『ブラフマンの埋葬』小川洋子(書評)
【6月8日特記】 詩だね、これは。解釈してはいけない。味わうための本だ。
あっけないくらいに早く読み終わってしまう本だ。ブラフマンはあっけないくらい素早く読者の脳裏を駆け抜けて行く。そして、タイトルから明らかなように、最後にはブラフマンは死んでしまう。それだけの話だ。映画『未知との遭遇』と同様、タイトルがストーリーの全てである。
『未知との遭遇』の場合は未知の異星人と巡り合うまでの長いプロセスが丹念に丹念に描かれていた。最後の最後に生身の異星人と相対し、「さて、彼らはこれからどうなるんだろう?」という大いなる余韻を残してこの映画は終わった。
『ブラフマンの埋葬』の場合、この謎の小動物は最初のページの最初の行で、もう主人公の裏庭に現れていた。そこからブラフマンの外観や生態や性癖についての丹念な丹念な描写が続いている。しかし、終盤のページでブラフマンはあっけなく死んでしまう。死んでしまうと当然のことながら「これからどうなるんだろう?」という類の余韻はない。しかし、確かに別の余韻がある。
作者は、既にタイトルで種明かしをしてしまっており、この可憐な小動物の突然の死で読者の涙を誘おうという意図は放棄してしまっている。いや、むしろ死はストーリーの初めのほうから、登場人物の設定の中に暗示されている。では、作者は何を意図したのか? ──いや、解釈しないで良い。これは詩なのだ。
優秀な詩は単に作者の感性の産物であるのではない。その裏には圧倒的な筆力がある。余韻の種類は読む人によって異なるだろう。ただ、この本は誰が読んでも1行1行に作家の力量を感じずに読み進めないのではないか?
すごい詩だと思う。
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