉体を感じる。

「暑さにやられたんじゃないの?」と言われるかもしれないけれど、僕は思う。
夏の散歩もいいもんだ、と。

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Tuesday, August 16, 2005

宮城で震度6弱に思う

【8月16日更新】 宮城で震度6弱。幸いにして死者は出なかったようだ。

東京でもかなり揺れたが、阪神淡路大震災の激震を経験した身体が「ま、震度4くらいかな」と呟く。

そう、震度7になると、身体は家具と一緒に右へ左へとすっ飛ばされて、自分の意思では動かせないのだ。つまり、揺れ始めてからでは何もできない。揺れが収まるのを待つしかない。そこに何かが落ちてくれば生身の身体で受け止めるしかない。

そのことを肝に銘じておいたほうが良い。

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Monday, August 15, 2005

『バーバー吉野』と『恋は五・七・五!』

【8月15日特記】 WOWOW から録画しておいた『バーバー吉野』を観た。

4月に映画館で観た『恋は五・七・五!』が面白かったので、同じ荻上直子監督の前作が見てみてかったのである。しかし、この監督、いつもワン・テーマなのかねえ? 最新作が俳句、前作が散髪。

とある田舎町の小学生男子はその町の「伝統」に従ってみんな同じ(しかもダサイ)髪型をしている。そして、その小学生の髪の毛を独りで刈っているのが町に1軒しかない床屋「バーバー吉野」の女主人(もたいまさこ)。

ところがある日その町に東京からの転校生がやって来て、髪型は自由なはずだ、みんなと同じ「吉野刈り」にするのは絶対に嫌だと主張する。それに影響されてバーバー吉野の息子をはじめとする4人の小学生たちも「脱吉野刈り」に目覚め、大人たちに対する抵抗を始める──という物語。

小学生の日常や感性や、大人へと成長して行く過程をとても的確に捉えていて、それが頑迷固陋な大人たちと見事に対照されており非常に好感が持てるのだが、如何せんワン・テーマで広がりがなく、飽きる。

これなら『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。俳句という極めて地味な素材を扱いながら、映画としてのクライマックスをちゃーんと際立たせている。

「俳句甲子園」という高校生の俳句対抗戦なのだが、どちらが勝つのかとハラハラさせる中、それぞれのチームの作品が披露され、映画館でそれを観ている客は「うむ、こっちの俳句のほうが良い!」と思わず叫んでしまう。

もちろん俳句の専門家による作品を使っているので当たり前と言えば当たり前だが、劇中に登場する俳句が一句一句見事である。主人公のチームが披露する作品がひとつひとつ鮮やかで伸びやかであるのに対して、ライバル校の生徒が詠む俳句は旧い形式や格式に縛られて巧いけれども面白くないのだ。

思えばこの映画でも、自由 vs 固陋という図式だった。ただ、『バーバー吉野』では伝統の髪型とそれに反抗する小学生という単純な構図だったものが、ここではひょんなことから俳句をやらされる破目になった高校生が、当初はその旧くてダサイ詩形に反発しながら、少しずつ俳句を理解して上達し、遂には俳句を自分のものにして行くという、1回ひねった構造になっている。

このひねった構成に加えて、ひとつひとつのシーンの組み立て方、台詞の面白さなどがきっちり噛みあった結果、重ねて言うが表現としては『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。

『バーバー吉野』はPFFスカラシップ作品でありながら、去年のキネマ旬報では29位にしっかりランクされている。今年のランキングで『恋は五・七・五!』がそれより上位に入るかどうかははなはだ怪しい。

が、みたび言うが、表現としては『恋は五・七・五!』のほうが遥かに巧いし面白い。『バーバー吉野』を観て、逆に『恋は五・七・五!』の面白さを再認識した。

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Sunday, August 14, 2005

『陽気な若き水族館員たち』と『観光地楽団』

【8月14日更新】 今日はごきげん。Amazon に発注しておいた2枚のCDが届いたから。

どちらももう手に入らないだろうと思っていたのが、思いがけなく復刻(と言うか初CD化)されているのに気づいた。 こういう時のために普段からCDショップ巡りや Web チェックを怠ってはいけない。

