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Monday, May 30, 2005

『半島を出よ』村上龍(書評)

【5月30日特記】 (上下巻通じての書評です)僕は常々村上龍は当たり外れの多い作家だと思っているが、この作品は当たりだ。なんと達者な小説家だろう。ドラッグ、暴力、音楽、セックス、スポーツ、経済、政治・・・。この作家の扱う題材には限界というものがない。

読者の興味を削がないために極力あらすじについては触れないが、要は北朝鮮のコマンドが福岡を占領する話である。現実離れしているようでもあり、明日にでも起こりそうな胸騒ぎのする話でもある。

最初に思ったのは、この小説はきっと、憲法第9条を破棄して日本の再軍備を進めようとしている人たちに利用されるだろうなということだ。

「ほら見ろ、今に日本はこんなことになるぞ」と彼らは言うだろう。それに対して「いや、この小説に書いてあるこの部分は事実とは異なる。この点は現実離れしている。だからこんなものは当てにできない」と論陣を張る人たちも出てくるだろう。しかし、これはあくまで小説なのである。

この作品が小説として素晴らしいのは、現実を見事にシミュレートしているからではなく、とりもなおさず小説としてよくできているからである。シミュレーションとしての出来不出来で評価されてしまうことを、僕は一番恐れる。

この小説の半分は、平和呆けしてしまった日本人に対する呪詛であるとも言える。それでいて読んでいて嫌悪感を覚えないのは、つまりある意味で僕も日本人が嫌いだからだと気づいた。ここには僕の嫌いな日本人の腰砕けの様子がしつこいほど克明に刻まれている。

対照的に、ある意味で鍛え上げられた存在として北朝鮮軍の兵士たちが描かれている。
物語の終盤になって、その冷酷な北朝鮮の戦士たちにもやや情緒的なエピソードが持ち込まれてくるあたりに不満を覚える読者もいるだろう。だが、人のメンタリティに分け入るのが作家の根本的な仕事なのである。

最後に、文中から何箇所か僕の印象に残った部分を引用する。

「この世のすべての人はもともと暴力的な何かの人質なのだが、ほとんどの人はそれに気づかない」(上巻213ページ)

「日本社会では対立が目立たなくなっていた。(中略)そのほうが面倒がないからと社会全体で対立を隠したのだ」(上巻330ページ)

「そして怒りを無力感で抑えつけることをずっと続けていたら、おそらくいつか正気を保てなくなるだろう」(下巻242ページ)

「何かを選ぶというのは同時に別の何かを捨てることだが、それがわかっていない人間が大勢いる」(下巻344ページ)

「国が考えているのは大多数の国民のことで、わたしのことではない」(下巻358ページ)

「弱い人間や集団は、差し迫った困難や危機から逃れる口実を探す。口実は何でもいいので、必ず見つかる」(下巻442ページ)

「リアルな現実というのは面倒臭く厄介なものだ」(下巻479ページ)

──これらは全て日本人に関する記述だ。さて、あなたはこのフィクションから何を現実の生活に持ち帰ることができるだろうか。

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