『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ(書評)
【10月24日特記】 読み終えてすぐにまた一から読み直したくなった。これほど読むのに難渋したはずなのに、何故?
これは『舞踏会に向かう三人の農夫』に次ぐパワーズの邦訳第2弾である。あの本も読むのがずいぶんしんどかった。あまりに入り組みすぎていて、しかも難解だった。そして、この『ガラテイア2.2』もまた話が交錯する。
しかし、交錯すると言っても、この本では話はたった2つだ。主人公の作家リチャード・パワーズがコンピュータに言語を教えようとする話と、回想として挿入される、Cという女性とパワーズとの恋と破綻の物語。
前者の物語は、テーマがテーマだけに、コンピュータ関係、脳神経医学、英文学(しかも人類のほぼ全歴史に亘って)などものすごく広い領域に拡散する。まさに知識の爆発である。
しかも、そこに作者独自のかなり高度なレトリックが織り交ぜられるので、読んでいてクラクラする。何度も戻って読み直さないとついて行けない。いや、読み直しても完全にはついて行けない。しかし、訳者も書いているように、「パワーズが読者に要求しているのは、知的な反応はもちろんだが、それよりももっと、感情的な反応なのだ」(あとがき)。
レンツ博士とパワーズによって言語を教えられる人工知能はA号機に始まって、B号機、C号機と次々に進化を重ね、H号機に至って自ら「私は男の子か女の子かどちらですか?」と質問する。パワーズはためらうことなく「きみは女の子だよ」と答え、ヘレンと名づける(217頁)。
初めは質問にトンチンカンな回答を繰り返していた人工知能が、このように次第に人間らしくなって行くさまがとても美しく描かれている。そんなヘレンに対してパワーズが情愛に似た気持ちを抱くようになるさまもとても美しく描かれている。
そして最後の、この見事なまとまり! ここまで見事にまとめられると苦労して読んだ甲斐があったと思える。いとおしいストーリーだ。
あとがきによると、ジョン・アップダイクはこの本を読んで涙したとか。僕は涙は流さなかった。ただ呆然とした。
この重厚な作品を読めば、小説においてもっとも重要な能力は、部分部分の表現力なのではなく、全体の構築力に他ならないことが良く解る。
この2段組の分厚さにたじろがずに、一人でも多くの方に読んでもらいたい小説である。多分21世紀を代表する作品になるのではないかと思う。
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