『ららら科學の子』矢作俊彦(書評)
【8月19日特記】 若い人は「この『ららら』って何だ?」と訝るかもしれないが、僕らの世代なら一目で『鉄腕アトム』の歌詞の一部だと分かるし、「らららかーがーくうーのこー」と節をつけて歌うこともできる。ところが、そのおかげで僕はとんでもない勘違いをしてしまった。
アトムからの連想で、これはSF作品だと思って読み始めたのである。30年前に失踪した主人公がタイムスリップしていきなり現代の日本に戻ってきた──そういう設定だと思い込んでいたのである。
実際には、学生運動のさなか、警官殺人未遂の罪を犯した主人公が中国に逃れ、そこで苦渋に満ちた30年を過ごした後に、密航して日本に帰ってきた、という設定である(従ってSFとは無縁)。いやはや、よくこんな設定を思いついたものだと感嘆するばかりである。
連続した時の流れの中にあって変化というものを捉えるのは至難の業である。
作家はその流れを一旦断ち切るために、主人公に罪を犯させ中国に逃れさせた。そして、30年の後に主人公を日本に呼び戻し、現在との強烈なコントラストの中で主人公に30年前を振り返らせる。中国との強烈なコントラストの中で日本を見つめさせる。そして、日本を見つめなおす旅は日本を取り戻す旅となり、行き着く先は自分を取り戻す旅である。
読者はその仕掛けの中にどっぷり浸かってしまって作家の術中に陥ることになる。見事な構成である。
僕らより少し年長の70年安保世代/ベ平連世代や中国現代史の専門家が読めば時代考証的に納得できないところがあるのかもしれない。しかし、なにぶんその当時小学生・中学生に過ぎなかった僕らの目からすれば、これはまるでルポルタージュを読んでいるのではないかという気にさせられるほどリアルである。そして、最後まで一貫して一定のトーンを維持するこの筆力。見事と言うしかない。
蛇足ながら書き加えておくと、この小説は「あの頃は良かった/今はダメだ」風の短絡的な物語でもないし、「あれは正しかった/これは誤りだった」みたいな独善的な作品でもない。登場人物は一癖も二癖もあるが、不思議に皆魅力的だ。
僕らは「科学の時代」を振り返ってみる──自分が今立っている位置を再度認識するために。この主人公ほど苦しい人生を送るのは無理でも、この小説を読めばその何分の一かは追体験できるはずだ。そして、改めて未来を見つめなおす旅に出ようではないか。
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