ひとつは『陽気な若き水族館員たち』、もうひとつは『観光地楽団』。前者はLPで持っていたアルバムなのだが、LPは全部処分してしまってここ何年も聴けなかったし、後者は何とカセット・ブックでの発売だった。

『陽気な若き水族館員たち』はムーンライダーズの鈴木慶一が結成した水族館レーベルから1983年に発売されたもの。参加アーティストは、Portable Rock、Real Fish、VOICE、Mio Fou、それにこれらのメンバー全員による水族館オーケストラ。

とても大雑把に言ってしまうとネオアコの流れを汲んだものということになるが、非常にバラエティに富んでいる。

Portable Rock のボーカリストはピチカート・ファイヴに参加する前の野宮真貴で、この素直に澄んだ歌声を聴いていると「こんな娘が後にあんな風になっちゃうのか」という気がする(別にピチカート・ファイヴを悪く言う気はさらさらないけど・・・)。すっごく良いねえ。

Real Fish と VOICE はともに変幻自在でとても面白く、そこに鈴木博文(ムーンライダーズ、慶一の弟)と美尾洋乃(Real Fish)によるデュオ Mio Fou がしっとりと加わる。絶品と言えるのが全員による水族館オーケストラで、このごちゃ混ぜと言うか継ぎはぎだらけの演奏にはただただうっとり。

『観光地楽団』はそのReal Fish の Sax 奏者・矢口博康が作った楽団で、同じく Real Fish のメンバーである美尾洋乃、Portable Rock から中原信雄、ムーンライダーズから白井良明、他に鈴木さえ子(元・鈴木慶一夫人)と小滝満が参加している。

これは、ジャンルとしては何だろう? 分からない(笑)。ただただコミカルでスリリングでクールだ。こっちは1984年の発売。ちなみに同じ冬樹社から同時に発売されたカセット・ブックがムーンライダーズの幻の名盤『マニア・マニエラ』だった。

後に『マニア・マニエラ』はCD化された折に買い、同じく80年代半ばに買った SHI-SHONEN の『Singing Circuit』や Real Fish の『天国一の大きなバンド』もCD化された際にすかさず手に入れた(ちなみに Real Fish から矢口博康と美尾洋乃が抜けた形が SHI-SHONEN で、その SHI-SHONEN のリーダー戸田誠司が後に YOU らと組んだのが Fairchild だ)。

これでほぼ「買い戻し」は完了。やっぱり普段からCDショップ巡りや Web チェックをやっておくものだ。

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Saturday, August 13, 2005

『ラスト・ワルツ』

【8月13日特記】 先日 WOWOW から録画しておいた『ラスト・ワルツ』を観た。ご存知ザ・バンドの解散コンサートの記録映画だ。監督はマーティン・スコセッシ。

同名のアルバムは持っている。大好きなアルバムだ。だが、映画のほうは見逃していた。今回は永久保存するためHDではなくDVDに録画した。

久しぶりに観た(と言うか、聴いた)がやっぱり泣けるくらい良い。

とてもアメリカ的な感じがする。
アメリカと言うとみんなロックだったりブルースだったりカントリーだったり色んな曲を思い浮かべるだろうが、ザ・バンドのアメリカは色んな音楽が入り混じったアメリカ。

ザ・ステイプルズが参加しての The Weight では鳥肌が立った。あのメイヴィス・ステイプルのゴスペル唱法、何度聞いてもすごい。そして、この曲と I Shall Be Released で2回泣きそうになった。

リック・ダンコもレヴォン・ヘルムも無茶苦茶いい声だ。それにしてもよくもまあ、それぞれベースやドラムスを演奏しながら歌えるもんだ。

ほんで、ロビー・ロバートソンって、ほんとに変なギターを弾く人だ。何度聴いてもそう思う(無論それが魅力なんだけど)。特にまるで声が裏返るみたいな感じで入ってくるピッキング・ハーモニクス。あんなギターを弾ける奴はいない。

