『古道具 中野商店』川上弘美(書評)
【6月5日特記】 川上弘美と言えば、この bk1 の『センセイの鞄』の書評欄で故・安川顕氏が、「作者は『牡』の特性を知らぬ筈もないが、このカマトトぶりはどういうことなのだろう。(中略)憎からず思っている若い女に『抱いて!』と懇願されて指一本触れぬなど、男の風上にも置けぬ奴ではないか」と書いていたのを思い出す。
僕が初めて bk1 に書評を投稿した作品だったから印象深いのである。実はこの時まで僕はヤスケンを知らなくて、「なんか的外れのことで憤ってるオッサンがいるなあ」と思ったのをよく憶えている。
それに比べて、この『古道具 中野商店』は艶っぽい小説である。なかなかセックスしない青年も登場するが、結局はする。いろんな登場人物があちこちでセックスする。それぞれのセックスについて語る。──なんか、川上弘美のヤスケンに対する回答というか、供養であるような気もする。
「あら、セックスくらい私だって描きますよ」、いや「描けますよ」と言ってるような、少し無理した感じを受け取らないでもないのだが、それをそのままの力任せではなく、「セックスですか? 描いてみましょうか」くらいのさらりとした書き方に抑え込んでいる。
そして、至る所にセックスが付随しながら、ここで描かれるのは、まあ、ある意味不思議にプラトニックな世界なのであって、心のヒダヒダと言うか機微と言うか琴線と言うか、ともかく僕らが容易に分け入ることができないところに分け入っているのである。
それで、初めての書評から全く進歩せずに同じことを書くのだが、これは僕らには到底書けそうもない小説なのである。
脱がされて「裏返ったジーパンのうす青い色」(237ページ)の断片的な記憶なんて、まさに川上弘美の本領ではないか。彼女の人並みはずれた観察力と感受性、表現力。いや、「筆が立つ」とか「筆が走る」とか言うことではなく、彼女に当てはまる言葉は類まれなる「話芸」なのである。
そろそろ死にかけている古い語彙を随所に配しながらのなめらかな語り口を堪能しながら、結局僕が思ったことは、僕には川上弘美の巧さを文章で説明するだけの表現力がないということだった。
(註:ここに転載している一連の書評は当初オンラインブックストア bk1 の書評コーナーに掲載されたものです)
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