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Monday, September 13, 2004

『アフターダーク』村上春樹(書評)

【9月13日特記】 1行目からちょっとびっくり。おや、村上春樹はかなりスタイルを変えてきたな、って感じ。

ここで言うスタイルとは文体と構成。なにせ主語が「私たち」だ。今までこんなスタイルはあっただろうか? 一人称単数以外で書かれた小説って少なかったのでは?

「いや、あの小説は三人称だった」みたいな指摘は多分マニアの方がやってくれるだろうから僕は穿鑿しないが、村上の小説は大体が主人公自身が語るか、そうでないにしても(そうでない小説が実際にあったかどうか僕はちゃんと憶えていないのだが)語り手は主人公にかなり近い場所にいたはずだ。

それが今回は「私たち」であり、しかもその語り手はカメラという、かなり引いた位置にいて観察し、語る。うーむ、今までとはかなり違う。

そして、冒頭から9ページの1行空けてあるところまでのいくつかのパラグラフは今までならなかったのでは?

その次の段落の冒頭はこうだ──「彼は声をかける、『ねえ、間違ってたらごめん。君は浅井エリの妹じゃない?』」──そう今まではここまで直截ではないにしても、ほぼこれに近いくらい直截に物語は始まった。少なくとも、この『アフターダーク』のように夜の街をクドクドと描写するばかりで殆どストーリーが進行しないままなんてことはなかったはずだ。

普段の翻訳調も少し押さえ目だ。今までみたいに日本語の文章を読んでいてその英訳文が頻繁に浮かんでくることがない。

読み進むと小説の骨組みが見えてしまう(これも今までなかったことだ)。

「ははあ、こういう意味づけでここにこれを持ってきたか」とか、「なるほど、これにはこういう想いが込められているんだな」なんて余計なことを考えてしまう。

もちろん村上春樹が本当にそう思って書いたかどうかは知らない。しかし、そう読めてしまうのである。語り手である「私たち」がなにかと判断したり解釈したりしてくれるのも気になる。「おいおい、今までみたいに読者に自由に想像させてくれよ」という気にもなる。

ひとことで言うと、村上春樹も随分オッサン臭くなってしまったみたいだ。なんだか説教じみてきた気もする。即ちそれは村上春樹も歳を取ったということだ。

そんな風に少しずつ不満を覚えながら最後まで読み通すと、(あまりにベタな評価なので適切でないかもしれないが)村上春樹も中年としての役割を、若い人たちに対して年長者の役割を引き受け始めたのかなあ、という感想に行き着いた。

そこには思いつきでも力ずくでもない何かがあった。意外に深い、深い読後感が残った。
村上春樹と同様、僕も歳を取ったのかもしれない。

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