エリック・クラプトンとの競演では、クラプトンのオーソドックスさと比べてロビー・ロバートソンの変則さが目立つ(それでも、演った曲が典型的なブルースだったのでむしろ変則さは抑え目で、「へえ、こんな普通にも弾けるんだ」という気も逆にするのだが・・・)。

ニール・ヤング、ジョニ・ミッチェル、ドクター・ジョン、マディ・ウォーターズ、ヴァン・モリスンと、錚々たるゲストが次々に登場する中(リンゴ・スターまでいるぞ)、Forever Young で登場するボブ・ディランはさすがに圧倒的な存在感がある(I Shall Be Released にはゲスト全員が参加してたんだね!)。

エミルー・ハリスとの競演の時にはリチャード・マニュエルがドラムス叩いてたとか、Theme from the Last Waltz は単なるオーケストレーションではなく、ガース・ハドソン以外全員が弦楽器を担当してザ・バンドのメンバー全員が演奏に参加してたとか、映画を観て初めて気づいたことも多い。

ここまでつらつら書いてきて思ったのだが、メンバー全員の名前をこんなにスラスラ言えるバンドって、僕はビートルズとザ・バンドくらいのもんだ。

ビートルズは社会現象としては知っていたけど聴き始めたのは解散後。ザ・バンドも実は(もちろん知ってはいたけど)本格的に聴くようになったのはこの『ラスト・ワルツ』からだ。

僕はいつもそういう「遅れてきた青年」なのかもしれない(今では中年だけど)。

ところで、この映画は単にコンサートやレコーディングのドキュメンタリーではなく、名監督自らによるメンバーへのインタビューが何箇所も挿入されている。そして、インタビューの内容に直接/間接に関連した歌に続くという絶妙の編集になっている。

それを考えたらインタビュー部分だけではなく歌詞についても日本語訳を出したほうが良かったのではないかなあ、WOWOW さん?

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Friday, August 12, 2005

『スクールデイズ』完成披露試写会

【8月12日特記】 今冬公開の映画『スクールデイズ』(守屋健太郎監督)の完成披露試写会に行ってきた。なお、デイズは days ではなく daze (眩惑)である。

何の情報も先入観もなく観に行ったのだが、見終わって「誰やぁ、こんなストーリー考えた奴は!!」と叫びたくなるような映画だった。

学校に通いながら学園ドラマに出演している相沢晴生という高校生が主人公(この説明は実は最初のほうのシーンを全部すっ飛ばしてるけど・・・。ちなみに演じているのは森山未來)。

で、彼はドラマの中でも実生活でもいじめに遭っていて、極めて似通ったドラマと実生活の2つのシーンが交互に出てくる。唯一違うのは、ドラマの中には鴻ノ池先生という熱血教師(田辺誠一)がいてピンチになると助けてくれるが、実生活のほうはやる気のない嫌味な担任教師(松尾スズキ)がいるだけで誰も助けてくれない。次第に晴生はドラマと現実の区別がつかなくなって・・・。

とまあ、そんな筋で、映画は学園コメディ風に進んで行くのである。ところどころ笑いのツボを外してしまっているところもあって、まあまあかな、という感じ。

で、この先どうやって終わりに持ち込むのかな、と考えながら見てたら、晴生の実生活に鴻ノ池先生の幻覚が現れるようになって、ひょっとしたらこの映画は意外にアイロニーの強い深い意味合いを込めているのかもしれん、などと感じ始めてたら、1時間を経過した辺りから大きな展開がある。

おいおい、そんなことになるか。そりゃ、あんまりでしょ、と笑うしかない。いや笑ってる訳にも行かない。ひどいストーリーを考える奴がいたもんだ。かなり痛烈なメッセージ!

