『演劇のことば』平田オリザ(書評)
【6月30日特記】 僕の演劇初体験はつかこうへいだった(つか劇団ではなかったけど)。立て続けに何本か観て『熱海殺人事件』にぶっ飛んだ。そんな経験があるから、僕の中では日本の演劇はつかこうへいによって突如として始まったかのような印象がある。
その後もう少し年長の脚本家、例えば別役実や唐十郎なんかの芝居も観てはいるのだが、やっぱり全ての始まりはつかこうへい、つかこうへいが日本演劇のビッグバンみたいな感じ方をしてしまう。
が、もちろん事実はそうではない。そこに至るまでに長い、と言うか、平田オリザによるとむしろ短すぎる(いや「浅すぎる」かな?)歴史があるのである。
そういうことをこの本で改めて確認させてもらった。
平田オリザと言えばTVでもよく見る顔であり、演劇教育に関する講演を聞いたこともあるのだが、残念ながら芝居は観たことがない。少し斜に構えたところが面白い人だと思っていたら、「人は、いったん斜に構えるような発言に慣れてしまうと、そこから戻ることは難しい」(74ページ)と書いてあったのでなんかおかしかった。
確かにこの本に関してはあまり斜に構えることなく書かれているような気はする。そういう意味では読み物としてよりも資料としての価値が高いと言うべきかもしれない。
ただし、客観的評価の固まっていない同時代の、つまり今の演劇についてはかなり論評を控えているのが物足りない。本の趣旨には反するけれどもっと独断でバッサリやってくれたほうが読み物としては面白かったはずだ(もちろんこれは読者の身勝手に過ぎないのだが)。
そして、タイトルの割には「演劇のことば」についての具体的な言及が少ないなという気もした。もっともっとたくさんの時代の例を挙げてことばそのものについて分析しようと思えば、彼にはいくらでもできただろうし、いくらでも面白く書けたのではないかと言う気がする。
もっとも、そんな偉そうな演劇論をぶつ前に、せめて日本の演劇の歴史としてこれくらいは押えておきなさいよ、というのがこの本の本来の目的なのだろう。
「女」がらみで劇団がダメになって行く例に触れて、「書いていて涙さえ出てくるのだが、いまでも東京の早稲田や下北沢あたりでは、こういう悲劇が小規模ながら繰り返されている」(54ページ)などという、座付き作者としての本音が時々顔を出すのがたまらなく面白かった。
しかし、それにしても、こまばアゴラ劇場が平田の父によって作られて、現在は平田自身がオーナーであるとは知らなかったなあ。
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