『ためらいの倫理学』内田樹(書評)
【3月6日特記】 まえがきにこう書いてある。
もとがホームページ日記だから、「批評されている当の本人は読むはずがない」という前提で書かれているので、読んだらご本人が激怒しそうなことがいろいろ書いてある(現にここで言及された多くの方が激怒されて、私はその後ずいぶん世間を狭くしてしまった)。(中略)文庫化のせいでますます世間が狭くなってしまうであろうが、これも身の不徳のゆえだから致し方ない。
こういうところがこの人の魅力なのだろう。とてもかわいい。そして潔い。
論旨は明快で、あとがきに自分で書いているように「ほとんど『同じこと』を、手を換え品を換え、執拗なまでに繰り返し主張している」。その主張がどんな主張であるのかまで自分で「解題」しているが、これから読む人のためにここでは書かない。ひとつだけ言うと、その主張のエッセンスは「ためらいの倫理学」というタイトルが見事に表現している。
もし僕の書いたものが内田に徹底的に批判されようとも、僕なら彼の世間を狭からしめようとは考えないだろう。だって小気味良いんだもの。面白くて説得力がある。
難点を2つ。
非常に論理的で整合性が取れていて、しかも明晰で示唆に富んだものであるが、実はこの本を読んでも埒があかない。英語で言うなら This book will get you nowhere、つまりどこへも行けない理屈なのである。
この本で提唱されている態度は一人ひとりの人間存在としては正しいかもしれない。しかし、世間の先頭に立って世の中を改革しようとするパワーに欠けるのである。もちろん内田自身には世間の先頭に立とうとか世の中を改革しようとかいう気は全くなさそうだ。だからそれはそれで良いと言えば良いのだが、これは世間のテーゼに対するアンチテーゼに過ぎないのである。
この理屈を実践すると、ことに及んで、一旦緩急あったときに、人はただためらうばかりで終わってしまう恐れがある。
そして、この本は誰に読ませるために書かれたのだろう?
誰もが自分が身につけている語彙で書くのは自然なことであり、読者を想定して言葉を選んでいる人は変な人かもしれない。しかし、学者ではなく一般人に読ませるにはちょっと難しい単語が多すぎるのではないか? 「当為」とか「ルサンチマン」とか、いちいち突っかかって辞書引いちゃいましたよ。
ちなみに内田によると、僕のように文中の知らない言葉に突っかかって辞書を引いてしまうような人間は「矛盾」という字が書けるのだそうである。うむ、これまた正しい指摘である。
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