シニカルと言うよりクールな批判精神と言うべきか。

それでもラストのシーンは結構絶望的な環境の中に何故かほんわりとした安堵感がある。見事な脚本だ。

これ、僕はとっても良い映画だと思います。でも、悪いけどヒットしないと思うよ、藤村さん。だって、この映画見たら強烈な拒否反応起こす観客が確実に何割かいると思うもん。

ま、ひょっとしたらその何割かに入っていて不愉快な気分になるかもしれんと覚悟した上で是非見てちょーだい、と宣伝しておくことにする。幸いにして僕は大いに感心した口だ。

あ、ところで上で「ラストのシーン」と書いたのは実は嘘で、スタッフロールの後にもうひとつ短いシーンがあるから慌てて席を立たないように。

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Thursday, August 11, 2005

可愛い派遣社員

【8月11日特記】 ウチの部に派遣で来てもらっている女性が来月半ばで契約満了となる。大変仕事の出来る優秀な女性である。おまけに可愛い(人妻だけど)。

彼女は先日派遣元から改めて仕事内容を確認され、「で、後任はどんな人がいいと思う?」と訊かれたのだそうだ。

「私みたいに可愛い子がいいと思います」って言っときましたから、と彼女は僕に笑いながら報告するのだ。

かつて(僕が来る前だが)、とんでもなく仕事の出来ない(大阪弁で言う“すかたん”の)派遣社員が来て業務に支障をきたしたと聞いていたので、「それは困る。不細工でもいいからちゃんと仕事の出来る人に来てもらわないと・・・」と僕が言ったら、

「そんなこと思ってるのはやまえーさんだけです」と、やっぱり笑いながら彼女は言うのである。

いや、僕だって可愛い子が好きだ(今の派遣社員に好意を持っているのも、ひょっとしたら仕事が出来るからではなく可愛いからかもしれない)。でも、一方で「そんなことで選んじゃ、そりゃいかんでしょ」っちゅう部分もあるじゃないですか。

もう、雇われてるほうがそんなこと言うんだもんなあ。

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『メディアリテラシーの道具箱』東京大学情報学環メルプロジェクト編(書評)

【8月11日特記】 テレビを作っている人とテレビを見ている人との間には深い溝がある。そして、大雑把に言い切ってしまうと、テレビを作っている人間はぼんやりとその溝の存在に気づいているのだが、テレビを見ているほうの人たちはなかなその溝に気づかないのである。

これは構造上仕方のないことなのではあるが、近年になって漸く作り手の側も「このままではまずい」と思い始めたのである。

この本はそういう思いの延長線上に作られたメディア・リテラシーの教科書である。

メディア・リテラシーと言うのは、簡単に言うと、メディアの裏側の事情をある程度理解して正しくメディアを読み取る能力のことである。そして、それを手っ取り早く身に付けるためにはまず自分で番組を作ってみることである。この本はその体験を助ける実践的な構成になっている。

一般の方がお読みになれば、「なるほど、そういう風に作るのか」「そんなことまで考えて作られていたのか」「そういう事情や制約があったのか」と驚きの連続なのかもしれない。私のようにテレビ局に勤めていても、(直接番組を作っている人間ではないので)何箇所か「へえ」と思うところはあった。

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『姑獲鳥の夏』京極夏彦(書評)

【8月11日特記】 (上下巻通じての書評です)初めて京極夏彦を読んだ。しかも、映画のほうを先に見てしまってから。

自分のブログ上の映画評で僕は、何の根拠もなく「『映画化』としては大成功だったのではないか」と書いたのだが、読み終わってからもその思いは変わらない。

確かに大幅に間引かれてしまった下巻の後半部分について京極ファンは残念がるのかもしれないが、2時間の映画として成立させるためには仕方のないことだろう。

それよりも惜しまれるのは上巻の冒頭で延々と続く中禅寺秋彦(京極堂)の長口舌が映画の中ではかなり端折られていたことだろう。ここで展開される論理がなんとも面白い。そして、この論理がこの本の全編を貫いている。

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Monday, August 08, 2005

郵政民営化法案否決に思う

【8月8日更新】 国会における一連の顛末を見て嫌んなった。僕は基本的に郵政民営化推進論者だが、単に法案が否決されたから嫌んなったわけではない。

『会社はだれのものか』(岩井克人著、平凡社)を読んだばかりなので思ったのだが、「国における政治家」は、(この本で説明してある)「会社における経営者」と同じではないだろうか?

