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Sunday, August 01, 2004

『重力ピエロ』伊坂幸太郎(書評)

【8月1日特記】 最初に断っておくけれど、僕がこの手の小説を褒める時はトリックや謎解きの巧さを問題にしているのではない。そういう面での評価を知りたいのであれば、他の方の書評をお読みいただきたい。で、僕はこの小説を褒めたいと思う。

僕が小説を読む時に常に気にしているのは、ちゃんと文章が書けているか、とりわけ人物がちゃんと描けているかどうかということである。

文章の書けない作家(これはほとんど形容矛盾を来しているが)の場合、読んでいると文章のぎこちなさに引っ掛かってなかなかストーリーに集中できない。人物をちゃんと描けない作家は、ストーリーを説明するための言葉を登場人物に喋らせたりする。そうすると人物が崩壊する。優れた小説の登場人物は、一旦形成されると作家の手を離れて勝手に歩き出したり喋り出したりするものだ。

そういう意味で、この小説はよく書けている。とりわけ人物がちゃんと描けている。それに加えて、この作家はところどころに言わばアフォリズム(警句)のような、「ほほう」と感心するような気の利いた一節を紛れ込ませるのが巧い。参考・引用文献も多く、いろんな要素を詰め込んでなかなか欲張りな構成である。

泉水と春の異父兄弟の話である。しかも、弟の春は強姦によって生まれたと言ういささか仰天する設定である。この2人が放火犯を追う。

「このミステリーがすごい!2004」国内編の第3位だそうである。ただし、帯に書いてあるような「感動」とか「興奮」とかいう印象とはほど遠い。これはひとことで言うならば「心温まる」ストーリーである。そう、陳腐な言葉ではあるが、これはまさに心温まる類の話なのである。

泉水も春も父も母も夏子さんも探偵も、ちょっと変わってはいるが、皆一様に明るく、常に前向きである。そういう人物形成に心が温まる。登場人物に魅力がある──それがひとえにこの本の魅力である、と僕は思うのである。

犯人が誰かはすぐに判る。そんなことはこの小説の価値を少しも減じたりはしない。これは読んでいて生きる力の湧く小説である。心がほころぶ小説である。泉水と春という名前にそれが込められている。

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