『トゥルー・ストーリーズ』ポール・オースター(書評)
【3月22日特記】 困った。書こうと思っていたことが柴田元幸による訳者あとがきの1行目に書いてある。
「事実は小説より奇なり」──ドがつくほどありきたりなこの言葉、手垢にまみれたこの常套句はできればあまり使いたい類のものではない。しかし、柴田元幸もまた訳者あとがきをこの言葉から始めている。そう、これはそういう物語なのである。
柴田は言う──「ふつう我々はこの格言を、いわば時おりの真実と受けとめているにすぎない。つまり、たいていは小説のなかで起きる出来事の方が奇妙なのだが、時には事実も小説ばりに、あるいはそれ以上に奇妙なこともあるのだ、といった具合に」と。
僕は思う──我々は実は事実は小説ほど奇ならざることをよく知っている。たまに小説と同じくらいに、あるいはまれにそれ以上に奇なる出来事に出くわすと、感極まってこの格言を引き合いに出すのだ、と。
ここにはオースターの自伝だけではなく他人から聞いた話も含まれているのだが、確かによくもまあこんな偶然があるものだというストーリーが立て続けに語られている。そして読み進むほどに、「実はこれはすべて本当の話だと見せかけた小説なのではないか」と訝しくなってくる。さすがに柴田はそういうレベルの低いことは書いてなくて、オースターの背後には「世界は我々の予測を裏切りつづける。世界に定まった意味はない」という世界観があるのだと解説している。
特に面白いのは「その日暮らし」(Hand to Mouth) だ。売れない頃のオースター赤貧の自伝なのだが、作家として日の目を見ない、金に困っているというだけで、どうしてこんなに手に汗握るほどのスリリングなストーリーができ上がるのか不思議でならない。
いちかばちかで自分が考案したアクション・ベースボールというカードゲームをゲーム会社に売り込みに行き、にべもなく断られたのにその後も自棄になって売り込みを続けるエピソードには本当にハラハラさせられた。
表題になっている (from) hand to mouth という熟語は「その日暮らし」と訳されるのが常套だが、英語の逐語訳「手から口へ」のほうが如何にも切実である。金がなくて家賃が払えない、それどころかその日に食べるものもないというお話なのに妙に悲壮感がないのはオースターの筆力なのか人柄なのか。
そんなオースターが功なり名遂げた後の時代の文章では、自分は今暖かい持ち家に住んでいるが段ボール箱のなかに入って精一杯暖をとろうとしている自分を思い浮かべてほしい、みたいなことを書いている。「貧しい者は怪物ではない」「不運はいつでも、誰にでも訪れうる」と書いている。あまりにまっとうすぎてぐうの音も出ない。
僕は思った。──まっとうに生きてきた者にはいつの日か幸運な偶然が訪れるのだろうか、と。
僕がこの本の中で特に気に入った会話がある。オースターが働いていた稀覯本屋にジョン・レノンが訪れた時の2人のやり取りである。
「ハイ」と彼は片手をつき出しながら言った。「僕はジョン」
「ハイ」と私はその手を握って大きく振りながら言った。「僕はポール」
ジョンもポールもありふれた名前なので、僕みたいに喜ぶのは馬鹿げた話かもしれない。しかし、このさらりと書かれた1シーンもささやかな偶然の面白さを物語っている。ひょっとすると偶然は誰にでも見つけられるのかもしれない。
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