『泣かない女はいない』長嶋有(書評)
【6月29日特記】 この表題がボブ・マーリーから来ているとは想像がつかなかった。読んでいてその箇所(54ページ)に差し掛かったとき思わず声を上げてしまった。
表題作の主人公・睦美は「ほとんど泣いた記憶がない」(56ページ)。併載の『センスなし』の主人公・保子も泣かない。
2人とも泣いても不思議のない、本当に情けない状況に置かれながら最後まで泣かない。それじゃあ本のタイトルと矛盾してるじゃないか、ということになるが、いや「泣かない女はいない」というのは誤訳でやっぱり「女 泣くな」が正しいのだ、と考えれば合点が行く。
特に『泣かない女はいない』のラストシーンでは、睦美の胸の中でこの曲が「女 泣くな 女 泣くな」と鳴り響き続けているのではないか。僕にはそれが聞こえる気がした。だからといって睦美に「気丈な女」というイメージもなく、それが不思議でもあり、この作家の真価でもある。
睦美は「『泣かないはいない』というアフォリズムのような言い切りに不快感を覚えたわけではない」し、逆に「『女 泣くな』という真っすぐすぎるなぐさめの言葉に感動しないわけでもない」「樋川さんの口からそれが出たときになぜかどきりとしたというだけのことだ」(57ページ)と言う。この辺の書きっぷりは非常に巧い。
その話はこのページで終わりになってしまうのだが、ラストシーンで見事にそれが(どこにもその言葉は再掲されてないが)甦ってくる。睦美が「ほとんど泣いた記憶がない」ことに再び気づいたり「泣かない女はいない」というフレーズを思い出したりするのは、自分が泣いても許されるような状況にあるのに泣いていないことに気づいたときである。
「おいおい、それで終わりか? そりゃないでしょう」と言わずにいられなくなるような、なかなか良いエンディングである。
『泣かない女はいない』におけるKISSといい、『センスなし』における聖飢魔Ⅱといい、少し時代遅れの音楽を配したことが非常に効いている。しかし、それだけにもう20年も経てば、この小説のムードは全く伝わらなくなるかもしれない。今のうちに是非読んだほうが良い作品である。
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