『すきもの』前川麻子(書評)
【9月25日特記】 まったく、この作家、一体何者なんでしょうね? ふーむ、ため息、と言うより熱い吐息が漏れてしまう。
恐らく世間の興味は「女性がこういう小説を書いた」という一点に集中してしまうのでしょう。だって、すごいもん。
我々男性の目からすると、小説でもマンガでも映像でも、女性の作り上げたポルノと言うのはどこか食い足りなかったりするものです。ところが、この作品は全然そんなことありまっせん。行けるところまでイってしまいますよ、これは。
ちゃんとハードカバーになって上品な装丁してあるけど、内実はスポーツ紙のピンク・ページに載っている連載小説と同じようなものです。僕は基本的に電車の中でしか本を読まないのですが、これ読んでる時は周りの目がかなり気になりましたよ。そのくらいのエロさです。
ただし、ポルノを離れて評価すればどの短編も小説としてかなり上質の部類で、余韻たっぷりで、深い読後感が残ります。
ま、どこかで線を引いてポルノと文芸を分け隔てようなんて気は僕にはないですけどね。それはこの作家も同じだと思います。
読者が陥りがちな錯覚の代表として「作家は自分の経験をもとに小説を書く」という思い込みがあって、作家によってはその思い込みに強く反発したりします。──「これはフィクションなんだ!」と。
いや、『すきもの』読んでそのことよく解りましたよ。
だって最初の短編に出てくるのがAV男優ですよ(この塩野谷という男、その後の短編にも何度か主役として、あるいは脇役として登場します。指技を得意とするAV界のトップスターという設定です)。
男でも女でも平等にセックスはするものですが、AVとなるとあまり女性は見ないだろうし、出演するともなるともっと稀な事例でしょう。しかも、AV撮影の舞台裏話(最初の2話がその手のストーリー)ともなると、こういうの一体どこから仕入れて来るんでしょうね?
で、第3話でレスビアンが登場したかと思うと第4話「僕の天使」はホモセクシャルの話。──これは女性がどう頑張っても経験できません。想像だけで書くことも不可能でしょう。
ほんで第5話「純情急行」は痴漢の話。される側からではなくする側から書いてあります。しかも、その手口や作法を綿密に。
恐らくタイトルになってる第7話が一番エロいのではないかと想像していたのですが、実は一番すごかったのはその一つ前の「携帯情事」。ヤってヤってヤリまくる、そして繰り広げられるテクニック、その執拗な描写──いやあ、仰天&昇天!
第7話「すきもの」ではとうとうスカトロまで登場して、冗談ではなく読んでて吐きそうになりました。
だから、話は戻りますが、小説は決して作家が自分の体験をもとに書くものではありません。ただ、こういうものが書けるためには、作者自身が少なくとも、ある程度以上の「すきもの」であるはずだと思いますこの小説は文字通り「すきものの、すきものによる、すきもののための小説」です。
で、圧巻が最後の「裸の花道」。塩野谷将行がみたび主人公となって登場しますが、この短編の中では誰も服を脱ぐこともなければ服の上から触ったり触られたりすることもありません。でも、テーマはやっぱりセックスであり、あるいは職業としてのセックスです。
第1話・2話の不思議で哀切感漂う雰囲気も良いですが、この最後の作品の見事な出来栄えを見れば、いかにこの作家の筆致が磐石のものであるかがよーく解ります。前述の通り、いずれの作品も余韻が深いのですが、この作品はことさら深いです。
こんな短編集って、もう2度と出会うことはないのではないでしょうか。ああ、気持ちよかった(どっちの意味でも)。
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