『対岸の彼女』角田光代(書評)
【4月21日特記】 久しぶりに巧い小説を読んだ。まず、その構成が面白い。
主人公の小夜子は引っ込み思案の主婦。結婚を期に仕事をやめたのだが、やがて幼い娘を保育園に預けて再就職することを決意し、就職先の女社長・葵と知り合う。小夜子とは同い年でしかも大学まで同じだった。
葵は小夜子と違って人懐っこく楽天的でバリバリ仕事をこなしている。──そこまでが最初の章で、次の章は高校時代の回想になる。
読者は当然小夜子の高校時代だと思って読み始めるのだが、実は小夜子ではなく葵の高校時代である。しかも、最初の章で暗い小夜子と対照的に明るく描かれていた葵が実はいじめにあっていたことが判る。なんとも皮肉な設定である。
そこからは現在の小夜子・葵と高校時代の葵(と親友のナナコ)が交互に描かれる。長らくこの2つの物語がどう繋がるのか判らないまま、それぞれのストーリーは少しずつ進行してゆく。
小夜子の仕事内容は葵の会社が新たに始めた掃除代行業。小夜子の戸惑い。小夜子の仕事に理解を示さず非協力的な夫と姑、ぐずる娘。でも葵との間に結ばれた奇妙な連帯感。
一方、転校することによっていじめから逃れた葵はナナコという親友を得る。そして、読者はこのあと淡々と高校生活が綴られるものかと思ってしまうのだが、突如として新たな、そして過酷な展開がある。
このあたりまでは作者が丹念に丹念に1つひとつの構成を考えながら筆を進めているのが読み取れる。
逆に言えばそれは、物語の背後に作家の存在を感じさせてしまっているということであり、小説の常道から言えば失敗作である。しかし、ここではその丹念さのためか些かの不自然さも感じさせないどころか寧ろ好感を持たせてくれる。
そして、そんなことを思いながら読んでいるうちに、前述の過酷な展開以降は物語の背後からいつの間にか作家の姿が消え失せてしまい、のめりこむように読み耽ってしまう。──ここらあたりがこの作家の力量なのだろう。終盤は圧巻である。
描き切らず余韻を残した終わり方も良い。タイトルの素になっている最後のシーンも秀逸である。
テーマ自体も読者を勇気づけ元気にしてくれる内容だ。まるで薄い雲の向こうからうっすらと光が射してきたような。
久しぶりに巧い小説を読んだ。しかも、舌を巻くような。
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