『歌い屋たち』なぎら健壱(書評)
【10月6日特記】 フォーク世代集まれ!
これは紛れもなくフォーク世代の本である。まかり間違ってもニュー・ミュージック世代のための本ではない。
読み始めてすぐに気になるのが、ブツ切れの文体。文章と文章が繋がっていない気がする。多分これは意図して書いたものではなく、こんな文章しか書けなかったのだ、と何の根拠もなく思ってしまう。プロの小説家ではなく所詮「歌い屋」が書いたものだから、という先入観だろうか?
しかし、そういう文章であるがゆえに非常に乾いた感じがして、これはこれで味がある。読み進むうちに気にならなくなるのだ。
しかし、それにしても、小説の途中で30年前に時代を遡ってからの展開がやけに遅い。そして、30年前の回想になる直前のシーンとやっとリンクしたかと思うと、あっという間に、かなり尻切れトンボ的に終わってしまうのである。
いや、テーマとしては一応完結しているのである。ただ、そのワン・テーマで小説書かれてもなあ、と言うか、もっと複雑なドロドロが一杯あって、それを必死で潜り抜けたところにこの簡潔なテーマがあったと言うのであればもっと納得できるのに、あまりにすんなり完結してしまっているところに小説としては恨みが残るのである。
主人公の有賀はなぎらの分身だろう。どれだけ自分の経験をそのまま小説にしているかどうかはともかくとして、少なくとも有賀はなぎらと同い年であるはずだ。
岡林信康や、高田渡、友部正人なんかに憧れてフォーク界に入ってきた。少し前から歌っていた吉田拓郎に対してはちょっぴり反感を覚えていたりする。僕よりは少し上の年代である。
僕らは吉田拓郎や泉谷しげるの登場とほぼ同時にフォークを聴き始めた。岡林や高田は後追いで聴いたに過ぎない。だから僕らの年代とは少し感じ方に違いがある。ただ、それは大きな違いではない。いずれにしてもフォークという大きな範疇で括ってしまえば、同じ気分・同じ体験を分かち合った仲間であるとも言えるのである。
フォーク世代以外の人にとっては、この小説はもの足りないものであろう。それは、彼らにとってこの小説は単に小説でしかないからである。フォーク世代の人間にとっては、この小説はもはや単なる小説ではない。これは時代の記録であり、記憶でもある。だから、上で指摘した数々の難点にも拘らず、なかなか感慨深く読み終えることができるのである。
筋は単純なので述べない。フォーク世代の方は是非ご一読を。
Comments