『若かった日々』レベッカ・ブラウン(書評)
【11月26日特記】 きっと眼がいいんだね。いや、耳もいい。それに鼻も、舌も、皮膚感覚も。
レベッカ・ブラウンという人は僕たちが見過ごしたり、聞き逃したり、肌で感じられないまま通り過ごしてきた多くのことをしっかり感じ取って来た人だ。でも、ただ感じ取って来ただけではなくて、頭の中にそれをしまっておく居心地の良いスペースがあるんだ。いや、それだけでもない。彼女は「若かった日々」の記憶をそのまま紙に書き写して小説を完成したのではないだろう。
それは単純な記憶ではなく、熟成された記憶である。必ずしも彼女の実体験ではないかもしれない。それは実体験から拡充された、芳醇で繊細な記憶である。きわめて個人的なくせに妙に一般的な記憶なのである。
ずっと気になっていた作家ではあったのだが、僕は病気とか肉体的苦痛とかというテーマが苦手なのでずっと読むのを躊躇してきた。漸くそういうテーマから離れ、少女時代のことや自分と父母との関係、同性愛への目覚めなどについて書かれた、この13編からなる連作短編集を初めて手に取ったのである(最後のほうでやはり「病気もの」が出てきて困惑したけれど)。
読んでいて「これは僕には書けないな」と思わせる小説だ。この繊細な1行1行はとても書けないよ。ものすごくプライベートな想い出なのに、なんだかじんわりと染み込んで来る。なんとも言えない読後感がある。ため息。
で、最後まで読み通したあとに訳者あとがきがある。「柴田元幸って、ホントにいい読み方するよなあ」と、ここでまたため息をついてしまうのである。
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