法人というのは本来ヒトではないものをヒト扱いするということ。ただし会社(法人)は実際にはヒトではないので、ヒトとして行動するためには実際にヒトである経営者が必要になってくる。

ただし、そのヒト(経営者)が私欲を求めたりテキトーな経営をしたりすると会社は無茶苦茶になってしまう。だから、会社法は経営者に「忠実義務」と「注意義務」を課している。

つまり、経営者は会社に対して倫理観と注意力を失ってはいけないのである。

さて、ここで話は戻る。

法律上国家がヒトとして扱われているかどうかは知らないが、国同士で外交するわけだから、僕に言わせればヒトみたないものである。そして本来ヒトではない国家がヒトとして行動するために政治家が必要になってくるのである。

ならば、政治家も国に対して「忠実義務」と「注意義務」を負うているのではないか?

今回の否決はまるで会社の内紛である。彼らは本当に国に対して倫理観を持って行動したのだろうか? 単に特定郵便局長会や労組や会派に忠実であっただけではないのか?

会社の経営者は株主総会で承認されるとは言え事実上前任の経営者が決定していて、我々一般社員には全く選ぶ権利も機能もない。幸いにして国会議員は我々一般国民が選挙で直接選ぶのである。

「たった一票」などと言わず、9月11日には是非とも投票場に足を運びたいと思う。
国に対する倫理観を持った政治家に投票したいと思う。

会社はだれのものか?
国家はだれのものか?

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Sunday, August 07, 2005

『きょうのできごと』

【8月7日特記】WOWOW録画分の消化。今日は『きょうのできごと』。行定勲監督。2004年度キネ旬では38位(3人しか点を入れていない)。

おっそろしく退屈な映画。で、その退屈さが痛々しい。青春時代を思い出す。具体的にやっていることは違っても、みんな退屈だったという点では変わりない。

僕らは非日常性からの脱却をあてどなく思い描いていた。女の子のわがままに応えることが愛だと思っていた。日常性が怒涛のように押し寄せて、一日また一日と無為に過ごしてきた。

そんな日常性と痛々しさを丹念に描いた映画。大きな展開のないストーリーを映画にする勇気を称えたい。

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Saturday, August 06, 2005

映画『妖怪大戦争』

【8月6日特記】 くそ暑い中、映画『妖怪大戦争』を観てきた。子供ばっかりかと思いきや、むしろ子供は少数派。そう多くない若い人たちは少しヲタクっぽい。いやオタクと言うよりか「好事家」、それも中年以上が非常に多い。

そう、メイン・ターゲットはこの年代。僕もめちゃくちゃ楽しみにしてた。

子供の頃TVの『ゲゲゲの鬼太郎』に「妖怪大戦争」という回があって(確か前後編に分かれてたと思う)、とても興奮した想い出がある。

その時は西洋対日本の妖怪大戦争だったのだが、西洋の妖怪はドラキュラとかフランケンシュタインとか魔女とか、皆とても強そうなのに、日本のほうは、鬼太郎は別としてとても弱っちくて、砂掛け婆が砂掛けたって小泣き爺が抱きついて泣いたって全然威力なし。塗り壁なんかは防御一辺倒だし、攻撃らしい攻撃と言えばせいぜい一反木綿が巻きついて締めつけるくらい。

ああ、負ける、日本の妖怪が負けてしまう!と随分ハラハラした。

それが今回の敵は、なんとあの『帝都物語』の加藤保徳!血沸き肉踊るではないか!

そもそもこの映画は、水木しげる、荒俣宏、京極夏彦、宮部みゆきの雑談から始まって、瓢箪から駒で映画化されたらしい。で、監督が三池崇。上記4人が「プロデュースチーム」に名を連ね、荒俣宏は「原作・脚本プロデュース」にもクレジットされている。

ぬおー、とっても待ちきれなかった。

が、そういう風にあんまり肩に力が入りすぎた状態で見に行くと、この映画はがっくり肩透かしくらわしてくるぞ。

そう、やっぱりここでも日本の妖怪たちは弱いのである。役に立たない奴が多い(極め付きは蛍原徹が演じた豆腐小僧。名前の通り、こいつは豆腐持ってるだけ)。そもそも日本の妖怪たちは人間を嚇かすのが商売で、プロデュースチームによると「妖怪たちは闘わない」んだって。

なのに「妖怪大戦争」? そういう映画なのだ。そういう意味で非常に楽しんで作ってある。

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Wednesday, August 03, 2005

変な夢

【8月3日特記】 昨夜とても変な夢を見た。けど、よく憶えていない。けど、あまり気にしていない。

変な夢はよく見る。だいたいは奇想天外なストーリーである。
かつて冒険推理小説まがいの大スペクタクルの夢を見たこともある。

それは我が家に届いた一通のダイレクトメールから始まった。そのDMを訝しく思った僕は独自に調査を開始し、遂に秘密の洞窟を突き止めた。洞窟の奥深く分け入ったところ、果たして漆黒のベールをまとった悪魔に出会った。

「悪魔に光を浴びせれば彼らは滅びるはず」──そう思った僕は洞窟の天井にあいた穴から月光が差し込むポイントまで悪魔を追い詰める。漸く月光がスポットライトのように地面を照らしている近くまで悪魔を押し込む。

「あと一押しだ。タアーッ!」

と大声を上げたところで、妻に揺り起こされた。

変な夢を見たからと言って実生活にまで変なことが起きる訳ではない。
心配は無用である。

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Tuesday, August 02, 2005

必殺 TB 返し!

【8月2日更新】 HP やブログをやっていて一番嬉しいのは見知らぬ人からメールをもらったり、コメントや TB がつくことではないだろうか?

そして、その人が偶然にも同じ時間に同じ映画館で同じ映画を観た人だったりしたら。そして、その人のブログを覗きに行ってみると、思いがけなく素敵な文章を書く人だったりしたら。

世代も生い立ちも全く違う人。今までの人生で一度も交わることのなかった人(いや、女性に対して「交わる」っつうのはマズいか?)。かと言って今後親しくつきあうことになるかと言えば多分そんなこともなく、ひょっとしたらすぐに忘れてしまうかもしれない人。

それでも、なんかその時は確かに接点を持とうと思ってくれたのだ。それが結構嬉しい。

この人のこの文章を読んでいて、何故かアーレン・ローの『ナイーヴ・スーパー』を思い出した。あの本の中でも「列挙する」という行為が大きなキーだった。

いや、余計なおせっかいかもしれない。オヤジのストーカーだと思われなければ良いのだが、などと少し躊躇しているくせに、しかし、今度は僕のほうがなんか再び接点を持とうかなと思ったのだ。

随分久しぶりに TB してみた。

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Monday, August 01, 2005

来春のNHK朝の連続ドラマ

【8月1日更新】 来春のNHK朝の連続ドラマは宮﨑あおい主演なのだそうである。オーディションによらないキャスティングは初めてなのだそうである。

全国的・全世代的に人気が出ちゃうだろうなあ。(宮崎あおい)

それで、それ以後、宮﨑あおいと言えば「連ドラから出てきた女優」ということになってしまうんだろうなあ。

人気が出るのは良いけれど、そういう捉えられ方をするのはちょっぴり残念。

映画とCMですでにこれだけの実績がある女優なのだ。でも、それをリアルタイムで実感してきた自分にはちょっぴり誇りがある。

そう言えば映画『スウィングガールズ』とTV『世界の中心で、愛をさけぶ』で目をつけていた本仮屋ユイカも連ドラの主演してたはず(もう終わったのかな?)。

彼女は無事に全国的・全世代的な人気者になれたのだろうか?
娘たちの成長を見守る父親のような心境だ。

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